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意外に本質がわからない紙媒体を攻めるのは難しい

我々は印刷とともに生活しビジネスをすることが当然と思っているので、印刷物の存在に何の疑問も持っていないし、印刷が変わるということに意識が向きにくい傾向がある。もし20年前に「2000年の印刷はどうなる?」というシンポジウムがあったなら、きっと「活字はほんとになくなるか?」などの議論がされていただろう。実際にはその10年後には活字が無くなるのは自明のこととなり、業界一般の想像力は10年先にも及ばないものだったかもしれない。

この20年ほどの間にモノ作りの世界は、産業ロボットに代表されるように、FA-CIM-SCMなど機能向上とともにスピード化・小ロット化に向けて大きな変貌を遂げた。現在主流のオフセット印刷は、そういった技術の流れに最も沿いやすい方式であったともいえる。印刷技術はそれ自身で独自に道を切り開いたのではなく、科学技術が産業に及ぼす影響の中で自然に方向が決まるのである。

20世紀末のデジタル化でグラフィックアーツ技術も一層進化したが,21世紀にはさらにバイオ,ナノテク,AIなど科学・技術が加速的に進歩するとみられ,そこで新たな状況が生まれると印刷はどのようになるのだろうか? 現在の新技術が成熟する数年〜10年後と、それ以降〜50年後くらいまでの姿を想像しようという目的で、JAGATは「2050年に印刷はどうなる?」というシンポジウムを開催した。これは「2050年に紙はどうなる?」の続編でもある。

パネラー間の意見の相違の最大の点は、印刷物が残るかどうかであった。東京工業大学情報理工学研究科で画像処理やCGが専門の中嶋正之教授は、全体でまだ50年も経っていないCGの歴史を振り返って、今後の大きな変化を予測した。実質的にこの20年でPCによる写実映像のリアルタイム表示にまで進んだ。現在のPCはハイビジョン程度の表現能力になっており、10年も経てばさらに高画質のものが家庭にも入り、2050年にはIMAXシアタがどこの家庭にもあるようになる。そうなると部屋の一部がバーチャル空間になって、室内の延長で遠隔地とのやり取りとか仮想体験ができることは技術的には問題がないという。そこでは印刷物を介さないでも必要なコミュニケーションができてしまうと見る。

室蘭工業大学の三品博達教授は、仮想空間に人間は満足しないという視点で、印刷物の役割を振りかえり、将来ともPush媒体としての印刷物は残ると考えた。ただ現在のように大量に作って垂れ流すようなことは許されなくなり、印刷物の作り方や業界は変わる。またプリンタで済むものは商売にはならないので、多様化とか印刷技術を使った別の開発に広げて考えるべきとした。2050年の目標は人間らしく生きることで、それを目指しての制作工程の統合化・自動化が進むという考えである。

大日本印刷(株)研究開発センターの高野敦氏は、大量複製を非常に精密に安価に行う手段としての印刷という視点で、液晶ディスプレイが印刷技術で作られているように、将来のディスプレイの製造を担うのに加えて、マイクロマシン・精密機械まで印刷の領域になる可能性や、ナノテクなど展開と、その先に考えられるものとして生物が卵や種から自己組織化するような生体模倣技術というSF的なプレゼンをした。大型ディスプレイの出現はそれなりにインパクトのあるもので、仮想空間の応用には可能性を感じられているようであったが、そればかりではなく多様な情報手段を踏まえておくべきという。

凸版印刷(株)Eビジネス推進本部の藤沢修氏は、IT技術の進歩の予測とその結果として、メディアの種別よりもコンテンツ中心時代の課題をプレゼンした。印刷業務がネット上の業務となるだけでなく、ユビキタスなネット+コンピュータ環境では個人を特定しトラックすることの重要性を訴えた。どんなコンテンツも紙に出さないで流通できるイメージであった。しかし議論にはならなかったが、その時代には印刷物というオフラインで流通できる媒体に新たな意味が付け加わりそうな気がした。

東洋インキ製造(株)の伊賀哲雄氏は、1990年頃からのオンデマンド印刷の構想と現実を総括して、21世紀はさらにネットとの組みあわせで印刷物のカテゴリごとにどのような変化が起きるか起こらないかを予想した。印刷・プリントの方式の変化は単に経済の問題で、それによる印刷物の有無の変化は基本的にはない。若干ディスプレイにシフトする情報はあるにしても、紙が愛される理由は不動であろうという視点である。

このあと世代による違い、紙媒体を使う文化などの議論があり、こういう話は経験的なものなので平行線に終わりがちであった。個々のケースにおいて視点は電子推進派と紙固執派に分かれるのが常であり、電子推進派は仮想体験がメディアの用途の可能性を拓くことと流通の容易さに期待をかけている。紙固執派は、今後も大量生産の印刷物は存続することと、ヒューマンインタフェースとしての紙のよさを主張する。後者の視点では紙と同等の視認性をもったディスプレイというか電子ペーパーのようなものは循環型社会という点で歓迎ムードである。

しかしヒューマンインタフェースに関しては科学的な取組みがまだ不十分で目標が定めにくいことから、紙に代わる電子ペーパーは10年程度ではそう簡単には出てこないだろうという意見もあった。要するに紙の印刷物が残るか他のものに代わるかについては、紙の「よさ」が主観の域を出ず科学的には解明されていないので、あえて過去の紙を使う文化を捨て去る理由が見つからないのが現状のようだ。

関連情報 : 紙媒体と電子媒体の境界

2001/11/04 00:00:00


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