本記事は、アーカイブに保存されている過去の記事です。最新の情報は、公益社団法人日本印刷技術協会(JAGAT)サイトをご確認ください。

DTPとグラフィックアーツの広がり

写植や製版業界がDTPと名前を変えたように、DTPでサバイバルを考えている人は多い。しかしDTPで仕事をしていると、どんどん広がっていくので、DTPには自分の将来を託す価値があると自信を持っている人はどれくらいいるだろうか。今日ではWEB制作がDTPにもっとも近い作業であるが、WEBではそれほどもうからないという定説がある。それでも顧客からの要望が強くて、せざるをえないという話も聞く。我慢してやっていれば何か先が開けるのだろうか。

一般にDTPという言葉に含まれている内容は、DTPソフトなどDTP制作ツールや入出力装置設備などDTP環境と、レイアウト・流し込みなどなどのDTP作業に大別されるだろうが、はっきり言ってどちらも先の展望はそれほでない。DTPソフトには、そのうち次世代の大きな変革があるのだろうが、今のQuarkやAdobeは大変革は用意していないので、変化に乗じたビジネスチャンスというのは当分ないだろう。WEBが商売にならないのは、WEBページはサーバで自動的に生成される方向にあり、到底手作業はその生産性にはかなわずに、安い値段でやるしかないからである。

ではどこに突破口があるのか。WEBに関しての人間の作業は、そのページを送り出す仕掛けと、デザイン的には基本設計やテンプレートになる。WEB制作という作業で関わるのなら、システムの仕掛けをうまく作る人と一緒にやらないと浮かばれない。DTPの制作は制作工程の簡素化に向かっているので、なにしろ中間工程を省く努力が続き、それが終わるまでは作業に関わる人々の「取り分」は下がり続けるであろう。こういう変化が落ち着き出したら、伝統工芸のように品質の高いブランドのあるところが、よい仕事を集めてそれなりの値段がつけられるようになるだろう。

いずれにせよ、DTPもWEBも目下の取り組み方では広がりはなく、むしろ最適化・スリム化を考えた方が利益が上がると判断される。過去はDTPソフトの登場で世界が変わったようにソフトのインパクトが大きかったのだが、何時の間にかユーザは「アプリケーション待ち」という受身の姿勢に慣れて、自分達のノウハウをどう磨き上げるべきかという課題には関心をよせなくなった。しかし、パソコンとDTPソフトがあるだけで、他の世界にはないノウハウを持たないならば、DTPといえども将来のサバイバルはない。

もともとグラフィックアーツというのはどのような技術・技能であったのかを、もう一度考えてみるべきである。文字表現なら、手書き浄書、木版、活字、写植、デジタルと変化し、今では印刷用に開発されたフォントがWEBのデザインにも引き継がれているように、どのような技術を使っているかとか、どのような媒体に出力するかなどは、その時々の諸環境によって決定されることで、要は人間が情報を目で見て、認知し易くするための技法がグラフィックアーツであり、それは人間の視覚的な媒体によるコミュニケーションがある限り継承される世界なのである。

いくらグラフィックアーツがなくならいないといっても、今ではプリンタを買えば何々フォントがつく、ソフトを買えば何々フォントがつく、また100書体いくらで安いCD-ROM版フォントも一般向きに売られていて、かつての写植のような専門業種は存続し得ないかのように見える。では我々は他の世界にはないノウハウを持ちえないのか? いやたとえフォントの入手がいくら容易になっても、そのフォントの使い方に関する知識や技能の差がプロの条件になるのである。過去からグラフィックアーツに関わってきた人が、DTPのコモディティ化の中で、何を深めるべきかを考えるべきである。

JAGATでは、グラフィックアーツの奥の深さを認識するとともに、それを将来コンピュータのアルゴリズムにすることを目的に、2000年頃からエッセンシャルシリーズというセミナーを開催し、「書体」「色」「レイアウト」などのテーマを採り上げている。プロならば、やはりグラフィック表現をよくしようという議論が、この業界内に渦巻いている必要があるはずである。掘り下げて関心をもってみようという方には、一人でも多く参加していただきたい。

関連情報 :  さまようワープロの亡霊

関連事業予定 : 6月21日(金)DTP時代のレイアウト方法論
            7月5日(金) 書体の変遷と表現技術

2002/06/20 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会