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漢字の歴史は、書体の多様化

写真植字の最大の貢献は日本語の多書体化という花を咲かせたことにあっただろう。今日、写植時代に多く創られた書体のすべてが活用されているわけではないし、当然ながら多書体化によって適切でない使い方がもたらした混乱もあったが、それでも書体デザインへの関心が高まり、トータルとしては文字表現のビジュアル的な水準は高まったといえる。本文に関しては賛否の意見はいろいろあろうが、写植だから可能となった漢字とかなの組み合わせの切り替えや詰め組みなど、デザイナに工夫の余地を多く与え、タイポグラフィーを考える人には良い道具となった。

その写植書体の開発の中で、ナールやゴナなどはデザインが斬新ということだけではなく、字形の点でもビジュアル優先の大胆な試みがされ、ある意味では文部省の当用漢字・常用漢字とともに権威をもった漢字の書き方の細部にわたる規則、つまり、つく/離れる、止める/はねる、などの「点画主義」を破壊する考え方を押し通したという点でも画期的であった。

これは文字開発をする人が文部省に叛旗を翻しているという意味ではなく、本文用には正字を残していたし、また学参フォントのように教育指導要領に合わせて明朝の伝統を曲げたフォントも作ったように、文字の形のバラエティに関する考え方の幅が広く、どのような文字のニーズにでも応えられるようなビジネスの仕方をしていたからであろう。欧文でも写植になって筆法から離れた前衛的なフォントデザインが現われたが、考え方はそれと共通している。

このような字形デザインの非連続的な発展が起こることは漢字の歴史上でも何度もあった。毛筆が多く使われるようになって発達した隷書・楷書や行書というのも、今考えれば、それまでの公式文字である篆書からは大きく外れた字形を創り上げたものであるし、明朝体というのもそれ以前の隷書・楷書という標準からすると大胆に字形を変えているものである。では今日の我々は漢字の字形の基準をどこに求めればいいのだろうか?

一般に字形の基準は手書きを想定して教科書体のような楷書系だと考えられたきたが、常用漢字以降は漢字を書く負担を減らす方向であったので、日常で見慣れた印刷書体の影響が大きいと考えたのか、明朝体の字形も問題視され、学参フォントなどが生まれたのであろう。しかし歴史を大きく捉えると、楷書も明朝も写植の多書体もすべて滅びることなく使い続けられることによって、世の中の漢字書体が多様化したのであり、それは文字表現の世界を豊かにした。

文字表現の歴史には前述のような字形の大変化があったことを踏まえれば、その過程のどれか一書体を強引に字形基準とすることはできないだろう。字形差を吸収するような合意に向けて努力するほうが建設的なのではないか。

テキスト&グラフィックス研究会会報 Text&Graphics 210号より

2003/09/03 00:00:00


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