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科学的思考法で本当のことが見えてくる

-ちょっとだけ欲望の色眼鏡をはずしなさい! 本当のことが見えてくる-

社団法人日本印刷技術協会 副会長 和久井孝太郎

あけましておめでとうございます。年賀状でおなじみの今年の干支(えと⇒十干十二支:じつかん・じゅうにし)は、丙戌(ひのえいぬ)。また九星は、三碧木星(さんぺきもくせい)です。九星術では三碧木星が中宮に入る平成18年は、景気回復や機運上昇などの好機到来の星回りとされています。

一方、中国周代の易経(易学)に源流を持つ高島易断総本部による時運占断の平成18年の日本全体像は、「外部よりも内部の物事、他人よりも身内、外国より国内というように、すべて内部的な物事に変化や変動が深まる」とのことです。

「一般の人々の関心も、内に秘めたるものや内部のものに向けられ、外面的には好ましくても本質が伴っていないと受け入れられません。物事の本質が問われ、日本人の本来の姿や伝統、文化などが見直される」、ことになるでしょう。

九星術も、易学も、立春・春分の二十四節気と大安・仏滅の暦も、中国数千年の歴史に源流を持つ科学で、日本文化として今日まで続いてきました。これらは私たちの気分を新たにするなど多いに役立っています。

しかし皆さんがよくご存知のように、現代の私たちの生活や産業・経済の変化に絶大な力を発揮している西欧の自然科学とは全く別の文化です。現代世界の変化の原動力が科学・技術の急速な進歩にあることは間違いありません。

従って今、グラフィックアーツ(印刷)業界が新しい活路を見出そうとしている『クロスメディア』などへの戦略立案に、易学や暦の知恵が大きく役立つことは無いでしょう。

戦略立案には、まずは日頃の感性を離れ、自らの『価値観』を棚上げにして、グラフィックアーツを取り巻く環境変化の本質やマーケットの実態を知る必要があります。このために自然科学の思考法を身につけることが不可欠(だんぜん有利)です。

しかし、私が知る限りグラフィックアーツの関係者は、日頃から美意識を大切にして感性豊かに活動されておられるせいか、科学的な論理思考を苦手としている人が多いように見受けます。もつといえば、日本文化自体がそれを苦手としています。

今話題の「インターネットと放送の融合」といった議論を見聞しても、情念を優先した話ばかりで漫画的です。これでは欧米で成功したビジネスモデルを見つけて、それを真似た方が成功の確率が大きいと思います。

グラフィックアーツ業界の常識は、過去のサクセスストーリーやリード企業などによって築かれてきたものですが、ビジネスモデルはほぼ出つくしていて、新しいビジネスプランの芽が少なくなってきています。勢い過剰生産の過当競争体質という人体で言えば糖尿病に相当する病気を患っています。

このことはグラフィックアーツ業界に限ったことではなく、程度の差はあるものの急成長を続けてきたネット業界やIT業界といえども、今や新しい芽が続々出現という状態ではない中でリード企業が固まってきて糖尿病予備軍化されてきています。

いずれにしてもこれからの勝者は、変化の本質を理解し、業界の常識を乗り越えて、新たな社会貢献を実現できる組織や個人になります。日本人には、それが十分できると私は信じています。

少し長くなりますが、正月を迎え気分が改まったところで、『自然科学の思考法とは?』どのようなものかを調べることは有意義であると考えます。もうしばらくお付き合い下さい。

科学的思考法とは何か?

自然科学は、本来人間が持っているいろいろな欲望(権力欲・金銭欲・・・)や好き・嫌いなどのいわゆる『価値』とは無関係に、ただひたすら自然の本質を解明したいといった知識欲を満足させるために営々と努力を積み上げてきました。

人類が自然科学を意識的に模索し始めたのは、ギリシャ神話に代表される感性豊かな国で勃興した哲学の中でした。そして哲学はヨーロッパに広がり、17世紀終盤になって英国のアイザック・ニュートンが近代自然科学の思考法を開発して大成功をおさめ、現代物理学の基礎を築いたのです。

ニュートンは、『万有引力と運動の法則』、そしてその理論を展開するため新しい道具としての数学『微分・積分法』をまとめ、1687年に『自然哲学の数学の原理(プリンシピア)』として発表しました。

この本は、ヨーロッパ全体に知的な大興奮を呼び起こしました。その後、ニュートンの理論と思考法が実利を求める技術に利用されるようになるまでには、それほど多くの時間を必要としませんでした。そして、それが資本(経済)と結び付き、英国で産業革命が1780年頃に本格化したのです。

自然科学の思考法の基本は、自然を客観的に観測して得られるいろいろなデータ(結果)からその原因を探り、原因と結果の因果関係を矛盾無く説明できる明快な理論(模型)を構築することです。ニュートンの理論は数式模型でしたが、必ずしも数式模型とは限りません。

理論構築のために、仮説を立て実験・観測を行い仮説を検証する。PLAN(仮説の立案と実験の計画)⇒DO(観測実行)⇒SEE(データ分析と仮説の検証)⇒ADJAST(仮説の修正)を繰り返します。自らの価値観を棚上げにして、客観的な実験を計画し、中立的にデータ分析を行うこと。仮説の立案・修正に如何に直観力を発揮するかが勝負の分かれ道となります。

