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国立公文書館のデジタルアーカイブとその利用 その2

2005年11月,チュニジアで世界情報社会サミットが開かれる.サミットの重要なテーマの一つに,インターネット社会の中での情報共有があげられている.その中でウェブ利用ができる情報に「コンテンツ」に関する話がある.発展途上国では,インターネット上のコンテンツは「自由」(著作権に関係なくかつ無料で)に使えるべきという意見が大勢を占める.それに対して出版業界やインターネットプロバイダは,コンテンツを使ってビジネスをやろうとしているため「自由な」利用に対して反発している.

博物館のコンテンツは,有料で売られている場合が多い.最近では,絶版図書を電子出版にて行う有料復刻が盛んになっている.しかし,公文書館が持っているアーカイブ(公文書等の歴史資料)は,自由に無料で誰でも見られることを原則とするパブリックドメイン(公共財)と見なされる.

一般的にアーカイブというと,塵の積もった古書・古文書(こしょ・こもんじょ)がイメージされよう.文書館(もんじょかん)といえば研究者が行くところ,という意識が多いだろう.しかし,公文書館(こうぶんしょかん)とは,国のあらゆる活動に関する情報,知識が集まっているところである.残念ながら日本はそこまで行っていないが,欧米では,公文書館は政府のあらゆる情報活動に関与し情報の運用管理の中枢としての役割を担っている.

米国の場合は,「ナショナルアーカイブ&レコードマネジメント」国立公文書館記録管理局(NARA)として,歴史的資料の保存公開だけでなく各省庁で作成される記録の運営管理についても強力な権限を持つ.政府が作成する記録は,選別され公文書館に移管され,永久に保存され公開される.移管されるのは全体の数パーセントであるが膨大な量であることには変わりない.これらの記録がパブリックドメインであるということは,巨大な情報リソースが自由に利用出来るということである.例えば,米国航空宇宙局(NASA)のホームページを見ると,NASAが生み出すデータや星や星座の画像などホームページで提供される情報の多くがパブリックドメインとして無料で自由に使える.

日本の「デジタルアーカイブ」

日本の「デジタルアーカイブ」事業は,旧通産省が主体となり設立された「デジタルアーカイブ推進協議会」が中心になって進められてきた.同協議会は,デジタルアーカイブを進める主体者として「文化財」を保存,管理する美術館,博物館を想定した.博物館,美術館の所蔵品をデジタル化して提供し,そのコンテンツを電子出版化することでビジネスに結びつけようとするものである.図書館や文書館のように膨大な文字データを持つ機関は想定外であった.日本での「アーカイブ」は,本来の「記録資料」という意味ではなくコンピュータ用語として広まった「蓄積とデータベース化」を意味している.

3年ほど前,ある会合で某博物館デジタルアーカイブのデモンストレーションが行われた.国宝級の仏像などをデジタル化していろいろな角度からみられるだけでなく,部分拡大や詳細かつ多言語に対応した解説などが利用できるすばらしいものであった.

しかし発表後,米国の参加者から「URLを教えてほしい」と言われて発表者は言葉に詰まった.利用するには博物館に行くか,DVD(38万円)を購入するしか方法がないからである.アメリカの公共図書館や大学図書館からの参加者は驚いた.「なぜインターネットで提供しないのか」「コンテンツそのものは博物館のものなので,パブリックドメインのはずである.DVDはなぜ高額なのか」という疑問があがった.

日本のデジタルアーカイブは,最初からビジネスと結びついていた.デジタルアーカイブ推進協議会のロードマップでは,ユーザはデジタルコンテンツを見るために,博物館や美術館に行かなければならない.館内展示が主体で,DVDを買えば自宅でも見られるという発想である.この中にはインターネットによる接続で見るという発想はない.インターネットという情報化社会の基盤である重要な部分が落ちていたのである.

