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結果の平等から機会の平等へ−印刷経営のパラダイム崩壊とその後(2)



塚田益男 プロフィール

99/12/20

●自由主義と社会民主主義
 自由主義は国家独占,プロレタリア独裁の共産主義に勝ったとはいえ,自由主義の中にも昔から均衡と安定の相克の歴史があった。社会思想の基盤として自由主義を置いていても,競争社会,開放型社会に重心をおこうとするレッセフェール型の均衡主義もあるし,どちらかといえば社会福祉に重心をおき,競争制限もやむなしとする社会民主主義型の安定主義もある。後者の代表は北欧型社民主義だろう。この流れは今後も続くことになる。東西両世界の核戦争まで想記させた力の争い(冷戦構造)は消えたが,均衡か安定かという人間の生き方に関する思想の選択の問題は当分の間,消えることはないだろう。

 若者か老人か,強者か弱者かというような議論にも相似点があるのだろう。アメリカ大統領リンカーンの言葉にも,「of the people,for the people, by the people」というのがある。アメリカでは,今日でさえ,均衡と安定のバランスをとるのに苦労しているのだ。

 安定思想が強くなれば規制と保護政策が強化され,社会の活力が弱くなる。そこで,経済のグローバル化と資本移動の自由化,規制撤廃を掲げて,新自由主義が誕生した。アメリカのレーガン大統領,イギリスのサッチャー首相,日本の中曽根首相などが主唱者であった。古い保護された国営企業を解体し,すべてのものを競争論理の中に投入し,経済の活性化を図ろうというものだ。安定した経済環境を壊し,新しい均衡条件を求めようとする。確かに世界は一気に開放され,インターネット時代に合わせて社会条件は大幅に整備されてきた。利権に群がる人たちも減り,公正な社会に近づいた。

 しかし,この新自由主義は競争重視のあまり,反作用も大きくなる。資本の自由化が発展途上国におよべば,1997年7月の東南アジアのようなヘッジファンド事件を惹起し,経済危機に陥れる。弱い企業の倒産,廃業が続出すれば失業者が増加する。ヨーロッパも日本も,安定志向の自由主義だったから,新自由主義の反作用は大きい。ヨーロッパでは失業者が常態的に10%前後になり,再び安定志向の新社民政党が形を変えて多くの国で,政権につくようになった。最近の新社民主義といわれるものだ。

●結果の平等,機会の平等
 日本でも最近「結果の平等から機会の平等へ」(from equality of result to equaltiy of opportunity)ということが言われている。国は従来,社会成長の結果,豊かになった企業や個人から,酷税といわれるほどの累進課税による課税を行い,それを国民に分配し,横並びの中産階級化を行い,金太郎飴のような個性のない社会を作ってきた。「成長の結果は平等に」という安定社会を作ったから,日本国内は閉鎖的に安定していた。日本経済が貧しく,しかも全体として右肩上がりの成長をしている時は,結果平等の政策には国民的合意があった。

 しかし,今日はゼロ成長,ゼロサムの経済だし,今後も高い成長は期待できないし,しかも国民は名目的には世界一に等しい豊かさを享受している。こうなると,横並び思想という安定思想は社会の活力を削ぐことになる。まして,これからは少子化,高齢化という,ただでさえ活力のない社会になるのだから,結果の平等,横並びの政策では,新しい事態には全く対応できないことになる。

 ゼロサムというのは,全体を足してゼロになること。誰かがプラス,誰かがマイナス,全体でゼロになること。プラスになる努力をする人がいなければ,間違いなく全体はマイナスサムの社会になる。(サム=sum,合計するという意味)。これでは日本社会は維持できない。プラスになる努力をする人を育てなくてはならない。ベンチャー精神,ハイリスク,ハイリターンを求める人を育てることだ。そのためには結果の平等,横並びの政策は止めなくてはならない。

 機会は平等に全国民に与えよう。銀行とか大企業とかゼネコンとか,一部の組織や人々だけに利権を与えるようなことは止め,全員に,平等にチャンスを与えよう。そして,そのリスクをとった勇気と努力の対価については,税率を下げて努力に報いる社会を作ろう。それが機会の平等である。会社の中だって,年功序列の賃金形態を止め,若くても努力した人は報われるようにすべきだし,社会全体としても競争を制限するよりは助長するような政策をとるべきだ。ベンチャービジネスに対して,ベンチャーキャピタルの社債市場を整備しようという国の計画も,機会を平等にしようという政策の一環だ。

 これからは機会の平等が国是になるだのけれど,問題はそうなった時,努力できない本当に弱い人たちを国としてどのように保護するのかということだ。また,競争のためにギスギスしがちな人間社会に,潤滑油として,どんな思想が大切なのかも議論しなくてはならない。

 均衡(自由と競争)と安定(公正と分配)という2つの概念のバランスをとるために,アメリカではメセナ運動(企業の文化活動)やフィランソロピー(慈善活動)などが盛んだし,そのための税金システムも整備されている。昔のHR運動(ヒューマンリレーション)も復活させなければならないだろう。

 これからも,人間の尊厳,生活向上,社会の安定を求めて,均衡と安定という矛盾した2つの概念の調和のために,時に均衡重視の社会へ,時に安定重視の社会へと,時計の振り子のように,バランスを求めながら左右へ動くことだろう。


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1999/12/20 00:00:00


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