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感動を与えるものを表現したい

◆三谷 純子

ギギギギギ・・ガッチャンガッチャン・・・ウィーン ピピピ・・・。今でも耳に残る写植機の音。あの時の会社は電話の音もかき消されるくらいにぎやかでした。私はまだ母のお腹の中にいる時から,その機械音を胎教として聞き育ちました。
私が産まれる数年前,父と母が二人で写植機を1台買い,「三谷写植」が誕生しました。一人が打っている時は一人が寝て。交代で朝も夜も,仕事をしていたそうです。その写植機も少しずつ増え,私が小学生の時には7台の大合唱になっていました。そのころよく両親が,服のすそや髪の毛に小さな文字を付けて,夜遅く帰ってきたのを覚えています。

小さなころから見ていた割に,さほど両親の仕事に興味もなく普通に学生生活を過ごし,でも何となく美術が好きで,ある美術短期大学に進みました。それから家業を手伝うようになり8年が経ちました。
入社当時は切って貼っての版下作業でしたが,今は写植機は1台もなくMacでのデザインがほとんどです。社名も3年前にマーブル クリエイトとし,「写植屋さん」から「デザイン会社」に変ぼうを遂げました。仕事内容はDM広告・パンフレット・パッケージ・看板など多種多様。広告掲載のための商品撮影の立ち会いも定期的にあり,どうすれば商品が引き立つか試行錯誤しています。さほど興味がなかった両親の仕事。今では興味の固まりとなり毎日ぶつかっている状態です。

DTPエキスパート認証試験を受けたのは去年の夏。それまでほとんど勉強をせずに,仕事をこなすことしかしていなかった自分への挑戦となりました。参考書を開いてみれば,一章節目から分からない言葉だらけ。読み進むにつれ,どんどん不安になりました。でも,分からない言葉は,そこであきらめればずっと分からないままの言葉。どうにか調べて少しずつ納得できれば,パズルのようにつながっていきました。
試験に対するプレッシャーはありましたが,新しいことを覚えるということは,こんなに幸せなのかと初めて感じました。学生の時には気づかなかった気持ちです。お盆休みをすべて試験勉強に充て,試験後に徹夜で仕上げた課題。そのかいあってDTPエキスパート認証を頂けることとなりました。

試験に受かってから,周りの状況は何も変わりはありません。でも自分自身,仕事に対する取り組み方が大きく変わったように思います。どう変わったと説明するのは難しいのですが,いい意味でのプレッシャーが掛かり,張りのある仕事ができるようになりました。
印刷物に対する執着がある私は,どこに行っても帰りにはカバンの中が広告物でいっぱいになる状態。部屋には普通の人ならごみに感じられる紙が,私にとっては宝物です。
学生のころ,1枚のA4チラシを手に持ち一人で観に行った演劇がありました。帰り道,感動で涙が出てきました。それまでその劇団について何も知りませんでしたが,そのチラシから受けたものは大きく,私を動かしました。1枚の紙だけで出合い,衝撃を受け,今でもその劇団の公演は欠かさず観に行きます。

毎日の生活で目にはいる物すべてがデザインされていて,色や文字のもつ力を私自身が強く感じます。私にもそんな衝撃を受けてもらえる印刷物を作りたい。中に入っている物を誇張ではなく,うまく表現できるパッケージを作りたい。表現する場所は仕事の枠を越え,体で表現する始末。趣味のダンスも踊ることが好きというだけなのですが,その気持ち以上に「カッコイイ!」「私もダンスを始めたい!」と,だれかの気持ちを動かせたらという欲望が離れません。
私にしては仕事でもダンスでも,だれかに影響を与えたいと思う気持ちは変わりません。これからも失敗を怖がらず,手掛けたことのない新しい種類の仕事でも挑戦し,自分の可能性を試していきたいと思います。

 

月刊プリンターズサークル連載 「DTPエキスパート仕事の現場」2004年6月号


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2004/05/31 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会