英国で勃興した18世紀の産業革命以降、今日まで自然科学は次第に哲学から離れ、技術(実利)との結びつきが深くなって、現在では、科学とはテクノロジー(現代技術)のための基礎と考える風潮が広がってきています。

しかし、科学的思考に最初から価値観が入ってくると大きな誤りを犯すことになります。たとえば、白人優位の価値観に基づいたかつての『優生学』の誤りがそれです。現在でも、遺伝子や分子生物学の理論と'頭のよさは遺伝する'願望が結びついて、最新科学の仮面をかぶった非科学的な説が繰り返されていることなどに注意が必要です。

多くの場合、実験の計画やデータのとり方が杜撰であったり、データを捻じ曲げて解釈したりですが、時にはデータを改ざんするケースさえ出ています。繰り返して言いますが科学的思考の場には、絶対に価値観を持ち込まない訓練と覚悟が極めて重要です。

早い話、中国やわが国ではなぜ西欧の自然科学に匹敵する科学が進歩しなかったのでしょうか? 価値と切り離して自然を観察する文化風土が無かったからです。とはいえ、東洋には現代最先端の自然科学と矛盾しない哲学が2,500年も前に存在したのです。それがインドのお釈迦様(釈尊)の教えです。

釈尊は欲望を滅却して、すべての根本は『空』であり、『諸行無常』『諸法無我』であると悟り(直観)しました。

釈尊の空は、たんなるゼロではなく完全に充足された空であり、現代最先端物理学の'宇宙は空から誕生した'とする理論とあい通じる考えです。さらに、諸行無常(物事はすべて移り変わる)と諸法無我(我などという実体は無く全てはつながり合っている)は、自然科学の時空と素粒子の基本的な考えと一致しています。

素晴らしいではありませんか! しかし、生身の人間は、全ての欲望を捨て去ることは至難の業です。私たちは、科学的思考を巡らす時ぐらいは欲望(価値観)を滅却しようではありませんか。今いたるところで、色眼鏡がかかったマーケティング・レポートや調査報告書などが横行しています。この様なものを信用すると失敗は必定です。

科学で得られた知見を応用するテクノロジー側の根本的な精神として、テクノロジーは『より調和のとれた未来を創造する』ためにこそ存在意義を持つことを再確認する必要があります。テクノロジーも、経済も、倫理観が希薄になっている現状を打破しなければなりません。

根本的には、よりよい生き方を探索するための学問である『哲学』と『科学』が全く分離した現状を打開することが緊急の課題です。そのために現在の哲学業界が古い殻を脱皮して、現代科学と矛盾しない論理を再構築することが不可欠です。

現代科学の大成功は、ニュートンの力学に始まり、アインシュタインの相対性理論、量子力学、さらには論理学に基礎を置くコンピュータ科学など多くの専門分野の成功が総合化されて、今や宇宙創造を含む宇宙の仕組み全体の解明段階へと進んでいます。

一方、英国のチャールス・ダーウィンが『人間の由来および雌雄淘汰』を著し人間の進化論に踏み込んだのは1871年ですが、その後の生物遺伝子の物理的構造の解明や分子生物学の進展を受けて、今やダーウィンの進化論仮説は、進化理論へと発展しました。

人間がチンパンジーと共通の祖先から進化の枝分かれをしたのが今から約700万年前。 現在の人間とチンパンジーの遺伝子セット(ゲノム)の違いは、大きく見積もっても2%(人間は98%チンパンジーである)。人間の人種間差は、0.2%程度であることが明らかにされています。

従って、人間とチンパンジーの見かけ上の大きな差は、文化に由来することは明らかです。これからの哲学は、このような現代科学の知見と矛盾しない形で宇宙像と人間の文化像を形成することが不可欠です。

現在の哲学業界は、自然科学のあまりの壮大さや破壊力の前に立ちすくんでしまっているようですが、勇敢にチャレンジする事例もボツボツ出始めています。私は哲学業界の再構築が、10〜20年後に見通される、本格的なマイロボット時代が到来する以前に早急に進むことを心から願っております。なぜなら知的ロボットの本格的な社会進出は、人間社会の価値観に根本的なインパクトを与えるからです。

最後に、皆さんの頭の体操のためになる本を1冊紹介して終わりにします。それは現在の哲学業界にチャレンジする米国の著名な科学哲学者で、タフツ大学教授で認知科学研究センター長をしているダニエル・C・デネットが書いた人間の文化の進化とは、『自由の進化』であるとする本です。その冒頭には、次のようなことが書いてあります。

思う存分の生き方をしたいなら、古臭い非物質的な魂なんかいらない。行動や生活が意味を持つ道徳的な存在になろうとする努力は、その他の自然とちがった物理法則に従う心なんていう代物にはまるっきり依存していない。科学から得られる自己理解は、人間の道徳的な生活に新しいもっと優れた基盤を与えてくれるし、自由が何によって成立したかを理解すれば、しばしば見過ごされている自由への重要な脅威に対する防御もずっと上手にできるようになる。・・・・・・・・' (以下省略、興味のある人は下記の本を買って読んでください)
ダニエル・C・デネット著[山形浩生訳] 『自由は進化する』、NTT出版(2005.6.15)

2006/01/02 00:00:00


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