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50年後,紙の新聞は残っているのか

シンポジウム「2050年に紙はどうなる?」から,共同通信社 メディア局 編集部 インターネットチーム次長 北嶋 孝 氏の講演を紹介する。
新聞をはじめとする紙媒体を主としてきたメディアの将来不安がささやかれる中,北嶋氏は「あらゆるメディアが今,内部でさまざまな議論を続けながら,新しい試みを手探りで始めているのではないか。具体的には,インターネットをはじめとするデジタル化とネットワーク化にこれからどう対応していくかということである」と冒頭で述べた。

新聞の現状

新聞の発行部数
日本新聞協会のデータによると,新聞協会加盟の一般紙とスポーツ紙の総発行部数はじりじり上がっているが,1世帯当たり部数は下がっている。1985年が1世帯あたり1.25部(朝・夕刊セットを1部として計算)。1990年ごろが1.26〜1.27部。その後下がり,現在1.13部である。

新聞界の売上高
1998年のデータでは,新聞界の売上が2兆4900億円,放送が2兆4959億円,出版は2兆6172億円。いずれもおよそ2兆円産業だと言っていいのではないだろうか。これに関しても,ここ3,4年の傾向を見る限り,軒並み減ってきている。
他の企業がどれほどの売上を記録しているかというと,ソニーの3月期の決算は,年間の売上が7兆円を超えている。NTTが11兆円。マスメディア産業が,規模としてはどのくらいかが分かる。

新聞の10年後

再販制度の行方
今の規制緩和の波に洗われて,新聞・雑誌・音楽の再販制度の見直しが進んでいる。これがどうなるかによって,10年後の新聞がどうなっていくのかが左右されるだろう。全国紙などは今,各地方によってページ数が違うが,価格は均一である。しかし,再販制度がはずれると,輸送コストがかかる地域は高くなるかもしれない。

新聞・メディアの再編
・在京大手紙の動向
系列化を進めている大手紙や通信社化に乗り出そうとしている新聞社もある。今後の全国の新聞社が,大手紙の動向に左右されるのではないか。

・在京キー局と地方局の動向
テレビ局は,今後,衛星から番組を配信するようになると,キー局と地方局の系列化の意味がほとんどなくなるので,地方局がどう生き残っていくかがテーマとなる。ほとんどの地方局は,新聞社と深い関係を持っているので,このことも,新聞の10年後には大きな影響を与えるのではないだろうか。

・通信など異業種からの働きかけ
これからは,異業種からメディアに対する働きかけが強まってくるのではないか。海外の企業も国内の新聞社に触手を伸ばさないとも限らない。

・ブロードバンド化の進行
インターネットのブロードバンド化によって光ファイバーの「超高速インターネット接続サービス」を利用できるようになると,動画配信が家庭で低料金で利用できる。そうなったときに新聞の10年後にさまざまな影響を与えるのではないだろうか。

情報のインフラに合わせてメディアを含むコンテンツをどのように作っていくかが今後問われてくるだろう。その際,大事なポイントになるのは,ユーザがどのように変わっていくかということではないか。メッセージを文字に伝えてコミュニケーションするときのインタフェースが,10年後,どのようになるのかによって,新聞の10年後も左右されるのではないだろうか。

50年後の紙は?

北嶋氏は,「イメージとして一体50年後はどうなるのか」という手がかりとして,3つのケースをあげた。

・ケース1:眉村卓のSF「幻影の構成」は,1966年に出版され,時代背景は2020年。日本が舞台で,都市国家に分かれていて,それぞれの都市が,コンピュータによって一元的に管理されており,それらの都市がいくつか連合して国のネットワークを構成しているという前提で書かれている。
一般市民が情報伝達教養娯楽装置のようなものを耳に入れて,全ての情報をそこから吸収する。あるとき事故によって,主人公が「自分たちの暮らしている都市は,なんとなくおかしい」と気付くところから,コンピュータ支配の社会に反抗していくようになる物語である。
この物語では,教育や物事のやりとり,コミュニケーション手段に「紙」が使われるという記述は1度も出てこない。1966年ごろ,恐らく多少戯画化された管理社会は,そういうふうに構成されたのだな,という1つのケースである。

・ケース2:「DO YOU BE」(M.Monk)
ペルー生まれでアメリカで活躍しているメレディス・モンクの音楽を取り上げた。オペラの一部で,高く評価する人も少なくない。彼女の音楽に共通しているのは,常識的に考えている言葉より,イメージ的なコミュニケーションツールとしての言葉。彼女は活字による表現ではなく,ある種の響きが醸し出すメッセージをパッケージ化することによって,自分の表現を絶えず作っていく人だという印象がある。

・ケース3:「エヴァンゲリオン」
時代設定は,2015年から16年。学校生活の描写もあるが,教室で文章らしきものはほとんど出てこない。エヴァンゲリオンという人造戦闘生態ロボットに乗りこんで,子供の脳波とロボット側の装置が同期することによって動き外敵を撃破する。
ここでも,本や雑誌,新聞はあまり出てこない。主人公の碇シンジが基地から抜け出して電車に乗るシーンで,恐らく終点間際で,居眠りしている隣のおじさんの顔にかけているのが本だったというシーンがある…。

「作り上げられた人造的な未来社会に本や雑誌,活字が出てこないということは,逆に言うと,水や空気と同じように,呼吸していて,あえて描かなくてもすむということなのかもしれない」と北嶋氏。そして,「いずれにしても,明示的に出てこないというのは,やはり記憶しておいた方がいいのではないか」と付け加えた。

以上の例に共通して言えるのは,「紙と文字をあまりにも一体化して考えすぎているのではないかという反省がある。実は,われわれの生活の中で文字が占めている構成要素は,非常に小さいのかもしれない。紙や文字を買いかぶりすぎているのかもしれない」と北嶋氏。

ディスカッションでは,将来人口推計から,2050年の日本は,人口1億500万人,高齢化率が32%という統計的な事実から,紙媒体としての新聞の位置が現在と同じというわけにはいかないことが導かれるのではないかと述べ,また,再販制度の行方によってメディアの形が変わっていくだろうと強調していた。

2001/09/28 00:00:00


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