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元気の出る話,感動した話

日本で青色LEDや青色LDが開発されたことは,日本人の誇りに思えるほど素晴らしいことだった。発明者の中村氏が大企業の研究所でそれを成し遂げたのではないことも,驚きであると同時に,まだ日本の物作りの活力は失われていないと確信できることだった。
社内でもみんなにこの話を知ってもらいたいと考えた。しかし,中村氏が会社を相手取って発明が企業の利益に貢献したことの支払いを求めたのにも驚いた。
まあ元気も出たけども,これからの経営は元気ややる気などモチベーションさえあれば何とかなるものではないな,というのがこの件の教訓である。

(匿名希望)


日本の漫画やアニメが輸出されたり,日本発のスタイルの携帯電話がアジアに波及したり,しかもアジアの若者の中に日本の文化が受け入れられたりと,もともと日本が世界に誇るはずでなかったようなものではあるが,かつてのモノ作りニッポンとは異質のものが日本の象徴のようになりつつあることは,少し元気の出る話だ。
漫画のライセンス輸出も増えていると聞く。従来は東南アジアと言えば海賊版の横行するところで,たとえ内容が海外でウケてもビジネスは成功しないように言われていたが,経済的に向上するとともに法の整備もされていくだろうから,日本からのライセンス取得代行を絡めた現地印刷なども可能になるかもしれない…と,何とかの皮算用をしながら今後のビジネスの展開を空想している昨今である。
(匿名希望)


JAGATのセミナーで聞いた話だが,某準大手印刷会社が,一般印刷を縮小してでも,エレクトロニクス部品などに力を入れて,近年は堅調に売り上げを伸ばしているという。確かに10年前に競合関係にあった別の準大手と比較してみると,経営の規模では歴然と差が開いてしまったようだ。
電子部品関係は仕事の変化が激しく,投資と回収の管理が印刷のそれとは全くことなるために,もうかった話だけ聞いてまねをするような愚はだれもしない。だから手を出す印刷会社はないだろうとタカをくくっていたのに,それを成功させた某社には敬服する。
よく成功した実業家の回顧録のような本には,ある時大きな決断を迫られるような状況が書かれている。思い返すとわが社はそのような大決断は避けて,安全な道しか選んでこなかったことが,今日の低迷の原因ではなかったかと反省させられることしきりである。
(匿名希望)


当社の野球部の創部は1997年。その前年に親ぼく会でソフトボールをやったのが発端となった。ソフトボールに参加した職員の中から「野球ができるのでは」という思いが高まって生まれたのである。
創部とともに印刷健保の大会に参加,まずは3部で,プレイはともかく初心の熱意で勝ち進み,ベストエイトとなった。1試合ごとにチームがまとまっていき,試合後に皆で飲むビールは格別であった。しかし,翌年からは低迷,1回戦敗退続き……。このままではいかんと,バッティングセンターに行き,酒を飲み交わして部員の親ぼくを深め,2003年の大会に臨んだ。そのかいあってか,1回戦でそれまで一度も勝ったことのなかったチームに勝つと,あれよあれよと勝ち進み,ベストフォーとなった。
どこから見ても他チームよりレベルの劣るチームだが,チーム一丸となっての勝利と言えよう。2004年は2部に昇格,1回戦で2部でも上位のチームと対戦,見事勝利! フレーフレー!
(匿名希望)


イラクで人質となった3邦人が解放されたニュースは,以前の日本なら「感動した話」に落着したのではないか。解放直後から「自己責任」の名の下にすべてを個人の責任にしようとしている風潮はあきれるばかりである。「税金泥棒」の紙を掲げて空港で出迎えたり,実家に嫌がらせの電話が殺到したりと,日本人はいつからこんな卑しい人間ばかりになってしまったのか。解放後の3人や家族の様子は痛々しいばかりだ。
3人の善意が無謀で愚かな行為でしかないとしても,それで政府の責任はなくなるのか。イラクに自衛隊を派遣したことの是非は,3人がイラク入りしたことの是非とは比べものにならない重要な問題である。なぜこんな問題のすり替えがまかり通るのか。
また,日本人拘束の直後に首相が撤退しないと表明したり,わざわざ政府高官が現地入りしたりしたことなどが,逆に人質解放を困難にしたことの責任も問われるべきではないか。
この人質事件が全く逆の結果となった時に「自己責任」などという言い訳が通用したのだろうか。
(匿名希望)


4月17日に千葉ロッテの黒木知宏投手が995日ぶりの一軍登板した。
黒木の「第2の野球人生」の始まりだ。ロッテファンの私はもちろん応援に行った。
ロッテと言えば「18連敗」でも有名なように,決して強いチームではない。だが,チームがどんなにどん底にいようともあきらめず,投げ続け,がんばり続けたのが黒木だ。その結果,肩を痛めてしまい,長い間試合に出ることができなかった。
約3年ぶりの先発となったこの日,マウンドに入る前,黒木は帽子を取り,頭を深々と下げた。「お帰り,黒木」,東京ドームを埋め尽くした4万2000人の観衆が総立ちで,黒木を迎えた。7回途中で降板したものの,黒木復活の兆しが見えた。
そして翌週4月24日,本拠地・千葉マリンスタジアムのマウンドに黒木は立った。6回1/3でわずか2失点(自責点1)。1球ごとにボールに言葉を掛け,魂を注入する気迫のこもったピッチングだった。試合が終わった後のインタビューで彼はこう答えていた。「僕が投げたら負けないという投球をしていきたい」。
この言葉に感動しながら,黒木にこう言わしめるバレンタイン監督について考えた。監督は常にナインを信頼し続け,10連敗した時も,報道陣には決して選手の不平を口にしなかったという。こういう人格者だからこそ部下も付いてくるのだろうな(自戒を込めて……)。
(東京・印刷会社 部長)



今年のアカデミー賞の話題は何といっても日本人のサムライだった。「ロード・オブ・ザ・リング」という大本命がノミネートされていない,助演男優賞と外国語映画賞だったから,いけるかもという期待も高まった。
残念な結果に終わったが,渡辺謙は英語も押し出しもなかなかのもので,同じ日本人男子としては誇らしいものがある。一方の「たそがれ清兵衛」も日本人の矜持(きょうじ)を示した佳作だった。十年一日のような寅さん映画しか作れない監督かと思っていた山田洋二監督の手腕にもびっくりさせられた。
模倣ばかりうまくて,オリジナル性に欠けると揶揄(やゆ)されてきた日本人だが,サムライスピリッツここにありというところだろうか。
(匿名希望)

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2004/05/19 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会