「公共デジタルアーカイブ」の3つの考え方

「Being Digital」(デジタルであること),「Commons」(コモンズ:共有財),「WWW」(ワールドワイドウェッブ)の3つを合わせて考え,コンセプトを整理したものが,国立公文書館が提唱する「いつでも」,「どこでも」,「誰もが」,「自由」に使える「ユビキタス」デジタルアーカイブである.

「Being Digital」(デジタルであること)とは,マサチューセッツ工科大学教授のニコラス・ネグロポンティの定義によれば,アトム(実体のあるもの)がビット(デジタル情報)になるということである.デジタルであることは,光の速さで瞬時に廉価(ネグロポンティは,かならずしも「無料」である必要はなく「廉価」であればよいとする)で電子データが送信されることである.光のスピードでいろいろな情報が結びつくことが「デジタルであること」である.デジタル情報をDVDで売ることは,本来の意味での「デジタルであること」ではない.デジタル情報はネットワークに入って初めてデジタルであることの意味がある.そしてインターネットの世界を誰もが簡単に利用出来るようにしたのが「ワールドワイドウェブ」WWWの技術である.

もう一つ重要なのが米国でインターネット関連の法律学者であるローレンス・レッシグが提唱する「コモンズ(共有財)」という考え方である.企業や個人が払った税金で作られた政府の記録や情報は基本的にパブリックドメインであるとされる.

パブリックドメインは,原則的に著作権はないが,国によって意見が違う.例えば国の出版物に関して,日本の場合は国が著作権を主張している.米国の場合は,国の出版物であっても,税金で作られた場合は原則として著作権はない.パブリックドメインの出版物だけでなく,その中にある情報も含めて自由に加工,出版することができる.

日本の場合,出版物に関しては国が著作権を主張しているが公文書は著作権がないとされる.国立公文書館でも,基本的な考え方として同館所蔵の資料は原則的に著作権フリーであるという考え方をとっている.

「コモンズ」は,米国の特許法の父とも言える独立宣言の起草者であり第三代大統領になったトーマス・ジェファソンの特許権についての考え方に代表される.ジェファソンは,「情報」は「もの」とは決定的に異なる価値を持っていると考えた.自分が持っている「もの」を誰かに贈与すると,「もの」を贈られた人の所有物となり手元には何も残らない.一方,自分が知っている「情報」や「知識」を他人に贈与しても,「情報」や「知識」が自分の記憶からなくなるわけではない.このような特性を持つ「知的な財産」を「もの」と同じようにいつまでも独占的な所有権を認めてしまうとそこに知的な発展が起こらなくなるとするのが彼の考え方であった.知識はつねに影響し合うことで新たな知識を生む.そのために期間限定で特許権を認め,期間が過ぎるとその知識をパブリックドメインとするのが彼の考えた「特許権」であった.

もちろん,パブリックドメインの資料を自由に利用できるといってもいくつかの要件がある.一般的には,商業的な利用と学校教材などの公共の利用とでは異なる対応がなされている.公共的な利用としては「フェアユース」(公正使用)という考え方がある.「フェアユース」とは,学校や研究など公共のための利用であれば許諾を得なくても,著作権侵害にはならないとする考えである.世界中の美術館や博物館でも同じような扱いをしている.一方,商業利用の場合は,少なくとも利用許諾の取得,場合によっては多少のライセンス料を取る場合がある.これも国によって違いがある.

フランスのルーブル美術館がWebサイトで提供している所蔵品の画像データは,フランス国内にある美術館や博物館の画像データに関する権利を管理している.「ナショナル・ミュージアム・アソシエーション・オブ・フォトグラフィック・エージェンシー」はここでもフェアユースに関しては自由である.商業利用のためには有料での高精細データの提供も行っている.著作権がある作品の画像利用許諾は利用者が行うことになっている.

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2005年5月26日通信&メディア研究会拡大ミーティング「コンテンツの流通と保護」より

2005/07/22 00:00:00


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