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『康煕字典』と異体字

康煕字典「同文書局版」の字形や用例の特徴,異体字の概念について東京学芸大学 松岡榮志教授にお話を伺った。

さまざまな意味合いのある異体字の概念

 異体字という概念はいろいろな意味で使われる。正字や本字というものがあって,それに対して変形したような文字と思われがちである。しかし,厳密に言えば,本来どの字もそれぞれ異体字であると言ってもよいかもしれない。

 例えば,「榮」は,もともとの『康煕字典』にはあるが,日本では戦後,「栄」になっている。「栄」がスタンダードな文字と考えれば,「榮」などは異体字ということになる。ある意味では,お互いに異体字関係と言ってもよい。
 何らかの基準があり,それに対して異体字であるといった捉え方が多い。そのときに基本になるのが『康煕字典』であると言われている。

親字を見るために使われた『康煕字典』

 『康煕字典』は非常によく知られていて,よく使われている。『大漢和辞典』を作る際,一番基本になったものである。さらに,さまざまな種類のものが発行されている。ただし,もともとは字典と言っており,『康煕字典』とは言っていなかった。後に康煕帝が作らせたということで『康煕字典』と言うようになった。
 1716年に本ができ上がり,清朝宮廷内の武英殿から出版された。その版のことを殿版という。しかし,今は『康煕字典』の殿版そのものは見ることができない。殿版はほとんど残っていない。

 また,清朝の皇帝が作ったもので,国民が科挙(官吏登用試験)を受けるときにこの字形を基本にすることで,国家が広めたので版権がない。
 私のような中国古典研究者にすれば,『康煕字典』同文書局版を使うのが当然である。王引之の校改本という最初の版を直したものもあるが,問題は文字の形というより,版面が違うことである。したがって,文字を同定するときに『康煕字典』を使うと言っても,『康煕字典』の何版を使うかによってページ数や文字の位置がずれる。

 王引之は,もともとあった『康煕字典』から,2588項目について同定をした。中国の本の多くは,上部にマージンをたくさんとってあるが,これは読む人がメモや直しをするために空けてあるものである。後に,これらの内容を入れた形で出ているのが王引之の校改本である。
 同文書局版は,王引之の校改本と比べ約50年で50万部と数多く出ている。戦前を含め,誰もが同文書局版を使い,『康煕字典』とは一般に同文書局版のことをいう。一番よく使われいろいろな人が手に取りやすいものを共通の検索の元にする。あるいはアイデンティフィケーションの元にするということが一番よいので,同文書局版が使われた。

 字形そのものは,『康煕字典』の中ではそれほど異なっていない。それは『康煕字典』がいかに親字を見るために使われたかということである。親字を保存するという意味では,統一されていて厳密である。ただし,引用や版面は,自由に作っている。内容とは関わらないが,『康煕字典』を使う際には,このような問題があることを知っておくと混乱が起きにくい。

『康煕字典』同文書局版

 同文書局版を見ると,まず「子集上」とあるが,子は十二支である。十二支で大きく集が分かれる。子集については,上下に分かれている。昔は甲乙丙丁の十干と十二支の場合があった。また,古代は韻を使って検索することが多い。それが日本人には難しいが,文字がいかに科挙と深く関わっているかわかる。
 科挙の場合,詩を作らなければならない。詩を作るためには韻を踏まなければならないので韻を覚える。科挙を受ける人は,読書人と言われる。これは本を読む人という意味ではなく,科挙を受けて役人になる人,役人の予備軍のような人のことである。彼らは小さなときから韻を頭に入れている。ただし,子供向けのものは韻ではわかりづらいので,十干十二支で表す。年号など単純なものは十干十二支で表すことになる。
 
 大人の読む本は韻字によって分類されているものが多いが,韻を知らないと困る。『康煕字典』は子供など誰もが見るということで,干支を使って分類することになる。
 現在,殿版という一番元のものは,なかなか見ることができないが,殿版と同じ時代に出たものから推測することは可能である。同時代に出た詩を作るための用例集『佩文韻府』の,殿版として出たものの版面の見本が残っている。それを見ると,囲み罫の引用の部分を赤で印刷した2色刷りになっている。よって,どこに引用があるかわかりやすい。

 清朝になると,『套印本』という2色刷りのものが数多く出ている。特に皇帝が使うものに出てくる。したがって,現在残っている『康煕字典』は版面が黒で見にくいが,本来は皇帝が見るものとして作られたので,赤字になっている部分がある。

時代の変遷と関係の深い異体字

 『干禄字書』は,唐の時代に科挙の試験を受けるために作られた。干は求める,禄は給料という意味で,役人になるための字典ということである。 正字,通用字,俗字などが書かれている。しかし,序文を読むと,正字しか使ってはいけないとは書いていない。科挙を受けるときは正体を使うが,通常,役所で書類を書くときは通用字を使ってもよい。友人と手紙を書くようなときは,俗字を使っても差し支えないということである。
 しかし,概ね人々は序文を読まない。当用漢字表も常用漢字表も,序文には,ナベブタの点は縦でも横でも斜めでもよいと書いてある。しかし,それを読まずに,見本として載せてあるものが正しいと思ってしまうので,斜めや縦になってはいけないと指導してしまう。『康煕字典』をはじめ,いろいろな字典は使い方をよく読んで使うことが大事である。

 『康煕字典』の中に何か規範を求めようとしても,何も答えてくれない。ある意味で,俗字や通用字をすべて集めてきた倉庫のようなものである。
 また異体字は,時代の変遷を見るとわかる。どのような道具を使ってどこに書いたということで決まってくる。誰かの美意識によって書体が変わる,あるいは字体が変わるということは,あまりないのではないだろうか。
 硬い尖ったもので書くか,柔らかい筆で書くか,骨のような硬いものに書くのか,砂の上に指で書くのかによって違ってくる。紙の上に細い柔らかい筆を使い墨で書けば,楷書のような字になってくる。どのような道具を使って何に書くかで,字体は決まると言ってよい。

 印刷の木版の明朝体などは,版木にどのように掘るかによって決まってくる。明朝体の場合も,版木の職人が数多く仕上げるために同じ方向になっていた方が都合がよいので,縦横斜めが揃ってくるということである。1字1字とは関係なく数多く版木を仕上げていくために作っていく手法になる。美意識というより,生産性やどのような道具を使って書くかによって字形が変わってくる。時代とともに,書かれるものが変わってくるために発生する。
 さらに,地域によっても違ってくる。例えば,日本と中国で違う。ただし方針によって,どのような人にどう使わせるかによっていろいろな異体字ができてくる。仏教の経典等は,さまざまな字が存在するが,一番字が生まれるのは字書ができるときである。

(テキスト&グラフィックス研究会)

2005/04/10 00:00:00


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