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2050年の印刷を考える 第1章 総論〜2050年曼荼羅

社団法人日本印刷技術協会 副会長 和久井孝太郎

1.2.2 2050年曼荼羅

 毎年発行される通信白書の「情報流通センサス調査」のデータを見ても,私たちを取り巻く情報の量が指数関数的に増加していることが分かる。『2050年曼荼羅』は,このような情報洪水のカオスを透し,50年先の地平に自らの意識の焦点を結ぶために役立つことを願って創作した。

 時代の変化を加速させているのは,科学とテクノロジーの急速な進歩と人間の限りない欲望であることは,歴史を振り返れば明らかである。20世紀最大の発見は,人類生存の本質にかかわる遺伝子(DNA)構造の解明であった[分子生物学の進展]。

 それを可能とした時代の環境は,量子論(量子力学)やテクノロジーの進歩であるが,それはまた前世紀後半にテレビやコンピュータを現実のものとし,世紀終盤のデジタル革命へとつながった。

 21世紀は,バイオやナノ,ロボットなど新しいテクノロジーの進歩が予測されている(詳細は2.6)。その成果は,経済などに関与するだけでなく,19世紀半ばに英国のチャールズ・ダーウィンが提示した『種の起源』の流れをくむ「進化論」の思想的な立場を一層強固なもへと発展させる。

 本年度の技術フォーラムの重要な仮説のひとつは,「最初の四半世紀で,テクノロジーと思想に革新がもたらされ,世界を『人間観の大転換の時代(大パラダイムシフト)』へと導こうとしている」,というものである。

 [注]パラダイムシフト:ここでは思考の枠組みの革命

 進化論は,大パラダイムシフトに関連して極めて重要な思想であり,2050年曼荼羅では遺伝と淘汰のメカニズムを持つ『自己複製子(DNAとミーム)』,『進化』を基本的キーワードとして扱っている。

 私たちの日本文化は,進化論に対しアレルギーの少ない文化である。これに対して,神(God)が自らに似せて人間を創ったとする宗教文化を持つ欧米など世界の多くの国や地域で,進化論に対する根強いアレルギーが存在してきたのは事実であった。

 例えば,米国にはファンダメンタリズムという原理主義がある。その原理主義は,相変わらず進化論に反対し続けている。米国で進化論を論じると,お前は進化論なんか信じているのか,と笑われることがある[養老孟司]。それでも進化論が正しいと頑張ると,じゃあ,お前はサルの子孫だな,それならそれで結構,俺は人間だからなというのがファンダメンタリストの捨てぜりふである。

 しかし,伝統的な人文系文化も大きく変わろうとしている。例えば,米国を代表する科学哲学者ダニエル・C・デネット(タフツ大学)がその著書「Darwin's Dangerous Idea 〜Evolution and the Meaning of Life(1996)」[邦訳山口泰司他:ダーウィンの危険な思想〜生命の意味と進化,青土社 2001.1 ]で指摘しているように,科学とテクノロジーの進歩でダーウィン流のアルゴリズムの何たるかは,ダーウィンが思いついたよりもはるかに良くわかってきた。

 これが,今や,合理・非合理・不合理の壮大な西欧の思想的伝統(デネットが言う「宇宙論的ピラミッド」)を内部から崩壊(脱構築)させようとしている。ダーウィンの思想は,目に見えるもの一切の核心までくい込むことができる一つの普遍的な溶剤(デネットが言う「取扱注意の万能酸」)もしくは解決であることは,間違いない。問題は,その後に何が残るかだ。これまでよりもっと強靭でもっと健全なヴァージョンが,私たちの手元に残されることである[p.705]。

 また,フランスを代表する知識人でミッテラン元大統領の特別顧問であったジャック・アタリは,自著「Dictionnaire du XXIe siecle(1998)」[邦訳柏倉康夫他:21世紀事典,産業図書 1999.6 ]の中で次のような仮説を述べている。

