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技術の発展と人材の課題 その1

私が大学を卒業して印刷会社に入社したのは1960年ですから、45年前になります。
この45年の間に印刷技術は確かに発展してきました。

私が入社した頃の印刷現場には先ず黄色を刷る、インキが乾いたら版を変えて次の赤色を刷るというように1色ずつ色を刷り重ねていく単色機が沢山並んでいました。しかもそれが手差しでした。それが次第に自動給紙、オートフィーダーに変わり、4色、5色を一挙に刷ってしまう多色機に変わり、さらに輪転機に変わっていきました。今はオフ輪機はごく普通の印刷機になっています。文字処理の現場は活字組版が圧倒的に多く、写真植字は端物を処理する役割でこぢんまりとしていました。それが電算写植、CTSを経て、現在はご承知のようにDTPにまで到達しています。写真製版の工程ではフィルムよりもガラスを使う湿版が幅を利かせておりました。レタッチ作業という高度な職人芸を必要としていましたが、それが現在ではカラーマネージメント、デジタルカメラ、データベース、Web入出校、CTPの段階に至っております。
印刷業はこれらの技術の発展に対応が出来たので、製造工程の改革に成功しました。
その結果、印刷業は成長産業の仲間入りが出来て、現在の情報化社会にあって十分に存在価値のある産業として認められる地位を確保しています。
印刷業界は、技術の発展を支える人材確保の面から見て、特に若い技術者の確保には苦労しました。若い技術者の確保は、自動車、電気、電子という他の産業との競争になるので、決して楽ではありません。しかし、印刷業の皆さんは、何とか足りない人材を補いながら頑張って、ここまで来たのです。
「苦労のし甲斐があった」と言って良いのではないでしょうか。
では、印刷業界がこれまでの「技術の発展」に対応できたのは何故でしょうか。
それをご説明するために、印刷業の技術の発展の特長に触れたいと思います。

先ほど私が入社した45年前のことに触れました。実は、その当時印刷現場で製造していたのは書籍、週刊誌、月刊誌、カタログ、パンフレット、チラシ、ポスター、カレンダーでした。45年後の現在、製造しているものが変わったでしょうか。変わっていません。今でも出版印刷、商業印刷ということで同じ物を印刷しています。流石にフリーペーパーというものは45年前にはありませんでしたが、これも印刷物の流通形態が変わったのであって、製造物としては45年前と同じ雑誌であります。
このことで分かるのは、印刷業の技術の発展は製造する物は変わらず、製造する方法が変わったのです。このことは、新しい機器や材料を開発するに当たって、目的、目標がはっきりしていることを意味しています。手作業を装置・機器に置き換えて自動化する、小型であったのを大型化する、低速であったのを高速化するというように目的が明確であります。
これまでにない全く新しいものを作る場合は状況が違います。例えばデジカメを考えて見ましょう。どのような機能を持たせるか、サイズやデザインによって製造工程が違ってきます。しかも激烈なマーケットの競争があるのでデジカメの機能が変化します。そうなれば製造工程を大幅に変えなければなりません。デジカメ業界の新技術は常に抜本的な変更を伴うというリスクを背負っているのです。印刷業界はそうではありません。印刷機械で多色化、高速化を目指したとしても、要求される色再現や見当精度が大幅に変わることはありません。目標ははっきりしています。目標とする色再現や見当精度がある日突然変わって、それまでの努力が無駄になってしまうというようなリスクはありません。DTPを導入して印刷原版を作る際も、DTPより前のカメラ分解、レタッチ作業で作りこんでいた品質レベルという明確な目標があります。DTPだからといってこれまでにない別の品質レベルが登場したのではありません。文字組版も同じことが言えます。読者に違和感を与えない組版ルールが活字組版の長い歴史の中で確立されていました。DTPはそれを目標にすれば良かったのです。
印刷業界の製造現場には、長い職人芸の積み重ねによって確立された品質基準というものが存在していました。この品質基準は21世紀の現在でも十分に通用するのであります。
さて、印刷業の技術の発展は印刷物の製造工程を大幅に変えましたが、この発展は印刷業界だけの力で実現したのではありません。機器メーカー、材料メーカー、ソフトウェアー会社などの関連業界が次々と新しい機器や材料、システムを提供してくれたことで実現できたことは、皆さん既にご承知のとおりです。
印刷機が手差しからオートフィーダーという自動給紙に変わり、単色機が多色機に変わり平台の機械が輪転機に変わったのは、小森、三菱重工、ハイデルなどの印刷機械のメーカーが次々と高機能の印刷機を開発してくれたからです。写真製版の現場がフィルム化したのは富士写真フィルムや小西六がフィルム感材を提供してくれたからです。電算写植システムは写研やモリサワが開発してくれました。レイアウトスキャナーなどのCEPSはサイテックス社や大日本スクリーン、富士写真フィルムが開発してくれました。DTPの分野ではアドビ社の存在が絶大です。Illustrator、Photoshop、InDesignが提供されなかったらDTPが今日のように普及しなかったでしょう。
このようにお話をすると印刷業側は何もしないで、ただメーカーが提供した装置や機械を製造現場に導入して使っただけと思われるかもしれません。
しかし、決してそのようなことではありません。先ほど申しましたが、印刷業の製造現場で実現していた品質は、メーカーサイドの技術だけでは一朝一夕にはクリアー出来ない極めて高いレベルにありました。
その高い品質を作りこむノウハウは印刷現場の職人の頭や腕の中に技能として蓄積されていたため、外部の人が簡単に理解することはできません。印刷現場で発生している現象を観察し、計測し、解析して技能のままではなく、技術の情報に変換して始めて技術改善に結びつくのであります。技能を技術に変換する役を担ったのが印刷業の技術者たちだったのです。印刷業は歴史的な背景から、工業製品を作るというよりは、工芸品を作るという要素をもって発展してきましたので、製造のノウハウは職人の感性が土台になっています。それを分析、解析するには技術の方にも高いレベルが求められます。印刷業の技術者はその要求に応えるべく、努力を重ねました。このように印刷業の職人技と技術力とがメーカーの技術力と合わさって印刷業の技術の発展を実現したのであります。

2005年6月23日「JAGAT大会2005」講演より

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2005/08/16 00:00:00


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