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情報流通量を増やすだけでは意味がない

人間は生存のために外部の情報を必要としているだけではなく、古来から暇があれば人としゃべったり想像をしていた。それらが積もり積もって星座の話もできたのだろうし、宗教・思想・学問として口述伝承され、さらに図像化文字化され、今日に至っている。人類の過去の情報でそれほど失われたものはないように思える。 しかし死後も情報を残す人は例外中の例外のようなものである。個人の人生の中で見聞きした膨大な情報のうち、後世に残るものは殆どない。それは個人の経験はその人にとっては重要な情報だと思うかもしれないが、歴史の中でみると殆どは繰り返しであり、いちいち残す必要はないものなのだろう。

この、消滅する個人の情報と、蓄積される人類の情報という、一見すると矛盾するような事柄は、よく遺伝子に例えられる。生きている人間の役割は次の世代に遺伝子を伝えるものであるということで、虫も植物も遺伝子のバトンタッチさえできれば滅んでよいのである。情報というのは「遺伝子」のようなもので、それは「文化」を伝えていて、人間はそれを後の世代に渡すと考えればよい。

生命体は環境変化があると遺伝子が淘汰を受けて種として進化するように、文化も社会や時代の変化の淘汰を受けて進化(人類が滅亡するかもしれないような方向性を進化と呼ぶかどうかは別として、小さい災難は減った)する。その文化を進化させているものは何か? それはドキュメントとかメディアである。長電話でも携帯メールでも情報の発信やコミュニケーションは誰でもしていることだが、それはドキュメントでもメディアでもない。

掲示板なら喧嘩腰のやり取りをする人でも、自分のホームページで整理して発表することは苦手な人がいる。一般には日記のようなものでないと個人のホームページは続かない。一部マニア的な、あるいはライフワークとして取り組んでいる個人のみが自分の情報の世界を構築する。従来 そういうことを職業集団的にするのが「パブリッシング」であった。

個人のマニアであれ職業集団であれ、パブリッシュの人たちは情報の整理をしている。それは日記のように時系列に文章を並べているだけではないのである。あるいは会話のようにその場限りのものでもない。たくさんの情報を発信している人でも、情報を整理する段になるとつまずくものである。今日のネットワークの整備で情報流通量は飛躍的に増えているが、情報の整理をする 人や方法が逆に足りないことが明らかになってきた。

だからパブリッシュをする人にとっては、自分の情報整理能力をITの助けで拡大できれば、活躍の場が広がることになる。そのきっかけとしてXMLを考える人は多いが、その蓄積、検索、更新など、まだまだ運用上の技術がこれから普及しなければならない。

テキスト&グラフィックス研究会会報 Text&Graphics 206号より

2003/06/03 00:00:00


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