 人間のクローンが当たり前になる。特別な危険がなければ,寿命は 110歳に延びるだろう。もっと後では,ナノテクノロジーは,原子を集めて「物」をつくり,細胞を複製し,自分を修理するロボットをつくり,人体に細胞と同じ大きさのコンピュータを入れるようになる。「物」はほとんどタダとなり,人体の寿命は原理的には無限となる。「ノマディスム」は,分子のハイパー・テクノロジーと旅の礼賛が一つになって生まれるが,そのノマディスムは,バーチャル空間に分子から宇宙までが詰め込まれた世界をつくりだす。だがこれについて私たちはまだ僅かなアイディアしか持っていない[p.9]。

 会員数34万人を誇る世界的な電気・電子工学会IEEEは,代表的な専門家50人の協力を得て2000年に「ENGINEERING TOMORROW」[監訳江崎玲於奈:エンジニアリング

 トゥモロー,オーム社2000.2]をまとめた。その冒頭で次のように述べている。

 21世紀はこれまでで最高の時代になるだろうか。すなわち遺伝子工学と「奇跡の」医薬品や中枢神経の移植によって癌,エイズ,盲目,四肢の麻痺,地上の飢餓が撲滅される時代に。あるいは,最悪の時代となるだろうか。すなわち化石燃料の無責任な消費やスマート爆弾や神経兵器によって,とりかえしのつかない地球規模の気候の変化が起こり,それらが戦争,破壊,疾病,飢饉の新しい悩みの種となる時代に。

 瞬時に行われる世界規模の通信手段によって,圧制下にある諸国民が,知識,力,残虐行為の停止を求める監視の目を味方に付け,解放の日を迎えるのか?

 それとも,瞬時に各地で同時に行われる通信手段によって,個人のプライバシーが侵害され,新しいタイプの束縛や欺瞞がもたらされるのか?

 未来が最終的に何をもたらすかは,主に次の二つの要因にかかっている。一つはどのようなテクノロジーが利用できるか,もう一つは社会の関心がどこにあるかである。いずれにしても何か行動を起こして下さい。自らの信念と良心に従って現実の世界で行動を起こして下さい[p.1〜3]。

(1)曼荼羅の構造

 『2050年曼荼羅』は,私たち(人間)に求められる基本的なスキルを中心として,総合的に考慮すべきキーワード(重要なミーム)の有機的な相互関係をパターン化したもので,パターンの原則は次のとおりである。

 曼荼羅の右半分の領域は,「生命」と「生態系」が重要な役割を担う領域で「進化」が主要な評価尺度である。進化とは,生命原理(遺伝・淘汰)に基づく変化で,本来は人間の価値観から独立していて価値中立であることに留意すべきである。

 現在地球上に存在する,一つもしくは多数の細胞からなる人間を含む生命体は,設計図の情報メディアとして,DNA(遺伝子本体の物質:デオキシリボ核酸)と呼ばれる高分子を採用している。また,ゲノムという表現は,一生物の全遺伝情報(設計図)のことである。

 一方,文化の自己複製子ミームは,まだDNAのような精度の高い確固とした遺伝メカニズムを持たず,たくさんのミームが集まってミームスープ(文化や複製システムなど)を形成している状態にある。だが将来,自ら子孫を作り出すロボットや超AIなどミームのマシーン化が実現し進歩すれば,状況は一変するだろう。人間の生存環境とかけ離れた宇宙に進出して行く私たちの子孫が,ロボット的であるなど十分に想像できる。

 曼荼羅の左半分の領域は,マシーン(工作物)およびそのシステムが重要な役割を担う領域で,人間の創造力と「進歩」が主要な評価尺度であることに留意してほしい。進歩は人間の価値観に基づく変化である。バイオやナノやロボット,デジタルなどの創造的テクノロジーに,生命関連の知識が深く関与する時代に入った。アタリやIEEEが指摘している問題を吟味する必要がある。

 曼荼羅の上半分は,人間活動のよりマクロな領域であり,下半分はよりミクロな領域である。マクロを代表する基本的キーワードは,「宇宙」と「文明(civilization)」と「文化(culture)」である。

