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今、コンピュータは56歳。その秘めた力は…

20世紀の科学技術は、核による人類破滅の恐怖で人を脅かす一方で、物質的な豊かさももたらした。モノ作りの技術は大いに発達し、高精度なものが何億個でも大量生産できるようになったからである。ただし必要なものが何でも手に入るようになったわけではない。戦争で兵器が発達するように、商売になると考えられるものに投資がされただけであり、アメリカではエネルギー浪費の一方で電力会社がつぶれるような社会のアンバランスを拡大している面もある。

今後もモノ作りに科学的な手法が活用されることは間違いないが、20世紀のような「夢」を実現してくれる科学技術という位置づけではなくなるかもしれない。モノ作りの効率化とは、最小の投資で最大の利益を得ようとするコスト削減優先主義であり、それは雇用の減少や賃下げにしばしば結びつく。ビジネスにとって未開の地の発見とか、人々の暮らしに幸せをもたらすようなものは、科学でなんとかならないのだろうか?

21世紀はバイオ・ナノテク・ロボットのキーワードで幕開けをした。これらテーマも当面は既存の経済に益することを狙うものであるが、それらの領域が持つフロンティアとしての意味は、DNAの組み換えに対しては「神の領域に手を出さない方が…」という意見が強いように微妙である。
20世紀後半の50年で核やコンピュータ・通信が飛躍的に発展したように、これらの技術があと20〜30年で飛躍的に伸びるとすると、単に経済発展を云々するだけでは済まず、倫理・心の問題が不可避になる。情報やメディアに関しても同様である。

ニュースで、チェスのチャンピオンとコンピュータの対決が時々話題になる。ある年にコンピュータが勝ったが、次の年には人間が「捨て駒」を打つなどコンピュータの判断を惑わせるような攻め方をして勝った。しかしその後はコンピュータも「撹乱作戦」を見抜くようになり、人間のチャンピオンは負けてしまった。
いくら偉い先達がいても生身の人間は0歳で始まって脳は100歳くらいで飽和してしまうが、コンピュータは記憶が衰えることはないし、アルゴリズムも積み上がる一方である。今まではコンピュータは「所詮道具に過ぎない」といっていたが、それは生まれて間もないころの限られた機能に対しての見方であって、今後も不死身のコンピュータのことは別に考えなければならない。

1946年に登場したENIACから数えると、まだコンピュータは56歳で、そのうち30年ほどはほとんど計算だけしてたわけで、機械翻訳がやっとそこそこになりだした程度であり、人間の英知といいうレベルの処理がまだできないのは当然である。しかしコンピュータは何語も覚えたものは忘れないので、過去の学問研究も次第にコンピュータ上で処理されるとともに、コンピュータがもっとも物知りになる日はいずれくるであろう。

最近は電話帳代わりにWebで検索をする人も増えている。印刷関係ではAdobeJapan1-5の20000漢字がパソコンに実装とかの時代になりつつあるが、近いうちに漢字を横断的に調べるには、紙の資料を探すよりもコンピュータ・ネットワークの方が便利になるであろう。それはまだ「道具としてのコンピュータ」という20世紀的な使い方であるが、これからは知的労働の一部がコンピュータに取って代わられるとか、人がコンピュータに教えを請うのが当たり前になるとか、自分をコンピュータに評価していただくなど、コンピュータがスーパー人間になって文化的な変容を起こすかもしれない。

前回のPAGE2002では,かつて考えた紙媒体を電子媒体が置き換えることが起こっているのではなく、デジタルメディアは紙とは別の道を歩み始めていることが分かった。今後10年でコンピュータの能力が2〜3桁向上すると,情報・コミュニケーションの世界は大きく様変わりすると考えられる。そこでは「道具としてのコンピュータ」という捉え方を超えて発達することを想定しなければならない。

そこでPAGE2003では,機械知識やユビキタスコンピューティングなどで、ビジネスや人々のライフスタイルがどう変わっていくのかを考え、メディアに関わる方々が将来どのようなビジネスのシナリオを作ればよいかを探ろうとしている。ぜひ基調講演の「人に迫るコンピュータ」 向殿 政男氏(明治大学理工学部長)、「コンピュータを着て暮らす」 塚本 昌彦氏(大阪大学大学院助教授) セッションにご参加ください。

2002/12/24 00:00:00


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