本記事は、アーカイブに保存されている過去の記事です。最新の情報は、公益社団法人日本印刷技術協会(JAGAT)サイトをご確認ください。

仮説から導きだされたデジタル革命

社団法人日本印刷技術協会 副会長 和久井孝太郎

JAGAT技術フォーラム2001年報告書「第1章 総論」

1.1.2 デジタル革命と仮説

 デジタル革命と仮説をキーワードに議論を進めるのならば,後述する現代物理学の祖ニュートンと同時代を生き,微分・積分法発明の栄誉をニュートンと分け合った,数学者ライプニッツの仮説を忘れることはできない。ライプニッツこそが現代のデジタルワールドを支配するアルゴリズムの元祖であり,1700年ころすでに2進法の有用性を明らかにした。

 ライプニッツは,段差ドラム式の加算・乗算機を1673年に発明したと言われているが,彼の仮説のスケールの大きさは何と言っても,現代の人工知能やインターネットがその方向を目指しているように,「アルゴリズムで社会問題のすべてを処理できる」と構想したことである。

 アルゴリズムとは有限の手続きであり,定まった一組の記号で書かれ,厳密な指令に支配され,1→2→3……と個々のステップを踏んで進み,それを実行するのに,洞察力も才気も直観も知性も明敏さも必要なく,遅かれ早かれ終わりに至る,問題を解くための一連の手続きである[ディヴィド・バーリンスキ(2001)]。次に,現代のアルゴリズム分野での仮説の重要性を見てみよう。

(1)億万長者ビル・ゲイツの仮説

 1975年にマイクロソフト社を創設し,後に世界の億万長者となるゲイツの場合は,すでに社名に仮説が込められていた。75年は,米国のMITS社がパソコン組み立てキット『アルテア』(インテル社の8ビット・マイクロプロセッサー使用)を発売,『ポピュラーエレクトロニクス』誌がアルテア特集号を組み,ホビーイスト達によって本格的なマイコン(後にパソコン)が誕生した記念すべき年になった。

 『夢』と『仮説』は兄弟である。しかし,賢明な読者はすでに理解したとおり,仮説には志と共に新しい理論やテクノロジーが備わっていなければならない。ゲイツは友人のアレンと共に,ダートマス大学で開発されパブリック・ドメインとして無償で公開されていた対話型プログラミング言語BASICを土台にして,他の誰よりも早くアルテア用BASIC(ソフトウエア開発環境)を開発した。

 将来,高性能パソコンを各家庭に普及させたいというホビーイスト達の夢は,ゲイツが「パソコンの普及はソフトウエアの標準化が鍵」の仮説を持って既存のOS(CP/M)を当時ザ・パソコンと目されていたIBM−PC用に書き換え,IBM社に売り込みパソコン用OS『PC−DOS』として成功することで現実のものとなった。

 商売上手なゲイツは,同様のソフトウエアを自社からもMS−DOSとして発売,矢継ぎ早に,より高性能なWindows などのOSを開発することで,彼の頭上にビジネスの女神マーキュリーが祝福を送ることになった。

(2)インターネットを創りだした仮説

 世界史の最も深い根底にあるものは「世界精神」であり,世界精神は歴史の各段階において「時代精神」となって現象すると言ったのは大哲学者ヘーゲルであった。時代精神を今日的に解釈すれば,時代における文化・文明環境(ミーム環境)となる。

 《ニュートンとライプニッツ》 現代の科学とテクノロジーに対する強固な基礎の創造に貢献した'17世紀後半の時代精神'。そして現代,ゲイツらのビジネスに追い風となリ,世界の多くの市民に「デジタル革命」を実感させているインターネットは,'20世紀後半の時代精神が創りだした',と筆者は確信しているが,インターネットを生み出した仮説には「表の仮説」と「裏の仮説」があったとも論評されている[ニール・ランダール(1999)]。