 一方ミクロは,今や原子や分子レベルのナノ(10-9 m)が操作・制御の最先端となっている。基本的キーワードは,「量子論他の自然法則」や「細胞・ゲノム・DNA」や「原子・電子・分子」である。

 量子論他,現代の自然科学は,ミクロの根底に「素粒子」を据え,「核子+電子」「原子」「分子」の階層構造を積み上げ「宇宙」に至る世界観に立脚,生命現象を含む自然法則の解明を進め,テクノロジーと一体となって大パラダイムシフトへと向かう。

 以上述べたように曼荼羅は,主要なキーワード(主要なミーム)の有機的な相互関係を表している。なお本プロジェクトの議論過程で,基本的キーワードとしての文明と文化について再定義が必要であった。

(2)「文明」と「文化」,そして「ネットワーク文明」と「ミーム文化」

 20世紀の文明論に焦点を絞れば,「文明」はおおむね三つの基本条件のもとに成立するとされている。(1)都市:自然を耕作(cultura) するにとどまらず,自然との間に障壁を設けて人間独自の生活圏を構築する。(2)都市に集まる多量かつ多様な人々を統治するための政治,行政,官僚組織,社会的分業体系等。(3)多様かつ多量の人々に指示・情報を伝達し,記録するための文字[岩波哲学・思想事典]。筆者は,これに(2)では「市場」,(3)では「メディア」を付加する。

 一方,「文化」は耕作,教養,生活等を代表する言葉として使われてきたが,文化人類学では「一定の人間集団の生活様式の全体」を意味している。文化概念が今日なお重要性を持つのは,それが世界の多様性を,その各々の相互還元不可能性とともに示唆し,今後の世界ビジョンの基本を提示していることによる[岩波哲学・思想事典] 。筆者は,文化と広義の「環境問題」を一体と捉える。この問題は,例えば佐倉統が議論している[現代思想としての環境問題〜脳と遺伝子の共生,中公新書1075,中央公論新社1992.5]

 次に,わが国では『文明の衝突』の著者として著名な,米国の国際政治学者サミュエル・ハンチントンの文明と文化認識を見ておきたい。「第一に,単数形の文明と複数形の文明ははっきりと区別される。* 第二に,文明と文化は,いずれも人々の生活様式全般を言い,文明は文化を拡大したものである。第三に,文明は包括的である。文明は最も範囲の広い文化的なまとまりである。村落や地域,民族集団,国籍,宗教集団などはすべて,さまざまなレベルの文化的異質性を含みながら,固有の文化をもっている。 第四に,文明は滅びる運命にあるが,きわめて長命でもある。 第五に,文明は文化的なまとまりであって,政治的なまとまりではない」 *[筆者注]日本人はこのあたりの認識があいまいである

 ハンチントンは,世界で8つの文明を提示している。中華文明・日本文明・ヒンドゥー文明・イスラム文明・西欧文明・ロシア正教会文明・ラテンアメリカ文明・アフリカ文明がそれである。

 最後に社会科学分野ではどうだろうか。公文俊平著『情報文明論』を見てみよう。「文明とは,文化を設計原理としながら,環境要因やその他のさまざまな要因の影響もうけつつ意識的に形づくられる,精神・物質の両面にわたる人間の社会生活パターンの複合体である。

 これに対して文化とは,社会の成員の間でほとんどそれと意識されないままに学習・適用・伝達されていく,人間の行為のさまざまな側面の採用原理の,ひいては文明の設計原理の複合体である」

 公文は,社会科学分野でのいろいろな文明,文化論を論評した上で図のような文明と文化に関するモデルを提案している。図では「主体選択」が明示されている。公文は,主体について次のように述べている。

 「人間には単に物体や物質,生体としてそれをとらえるだけでは不十分な側面,人間をしてまさに人間たらしめている側面がある。それが「主体的存在」としての人間の特質にほかならない。

