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ワープロから電子組版へ(2)−印刷100年の変革

電算写植システムにおける出力機は、第2世代機から第3世代機へと高性能化、高速化 と進展したが、あまりにも高額であるため、中小印刷や軽印刷業界では容易に導入できな かった。そこで簡易電算写植の位置づけで「電子組版システム」が登場した。

CRTモニタ画面上で、文字入力やレイアウト結果が確認できるという、DTPライクなコン セプトで開発されたもので、米国でDTP誕生の3年前の1982年頃である。

1970年〜1987年頃までの日本における文字処理システムは、コールドタイプ(CTS)と 呼ばれる和文タイプ、そして手動写植と電算写植、電子組版などが棲み分けて存在してい た。しかも活字組版は衰退したとはいえ、まだ実存していた。ただし活版印刷は鉛版から 樹脂版印刷に変わり、また活字組版の清刷りによるオフセット印刷へと移行していた。

今までの日本における印刷用文字処理は、電算写植や電子組版などの専用システムであ り、また画像処理もCEPS(Color Electronics Prepress System)などの専用システムで 処理されていた。

コンピュータの高性能化とダウンサイジングにより、従来専用コンピュータで処理して いた文字処理や画像処理などが、デスクトップ・コンピュータのパーソナル・コンピュー タ(以下パソコンという)で処理できるようになった。これが印刷業界における技術革新 の潮流である。その代表的なものがDTPである。

電子組版は1982年頃、東レの「FX500」が発表されたのが最初で、続いてモトヤの 「MT-7000」、九州松下電器「KX-J1010」、横河電機「ワーデックス400」、日本電気/凸版 印刷共同開発の「簡易印刷システムEP-600」などが登場した。出力機にはレーザプリンタ やインパクトプリンタ、あるいは活字式プリンタなどを用いていた。

東レの「FX500」は出力装置に、当時としては珍しいレーザプリンタを使っていた。解像 度は400dpiでドットフォントを使っていたため、他社のインパクトプリンタに比して文字 品質は高いが、文字の拡大縮小やランニングコストに難があった。

1984年〜85年に、本格的な印刷用電子組版システムとして、モトヤがレーザ出力機を使 った「レーザ7システム」を発表した。また富士通が統合印刷システム「IPS」を、日本電 気漢字システムが軽印刷用トータル組版システム「N-5170」を製品化、さらに印刷機械貿 易が「Compotex」を発表した。

そして1986年に、リヨービ開発によるユニークな電子組版システム「RECS200」が発表 された。システム構成としては、組版編集機と文字盤庫を自動駆動する印字装置で構成さ れているもので、デジタル処理とアナログ印字のミックス型である。簡易自動写植機とい えるもので、手動写植機の代替として普及した(写真)。


また1987年にモリサワからも、同様に文字盤を使うコンセプトの「ROBO15XY」が発表された。

1989年頃、ジャストシステムがDTPシステム「大地」を発表した。ワープロソフト「一 太郎」のハイエンド版として、本格的な日本語組版機能を具え、アウトラインフォントの リヨービ6書体を標準装備したシステムである。

そしてリヨービが電算写植システム「REONET300」を発表するなど、多様な文字処理シス テムが登場した。その後各システムはハード/ソフトのグレードアップを重ね、また出力 機にレーザ写植機を使うようになり、電算写植システムと電子組版システムの区別が難し くなった(つづく)。他連載記事参照

2001/09/30 00:00:00


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