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DTPは印刷を変えた(3)−印刷100年の変革

米国で1985年に誕生したDTPが、日本で話題になってから約4〜5年が経過した1900 年頃における日本での普及過程は、欧米の普及過程と比較すると、だいぶ異なる状況であった。日本には発展普及の妨げになっているいろいろな理由があったからだ。日本語フォントや日 本語組版機能などの問題で、今でも解決されたとはいい難い問題でもある。

今日ではDTPが、欧米におけるOAの手段として企業内文書処理の合理化に寄与し、また 印刷分野では印刷物制作の常識を変えたといわれるほどであるが、そのDTP自体も年々発 展し、周辺機器や技術などの話題が豊富になってきている。

そこで欧米におけるDTP進展の15年の過程を辿ってみよう。15年とは、印刷100の歴 史に比して僅かの歩みであるが、ハード/ソフトや周辺技術の進歩は目を見張るものがあ り、また変化の速度は驚嘆に値する。

1981年頃からCEPS(Corporate Electronics Publishing System)と呼ばれる「企業内 電子印刷システム」のイベントが定着し、そこにDTP関連のハード/ソフトが展示されて いた。日本でもCEPS展が開催され話題を集めていた。

同じ名称でも、レイアウトスキャナのようなCEPS(Color Electronics Prepress System =カラー電子処理システム)とは異なるもので、DTPと共通なコンセプトをもっているシ ステムといえる。

後年にCEPSが姿を消して、DTPの専門ショーとしてSeyboldカンファレンスが年2回 (春・秋)開催されるようになった。1990年にカリフォルニアのサンノゼでSeybold90 が行なわれたが、この頃になるとハード/ソフトの進展が顕著になってきた。僅か10年前 のことである。

このSeyboldカンファレンスは専門家の間でも定評があり、メーカーは競ってカンファ レンスとエキシビションに参加するようになり、日本からも多くの関係者が見学に参加し た。

1987年頃のCEPSにおけるDTP関連の状況を振り返ってみると、アメリカにおけるDTP システムは、誕生後2年間でハ―ド/ソフト両面がグレードアップされ、使いものになる システムが出揃ってきたといえる。

「使いものになる」という意味は、プロの印刷物としての比較ではなく、当初ターゲッ トにしていた企業内印刷物(社内印刷・技術資料・企画資料など)に対してであって、出 版物や商業印刷物となるとまだ解決しなければならない問題は多くあった。

● 文字・画像の統合処理の実現
DTPがもつ大きな特徴は(1)WYSIWYGである、(2)文字・図形・画像処理ができる、(3)共通のPDL(ページ記述言語)を使っているデバイスであれば互換性がある、(4)アウトラインフォントを使うことにより拡大・縮小・変形処理の自由度が高いなどである。

当時でも欧文DTPのアプリケーションソフトにはハイレベルなものが多かった。それに 引き換え、日本では日本語組版機能やフォントに関する多くの課題を残していたのが、日 本語DTPの普及の妨げになっていた。現在でも日本におけるDTPの普及率は40%位といわ れているほど、世界の先進国の中では遅れているほうである。

欧文組版に必要な機能は、どのアプリケーションソフトも備えていた。パッケージソフ トとしてページレイアウト用、画像処理用、図形処理用など、それぞれ専用に開発された ソフトが、共通のOSや言語をベースとして乗り入れが容易にできるのが特徴である。

つまりオープンシステムである。現在では姿を消しているものもあるが、ページレイア ウトソフトとして著名なものに、
1.PageMaker
2.ReadySetGo
3.QuarkXPress
4.Interleaf
5.Ventura Publisher
などがあった。欧文組版機能は、正統派で標準的な「Oxford Rule」や「Chicago Rule」 に準拠しているから、組版機能やレイアウト機能は優れたものである。

いまだ日本語DTPのアプリケーションでは未熟な、自動ハイフネーションやジャスティ フィケーション機能などが既に十分に備えられていた(つづく)。

他連載記事参照

2001/11/17 00:00:00


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