 すなわち,高度に発達した情報処理(情報の獲得・加工・貯蔵・伝達等)能力と環境制御能力をもっていて,客観的な意味だけでなく主観的(自覚的)な意味でも,なんらかの手段を使用しながら「目標追求」つまり「合理的」に行動する存在としての側面や,そういうものとしての自分自身やそれを取り巻く世界について自覚的な反省もできる側面が,それである」

 このように『主体的存在としての人間』を考えることは,西欧哲学の伝統でもあるし,私たちの一般常識でもあるだろう。だがミーム的な見方は,『主体は遺伝子とミームであり,個々人の精神や魂はミームの相互作用によって形成される』と考える。そして,進化は価値に対し中立の立場である。この点に留意すれば,図は今後の議論でも役立つ。 【ネットワーク文明】20世紀終盤,インターネットを中核とするデジタル革命が勃発して,「ネットワーク文明」は21世紀の新しい局面に入った。

 18世紀に始まった産業革命以降,鉄道ネットワーク,汽船による海上交通ネットワーク,物流ネットワークが国境を越えて拡大した。これに伴って,19世紀(ビクトリア時代)のインターネットと評される電信ネットワークが世界規模に発展した。

 20世紀に入ると新聞,雑誌,各種印刷物や映画などの物流的マスメディア・ネットワークが拡大し,世紀後半に入ると自動車と高速道路,航空機ネットワーク,石油パイプラインやタンカー,電力など大量高速輸送ネットワーク,電話や放送ネットワークなど多様で膨大な情報ネットワークが構築され,為替や株式市場などコンピュータ通信ネットワークが地球規模に拡大して24時間眠らない市場が出現した。そして今やデジタル革命の進展で,土の上の伝統的な「リアルワールド(旧世界)」の他に,全く新たに「デジタルワールド(新世界)」が出現し人類は文明と文化の大転換期に入った。曼荼羅では,未来の「ネットワーク文明」を代表するキーワードを「ミーム文化」との関連において「ロボット」とした。

 【ミーム文化】人類の歴史は,非言語コミュニケーションの文化から言語コミュニケーションの文化へ,さらに高度な情報伝達・記録・複製能力を持つネットワーク文明の文化へと進化,そして21世紀,新しいミームマシーンとしてのロボット等と人間が共生する新たな文化へと進化しようとしている。

 このような状況を的確に把握するために,作業仮説としてミーム学の仮説を導入することとし,文化の表示をあえて「ミーム文化」とした。

(3)ミームの概念とは何か?

 ミームの概念を最初に提案したのは,英国の動物学者リチャード・ドーキンスである。ドーキンスは,著書「THE SELFISH GENE」[邦訳]『利己的な遺伝子』の中で,「ミーム〜新登場の自己複製子〜」と題した章を設け次のように述べた。

 生物種としての「人間の特異性は,「文化」という一つの言葉にほぼ要約できる。もちろん,私は,この言葉を通俗的な意味ではなく,科学者が用いる際の意味で使用しているのだ。基本的には保守的でありながら,ある種の進化を生じうる点で,文化的伝達は遺伝的伝達と類似している。・・・・

 文化的伝達は何も人間だけに見られるのではない。人間以外の動物に関するものとして,私が知っている一番良い例は,ニュージーランド沖の島に住むセアカホオダレムクドリという鳥のさえずりに見られる例で,・・・・セアカホオダレムクドリのさえずりは,明らかに非遺伝的な方法で進化している。しかし,・・・・

 文化的進化の威力を本当にみせつけているのは我々の属する人間という種なのである。言語は,その多くの側面の一つに過ぎない。衣服や食物の様式,儀式・習慣,芸術・建築,技術・工芸,これらすべては,歴史を通じてあたかもきわめて速度の速い遺伝的進化のような様式で進化するが,もちろん実際には遺伝的進化とはまったく関係がない。・・そもそも遺伝子の特性とは何だろうか。自己複製子だということがその答である。物理学の法則は,到達しうる全宇宙に妥当すると見なされている。生物学には,これに相当する普遍妥当性をもちそうな原理があるだろうか。・・

