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ポスト・パソコンのメディアは何を伝達する?

PAGE2002報告 その2

PAGE2002の基調講演は、2001年開催のシンポジウム「2050年に紙はどうなる?」,「2050年に印刷はどうなる?」に続く第3弾であるが、では報告記事の印刷を超えて、ハイタッチを競う、近未来デバイスは、2050年シリーズとしてどのような意味があるのかをはっきりさせなければならない。2050年がどうなるか占う義務はないのだが、自分の想像力のトレーニングとして必要なのである。基調講演のキヤノン・田村秀行氏の複合現実感や特別セッションの朝日新聞社・服部桂氏のユビキタス…ウエアラブル…のお話は、将来何が有り得るのかをおさえる上で重要である。ちょうど、過去において今日のコンピュータ・ネットワークの普及を予測したように…。

服部氏は、未来予測のあたる確率は五分五分であるとしても、未来を見る試みをしていれば、外れた時に何が間違っていたのかを反省することができるといった。1968年の「2001年宇宙への旅」以降作られたメディア環境予測ビデオをいくつか例にあげて、近未来のメディアの変化から逆に現在を見るという試みである。
現在はパソコンとインターネットが新メディアの中心であるが、「2001年宇宙への旅」の段階では主役はIBMのようなメインフレームであり、また最近描かれる未来像ではケイタイをコンピュータにしてしまう。この変化は、大システムの発展の上に未来のメディアもできるのではなく、小さなものが集まって全体で調和を取りながら進むような流れに変ったことを意味すると説明した。

それは「ユビキタス…ウエアラブル…」につながり、デジタル化が意味するものは、既存メディアがデジタルに化けるということ以外に、日常の生活シーンの中にコンピュータやネットワークが埋め込まれて、人間の時間や空間に対する認識の媒介をコンピュータがおこなうようになることである。
つまり、最近は映像のコミュニケーションもネット上で行えて、言葉や文字にならない段階での情報の伝達も一部できるが、もっと気配や雰囲気を伝えられ、例えば遠隔地にいるもの同士がデザインやクリエイティブ作業をするとか、あるいは合気道の稽古をつけてもらうような、五感の領域の伝達にまで広がると考えられる。

言い換えると、もともと我々を取り巻いている文化は人間が感じることのできる全てを含んでるわけだが、コンピュータは単純なロジック以外のものは削ぎ落としてできた情報加工モデルであった。その次のセッションで、国際日本文化研究センター・合庭惇氏は人間が行っていたグーテンベルクの印刷・出版プロセスはすべてコンピュータの中で別のアルゴリズムで再現されるようになったことを振り返って、人に残った技術として可読性や編集を挙げた。そしてコンピュータは以前一旦削ぎ落としたものに取り組みはじめているのである。つまり何でも計量できるものなら、アルゴリズムの工夫で伝達・再現できるようになるといえる。

このように印刷にも当てはめると、先の報告記事はわかりやすくなるだろう。印刷も印刷できないものは削ぎ落としてきたのであって、印刷のデジタル化は言葉や文字以前の情報の復活をも意味する。服部氏は、紙の本は内容を伝えるだけでなく、ページの端が折られていたり、ページの汚れなど使われた履歴も情報として残しているという話もした。よく読まれたページに痕がつくeBookなども面白いかもしれない。メディアの未来像から、あなたはどんなことを想像しますか? 自分の将来のビジネスにどんな仮説が立てられますか? というのが2050年シリーズの主旨なのである。

20世紀までの印刷及びマスメディアの技術は、情報を整理整頓して、「よし」とされる同じものをなるべく多くの人に与えるのを効率的に行うことに専念してきた。その頂点にはプロとしての著者や表現者が君臨をしていた。しかし21世紀的なメディアは、20世紀までのモデルで削ぎ落とされていた生活者一人一人の特有の感覚をも伝える方向にあるのだということがわかる。電子メディアは印刷の置き換えを狙うというよりも、もっと下からコミュニケーション構造を変えようとしている。未来論との関連では、前述のような情報伝達が人間社会の調和の進歩につながるという考えが広く見受けられるように思える。

2002/02/08 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会