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アナログのデジタル制作

◆阿部 健二

私が印刷物に魅力を感じるようになったのは,「アナログレコード」との出合いからでした。
情報化社会と言われる現代において,記録メディアとしての塩化ビニール(レコード)は終えんを迎えつつあるのですが,そのレコードジャケットの素晴しいグラフィックデザインや強烈なインパクトをもつ写真に強く引かれるようになったのは私が中学1年生のころ。今はそのほとんどが無機質なケースに入ったCDになりました。便利なのですが印刷物としての情報量は激減,バーコードが入り,その容姿も工業製品のようになってしまいました。

もっとも近年ではインターネットで情報(曲)をダウンロードするなど,画像情報量はさらに減り,何だか味気のないものになりました。そういう一面から見ると,1950〜1980年代の印刷技術で作られたレコードジャケットは,「作り」に良くも悪くもムラがあって想像力をかき立てられます。50年代はピンナップガールさながら写真に手を加えたイラスト風のものが多く,目元パッチリ,口元クッキリ,よく見るとフィルムにオペークペンで直接手を加えているのが分かります。60年代になるとスキャナの普及からか画像の品質も向上しますが,逆版で左利きのギタリストが右利きになっていたりすることも少なくありません。
各国別に視点を移すと,英国盤は作りが丁寧で分厚いPP加工を施してあります。さすがティーカップや家具などのモノを大事にする国。紅茶やエールビールをこぼしても,雨が降っても大丈夫です。逆にジャマイカ盤はバランス悪い手書きのタイトルロゴで2色刷りがほとんど。盤は新品なのに針飛び・音ムラは当たり前と,大らか(?)な国民性を垣間見ることができます。
米国盤は破れやすい粗悪なボール紙なのですが,乾燥している土地柄,どこか香ばしい異国のニオイがします。日本盤も英国同様に作りは丁寧なのですが,多湿でカビ臭い上,極東の国で情報が少なかったのでしょうか,偽情報&誤植だらけのライナーが付いてきます。こんなことも含めて当時の「気分」を印刷物で味わうことができます(もちろん音も楽しんでいるのですが)。

私は地方の高専を卒業後,情報加工業という言葉に引かれて大手印刷会社に就職しました。当時の製版は「画像文字一貫処理」と称してCEPSが普及していく時代でしたので,老朽化した明室プリンタや製版カメラを撤去して,フラットベットスキャナやCEPSを導入していくのが仕事の大半を占めていました。製版設備も今では考えられないほど高額でしたので,機種選定はもとより搬入設置にも非常に神経を使ったのを覚えています。
数年後,MacintoshDTPが世界を席巻することになります。DTPの設備は比較的安価なのですが,CEPSのような製版機器メーカーの手厚いサポートがないので,日々の鍛錬が必要になりました。Macintoshの基本操作はもちろん,ワークフロー全体を設計・設置・調整・教育までできて,初めて現場の工程改善ができるというもの。そんな時に必要を感じてDTPエキスパートの試験を受けたというわけです。それまでに詰め込んだ知識が意味をもってつながったのと,技術そのものに自信をもてるようになり,社内向けのマニュアル制作や勉強会を開いたりと奮闘する活力になりました。

現在勤めている出版社に転職したのは,コンテンツ創造と情報加工する仕組みは近ければ近いほど無駄の少ない効率的なシステム構築ができると思ったから。今は協力先を含めた製作工程の全体最適を図る仕事をしていますが,誌面作りが携帯電話を使うより簡単にでき,なおかつ立体的コンテンツを自動で管理・蓄積し,思うがまま自由にメディア展開する仕組みを構築するのが私の夢。実現したら,「レコード教材」で新たな事業展開を…それはありえませんが(笑),その「手触り」だけは,なんとか伝えたいものです。

 

月刊プリンターズサークル連載 「DTPエキスパート仕事の現場」2004年3月号


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2004/03/02 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会