 むろん私はその答など知らない。しかし,もし何かに賭けなければならないのであれば,・・・・すべての生物は,自己複製を行う実体の生存率の差に基づいて進化する,というのがその原理である。自己複製を行う実体として我々の惑星に勢力を張ったのが,たまたま,遺伝子,つまりDNA分子だったというわけだ。しかし,他の物がその実体となることもありえよう。かりにそのようなものが存在し,他のある種の諸条件が満たされれば,それがある種の進化過程の基礎になることはほとんど必然的であろう。

 ・・・・私たちはそれと現に鼻を突き合わせているのだ。それはまだ未発達な状態にあり,依然としてその原始スープ* の中に不器用に漂っている。しかしすでにそれはかなりの速度で進化的変化を達成しており,遺伝子という古参の自己複製子ははるか後方に遅れてあえいでいるありさまである。

 *[筆者注]スープ:人間の文化や工作物,複製システム

 新登場のスープは,人間の文化というスープである。新登場の自己複製子にも名前が必要だ。文化の伝達の単位,あるいは模倣の単位という概念を伝える名詞である。模倣に相当するギリシャ語の語根をとれば<mimeme>ということになるが,私のほしいのは,<ジーン(遺伝子)>という言葉と発音の似ている単音節の単語だ。そこで,上記のギリシャ語の語根を<ミーム(meme)>と縮めてしまうことにする。・・・・

 楽曲や,思想,標語,衣服の様式,壺の作り方,あるいはアーチの建造法などいずれもミームの例である。遺伝子が遺伝子プール内で繁殖する際,精子や卵子を担体として体から体へと飛びまわるのと同様に,ミームがミームプール* 内で繁殖する際には,広い意味で模倣と呼びうる過程を媒介として,脳から脳へと渡り歩くのである。

 *[筆者注]プール:自己複製子の供給源

 科学者がよい考えを聞いたりあるいは読んだりすると,彼は同僚や学生にそれを伝えるだろう。彼は,論文や講演の中でもそれに言及するだろう。その考えが評価を得れば,脳から脳へと広がって自己複製するというわけである。

 私の同僚のN・K・ハンフリーが,本章の初期の原稿を手際よく要約して指摘してくれているように,「・・・・ミームは,比喩としてではなく,厳密な意味で生きた構造とみなされるべきである。君がぼくの頭に繁殖力のあるミームを植えつけるということは,文字通り君がぼくの脳に寄生するということなのだ。ウイルスが寄生細胞の遺伝機構に寄生するのと似た方法で,ぼくの脳はそのミームの繁殖用の担体にされてしまうのだ。これは単なる比喩ではない。例えば,「死後の生命への信仰」というミームは,世界中の人々の神経系の一つの構造として,莫大な回数にわたって,肉体的に体現されているではないか」

 ドーキンスは,「ミーム」というミームを増殖させた他にも,関係者によく知られているように「利己的遺伝子の理論」と呼ばれるミーム複合体を増殖させた張本人である。利己的遺伝子というのは,私たちは主体的な存在であると自覚しているのに,遺伝子の側から見れば,『私は』遺伝子を存続させるためだけに存在する乗り物と理解できるという理論。これを発展させたのが,「人間は遺伝子とミームの乗り物」の概念である。

 ミーム学の今日的な状況については,ウエスト・オブ・イングランド大学のスーザン・ブラックモアがその著書「The Meme Machine(1999)」[邦訳垂水雄二:ミーム・マシーンとしての私[上,下],草思社 2000.7 ]で要領よく紹介している。

 ミーム学はまだ仮説の域を出ていないが,ネットワーク文明の力を借りて着実に進歩するだろう。いずれにしてもミーム概念は,曼荼羅的な総合的なものの見方に力を貸す。

 曼荼羅の4隅枠に左上から時計回りで,「ロボット」「環境問題」「バイオテクノロジー」「ナノテクノロジー」を配置した。それが具体的にどのようなことを意味するのか?