 表の仮説とは,1950年代後半,東西冷戦構造が進化する中で,ソ連が大陸間弾道ミサイルの実験を成功させると共に,57年10月に世界初の人工衛星「スプートニク」の打ち上げに成功したことで,米国に政治的・軍事的な一大ショックが走ったことに関係がある。大陸間弾道ミサイルによる核攻撃の仮説がにわかに現実味を帯びたのである。

 税金による先端技術開発や宇宙開発などに消極的だった当時のアイゼンハワー大統領は指弾され,1960年の大統領選挙で積極派のケネディーが当選した。国防総省の中に設けられた軍事研究を推進する高等研究計画局(ARPA:1957年設立,後インターネット開発の中核を担う) や国立航空宇宙局(NASA) の規模や機能が急速に強化されていった。'たとえソ連からの核攻撃があっても破壊されないコミュニケーション・システム(サバイバル・ネットワーク)を構築する 'という仮説にも税金を投入して研究を促進する時代精神が醸成された。

 それまでのコミュニケーション・システムは,電話回線網がそうであったように,いくつもの端局を総括局が統括するような,制御中枢を持つシステムだったのである。これでは制御中枢が被害を受ければ,全回線がストップしてしまうことは火を見るより明らかだった。

 そこで当然のこととして浮上したのが,制御中枢のない分散型のサバイバル・ネットワーク構築という仮説である。最初の技術的な提案は,かつて税金で設立されたのだか国家機関でもなければ民間機関でもない非営利組織のシンクタンクRAND社のバランが「分散型コミュニケーション・ネットワークについて(1962)」として発表した。初期におけるもう一人の研究者が英国の国立物理学研究所のディヴィスで,今日よく知られる「パケット通信(交換)方式」の名づけ親である。

 郵便システムは,古くから分散方式で集配局のネットワークが構築されうまく機能してきた。郵便物に限らず宅急便でも小包(パケット)には差出人と宛名が明記されていて物流ネットワークに乗って配達されていく。よしんば交通障害などで通常のルートが使えなくても迂回ルートを使って小包は配達される仕組みになっている。パケット通信方式も基本的には同じ原理である。  先に述べたARPAがインターネットの原点ARPANET構築に予算をつけたのは,1968年のことであった。

 表の仮説に対して裏の仮説とは,研究者たちが自らの志を実現する(コンピュータ・ネットワーク技術開発の資金を得る)ために,冷戦の恐怖心をうまく利用したことを指している。そこで登場するのが,ARPAの初期の情報処理プロジェクト歴代リーダーたちの名前である。

 初代リーダーがリックライダーである(1962 〜64年)。彼はMITの音響心理学者で,米国の防空情報通信システムSAGEの開発に携わった経験を持ち,対話型コンピュータとそのネットワークの重要性を強く認識していた。リックライダーは,「コンピュータはコミュニケーションの道具」との仮説を暖めていた。そのことは『人とコンピュータの共生(1962)』や『未来の図書館(1965)』などに記されている。

 2代目リーダーは,グラフィックス・コンピュータを構想し,コンピュータは「人間の知性の拡張」という仮説を持っていたサザーランドが1965年の1年間を務めた。彼はその後,CG研究を主要テーマに据えたコンピュータ科学の大学院創設に奔走する。

 3代目リーダーは,リックライダーがサザーランドと共にNASAから引き抜いたテイラーが引き継ぐことになった。彼は実験ネットワークへの資金の供与をきめ,1969年にARPANETがスタートすることになった。

 仮説は実証されてこそ意味を持つが,インターネットの表の仮説「如何なる攻撃によっても破壊されないネットワーク」は,宇宙船地球号が健在である時に限り実現していることを私たちは肝に銘ずる必要がある。そして,リックライダーやサザーランンドらの個人的な仮説も今や現実のものとなっているが,これらが世界の人々の知恵の輪を強固なものとし,宇宙船地球号の安全運行に貢献することを期待したい。(つづく)

■出典:JAGAT技術フォーラム2001年報告書「第1章 総論」

■参考:2050年シリーズシンポジウム

2002/05/06 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会