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同じ漢字文化でも日本と中国ではいろいろな差がある

第2次大戦後の当用漢字制定は新聞などの大手マスコミが後押ししたこともあって、短期間に日本の国語政策を大きく変えたが、それでも実際の印刷物としては、戦後10数年間は旧字体の出版物も販売されていたように思う。出版物の再版までは活字を組んだものや紙型を保管していたので、全テキストにわたる文字の置き換えができなかったからであろう。

旧字体は実は著者側には残り、戦前に字を習った方は今でも原稿に旧字体を使われる。人間の教育をやりなおすわけにはいかないので、移行には数十年はかかることになる。日本から離れると、1980年代においても、LosAngelsの羅府新報というアメリカ在留日本人向けの日本語新聞とか、ブラジルの日系人向け日本語新聞では旧漢字で組まれているものがあった。

これらは日本の漢字政策の強制力が及ばない「辺境」において、古い文化が生き残った例であるが、日本人にとっての漢字というのも、中国からみれば「辺境」に残った古い文化的なところがあるのかもしれない。中国では皇帝が代わると前代までの歴史書がまとめられ、木版の立派な書物となった。だからそれら木版の字は適当なものではなく、非常に権威をもった文字という意味あいがその後も続くことになる。

唐のころは皇帝自ら書をたしなむなど、字を書くことが教養・芸術になったが、宋になって今度は木版も芸術の域になった。このように文字の威厳が木版にシフトしたとも思える時期があった。その後木版はポピュラーになって後の明朝体になった。これは経典(大蔵経、一切経)として日本にもたらされ、お宝扱いされたが日本で印刷文字が公式になることは明治までなかった。つまり中国では印刷書体が公式な意味をもったのとは対照的な違いがある。

日本の漢字の辺境性というのは、印刷書体確立以前の書写の形が唯一のよりどころという時代が何百年も続いたことである。それは必ずしも無駄ではなく、書き文字尊重は、江戸時代においてさまざまな江戸文字と呼ばれる書体を作り出したことに結びついている。それはその後レタリングの興隆に結びつき、大正時代のアールデコ風漢字、映画の字幕、また写植の時代になるとさらに多様なデザイン文字を生み出した。
このように大衆文化先導の日本の弱かった点は文字の権威づけであり、戦後の当用漢字以来今日の文字コードまで苦労しているところである。

今は電子テキストになって、書体や字体は後で変えられるように思えるが、石に彫るとか建物の一部となる文字は100年以上見られることを考えて選ばれるだろう。今の世の中の変化にすぐには対応しない文字もあることを忘れてはならない。短期間に字体・字形の結論を出そうとすることは、長い歴史で見ると徒労をしていることになりかねないように思える。

テキスト&グラフィックス研究会会報 Text&Graphics 189号より

2002/09/24 00:00:00


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