本記事は、アーカイブに保存されている過去の記事です。最新の情報は、公益社団法人日本印刷技術協会(JAGAT)サイトをご確認ください。

棲み分けのマーケットを求めて

塚田益男 プロフィール

2002/2/20

カオスの中の印刷経営(T)その2 (その1はココ

2)競争と一人勝ち  住み分けのマーケットを求めて

いまの社会は小泉総理の構造改革一辺倒である。そして改革の中身は規制撤廃、自由化、グローバル化、民営化、競争社会・・・・・という改革原理主義とでもいうような、かつて英国の鉄の宰相マーガレット・サッチャー氏が繰り広げた保守派の改革である。小泉総理の改革は最終的にはIMFが1997年に韓国、タイ、インドネシアなどで採用した、ドラスチックな改革と同じようなインパクトを持った改革になるだろう。

私は1997、98年のバンコックの経済事情をこの目で見ていた。殆どの銀行が倒産し、一時的に国営化した。街には建築途中で資金不足となり工事中止、立ち枯れた高層ビルが林立していた。出来上がったビルも入居者が見つからず返済計画も実行できず、端から銀行の不良債権となり、所有者の悲鳴の声が溢れていた。金利は天井知らずに上昇し、倒産会社が続出し、失業者は増える一方だった。それでもタイ国にはバックに強い農村があって、失業者を吸収する力があるので暴動騒ぎにはならなかった。

そのバンコックへ昨年末12月中旬に2年ぶりで訪ねたら、すっかり正常に戻っていた。インフレ率も3%前後、給与も2〜3%改訂されるので国民も実質水準のことは兎も角、何となく将来に希望が持てるようになっていた。私は古いパラダイムの亡霊にとりつかれ、固定観念から脱出できず、不良債権山積の日本経済を考えると、小泉さんの改革原理主義のようなパンチのあるプランを実行するより仕方ないと思っている。自己資本が不足している銀行は大手都市銀行であっても公的資金の投入や銀行間の協調を視野に入れ、ペイオフをスムースに実行し、不良債権処理を早め、破綻会社は法的処理をし、規模縮小または合併などをして再出発すべきなのだろう。勿論、この急進的な改革はあくまで新しい経済社会へのパラダイムシフトのための手段であって目的ではない。この改革プランには、大きな、そして克服すべき反作用もあることを意識しておく必要がある。

印刷界の中で見ていても次のようなことが分る。競争環境をさらに強くすると大手企業の一人勝ちになり、下請中小企業の足腰は立たなくなる。マーケットは大手に偏在し、いびつになる。大手と中小の所得格差は広がる一方で、中小の倒産件数は大きくなり、業界構造もいびつになる。生産構造も中小下請がなくなるので弾力性のないものになるだろう。

勿論、いびつになったマーケットや業界構造には、私が著書「カオスからの脱出」の中で述べているように、販売一般管理費比率という調整弁があるので、回復する復原力があると思うが、それにも限度があって、オフ輪、パッケージ、出版などの印刷マーケットについては次第に一人勝ちの構造が定着していくようになる。

この一人勝ちのプロセスに歯止めをかける方法はある。大手のコスト戦略、価格戦略に対し、中小のサービス戦略が有効である。すなわち販売・管理費の質が中小企業の方が、勝っているなら、そして、その勝り方が大手のコスト戦略を上回るほど顧客の満足を引出せるならば、中小印刷界のニッチは安全に確保できるというものだ。そのためには中小の印刷会社の社員教育と管理体制が大手に充分勝るものでなければならないが、果して可能だろうか。

たしかに競争は進歩の母だ。新しい技術や製品を開発したり、新しいマーケットを拓くための競争は人類を豊にする。しかしマーケット全体が縮小する中で、他人が作った機械を買い、他社のマーケットに食い込み、経営の足を引っ張り合いをする、その結果、資本の大きい方が生き残り一人勝ちをする。これは競争とは言わない、闘争というものである。これこそ競争の反作用というべきものだ。

このような現象を起す主たるマーケットは、大手と中規模業者との間に存在する、生産方式が近似しているマーケット、すなわち紙の使用量が大きいマーケットである。現状では混乱状態だから小さなマーケットでも競合が行われており、誠に残念な状態であるが、いづれ正常に復帰するだろう。早く住み分けのできる印刷界になりたいものである。

勿論、住み分けた後でも、技術競争、サービス競争は発生するから全く安住した秩序などは無いものと覚悟しなくてはならない。進歩が止った鎖国300年というような徳川時代は二度と来ないと考えるべきだ。

(続く)

2002/02/20 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会