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字形議論は、漢字文化の問い直しから

ローマンでも明朝体でもセリフのある字の特徴は、彫ることに由来している。明朝体は、「言」の書き出しが点ではなく横棒になっているように、彫る効率を上げる都合で縦線を少なくして横線が多いデザインにしたと思えるふしがある。よくいわれることだが、文字を書く道具が字形に大きな影響を与えてきた。毛筆でも書きにくいところは、はしょった字形が定着し、行書、草書などのスタイルができた。行書と草書では書き順の違う例も珍しくはない。それぞれの書く道具の世界ごとに漢字の伝統というのが確立し、書体によって字形の違いがあることは引き継がれている。

だから漢字の定義は書体からくる字形差には左右されないというルールの上に漢字の文化の多様性がある。印刷文字なら明朝体とゴシック体のデザイン差は文字コードとは別次元の話であるところに、書体デザインの自由度というのも保証されている。かといって全く自由に字形のデザインをしていいわけではなく、暗黙のルールというものがあり、「言」の書き出しを点にする/しないなどのエレメントの一貫性は必要である。しかしこれは大きなトラップでもある。一貫性の適応を杓子定規に行えば、「鴎外」とか「冒涜」などの字形を創造することにつながるからである。

このようなことを避けるには、デザイン面のクリエイティビティ以上に漢字の伝統に対する造詣が必要になる。この作業は書体デザイナ一個人の手に余るものかもしれないので、写植メーカーなどでは調査の人を別に置いていた。実際は若干の不統一はあったにしても、こういう体制によって印刷用漢字の字形品質は保たれていた。印刷文字、特に正字というのは康煕字典を拠り所にする場合が多いが、字形の成り立ちを考える上では康煕字典はそれほど参考にはならず、小篆や干禄字書あたりまで漢字文化をさかのぼって調べることが行われていた。

民間のフォント流通の場合は字形の不統一がいくらかあっても使われてきたが、文字の規格となるともっと厳密な態度が要求されるにもかかわらず、字形調査という点ではサンプリング主義になりがちで、漢字の成り立ちや多様さのある漢字文化の理解とは離れたところで決めようとする傾向があった気がする。印刷文字を扱う人は康煕字典に立ち、書き文字については唐の書聖に立つというのはそれぞれ漢字文化の一面であり、どちらかに偏るのも、両方をミックスするのもおかしい。両方を包含するような視点でまとめなければならないのだろう。

実際問題として康煕字典体と書写体を包含して考えることは容易ではないのは、日本と中国の交流が途絶えた唐の終わりから宗の木版文化までが重要な時期であるからだ。ここらへんが明らかではないにもかかわらず、自分が頼りにしている康煕字典でも書聖の石碑でも金科玉条にして他を間違い呼ばわりするのでは字形議論は収束しない。漢字の伝統の厚み・奥行きを気にしながら議論する必要がある。

逆に異なる漢字文化をミックスして新しい字を作るのは、長い目で見れば愚行である。フォントを作る人は、行書の字を康煕字典体で作れとか、康煕字典体の字を行書にしろなど、無理難題も受けてはいるが、一応前述の漢字の成り立ちにさかのぼってエイヤと決めているのだろう。
しかしそれを規格のレベルでやったら大事である。その例が当用漢字・常用漢字や83JISである。それぞれの背景を考えれば、仕方ない面もあるのだが、現実にこれらは火種になり、また禍根を残した。

今日の漢字に関する要求は、字形を増やせという意見と、これ以上いじらないで欲しいという意見があり、それぞれの理由を明らかにするとともに、そのソリューションとして文字コードで解決すべきものか、書体切り替えで解決すべきものか、などについて、漢字文化を背景に問い直してみる時期ではないかと思う。

2002/07/21 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会