 ロボット,環境問題,バイオテクノロジー,ナノテクノロジーを取り囲む小円群にサブ・キーワードを例示した。

 曼荼羅の『人間(私と他者)』の周りで,時計の12時の位置に『志』を配置してあるがミーム概念を導入しても,自己中心を排除した志の重要性は変わらない。ただ,私たちのメディアリテラシー概念に,ミーム概念を複合化することが必要になる。曼荼羅自体がミーム複合体であることも理解できた。

 ミーム概念は,生物学的世界にデザインを生じさせたのと同様の,自己複製子の力を通じて人間の生活,言語,および創造性が生じた道筋を理解させてくれる。例えば,世界がネットワーク文明へと進歩したのはなぜか?

 それはミームの自己増殖にとって好都合だからである。

 それでは,インターネットや携帯電話の応用で,SEXや食事(色気と食い気),競争に役立てる(強いものが勝ち残る)ための利用が多いのはなぜか?

 言うまでもなく,人間の生物学的な遺伝子(DNA)と文化環境的な遺伝子(ミーム)の双方にとって好都合(DNAとミームの共生効果)だからである。だが,自己複製子たちの専制にまかせてよいのだろうか?

 数学と科学とテクノロジーが急速に発展しているのもミームを想定すれば,容易に理解できる。これらの分野は,合理的ミームの巨大な複合体を構成しており,ミームの自己複製の忠実度が高い。そして,この複合体が進化することで他の大方のミームも恩恵を受ける。

 このように考えてくると,大パラダイムシフトも,2050年曼荼羅の妥当性も容易に見えてくる。だが,問題が2つある。(1)ミーム概念が科学として妥当か?

 (2)世界は魂を持たないミームとDNAに駆動されているに過ぎず,魂を持つ主体としての『私』はどうなるのか?,である。

 (1)については,「科学者は絶対的な意味では,理論を証明することはできない。証拠は結局,実際的な経験によるしかない」従って,これからも科学的な証拠を挙げて答えていかなければならない。ミーム学の現状を理解した上で概念を活用する。

 (2)については,ブラックモアが自分の意見を詳しく述べている。「『私』は,究極のミーム複合体である。私たち人間はミームマシーンであり自己であるという同時に2種類のものなのである。

 第1に,私たちは客観的には肉と血をもつ個体としての動物である。私たちの体と脳は進化の長い時間の中で遺伝子とミームの両方に作用する自然淘汰によってデザインされてきたものである。私たちの一人ひとりは独特であるが,遺伝子それ自体はすべてに先行する生き物に由来するものであり,もし私たちが繁殖すれば,遺伝子は未来の生き物に入り続けるだろう。

 そのうえ私たちの言語を操る能力と,ミーム的環境のゆえに,私たちはみな膨大な数のミームの宝庫であり,そのうちのあるものは単なるたくわえられた情報の一片にすぎないが,別のものは自己防衛するミーム複合体として組織される。

 ミームそれ自体は他の人間に由来するものであり,もし私たちが言葉をしゃべり,字を書き,コミュニケーションすれば,さらに多くの人に入り続けるだろう。私たちはこうしたすべての自己複製子と,与えられた環境におけるその産物からなる,一時的な集合体なのである。

 もし邪魔になる神話的な自己についての関心がなければ,別の人物が何を必要としているか,与えられた状況下でどうふるまうかを理解するのは容易である。おそらく真の道徳性の大部分は,何か偉大で高貴な行為を引き受けることよりもむしろ,私たちが普通にしている有害な行為,つまり自己という偽りの感覚を持つことに由来する有害な行為をすべて止めることであろう。

 私たちは人間,体,脳,ミームとして,存在するのはそれだけだということを知った上で,自己複製子と環境の複雑な相互作用としての人生を生き抜くこともできる。そのとき,もはや私たちは利己的な自己複合体の犠牲者ではない。この意味で私たちは本当に自由になることができる。」

■出典:JAGAT技術フォーラム2001年報告書「第1章 総論」

■参考:2050年シリーズシンポジウム

2002/06/03 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会