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私とDTPエキスパート

株式会社栄進堂 代表取締役 加納隆明

 
「安易かつ邪(よこしま)な取得動機」
まず最初に簡単な会社の紹介と私自身の紹介をさせていただく。
私は現在(株)栄進堂と(株)山陰プロセスという2つの会社を経営している。栄進堂は印刷機材・資材の販売会社で,山陰プロセスは栄進堂の顧客である印刷会社のサポートをする,製版会社である。もともと私は島根県には何一つ縁(ゆかり)もなかったが,大学生時代に知り合って結婚した妻が,たまたま栄進堂の先代社長の娘であったというような流れで,東京を引き払って松江に生活と仕事の拠点を置くようになったのだ。
まぁ,言ってみればマスオさんのようなものである(笑)。
そんな私がDTPエキスパート試験を受けたのは,ちょうど松江に来たばかりの,今からさかのぼること11年前,1994年のことである。一部の人々の間では「希少価値の第2期」と言われているらしい,比較的合格率が良くなかった第2期合格組だ。

第1期の受験者は,黎明(れいめい)期のDTPを引っ張っていたお歴々が受けていらっしゃったわけで,合格率が高いのは当然の結果だったわけだが,そんなコトを知らずに合格率だけを見て,容易に取得できるものだと勘違いした輩(やから)が第2期の受験者に多かったというのが,2期の低合格率の一番の原因だったのではないか?と私的には思っている。
ともあれ,当時の私はDTPエキスパートがどういったものかを知る由もなく,自分のこの業界でやっていくための「拠りどころ」的なものが欲しい一心で,この資格を取ろうと思ったのだ。
というのも,今でこそ会社の代表として職務に当たっているわけだが,当時の私は突然東京から島根県にやってきた「よそ者」であり,古参の社員や同年代の生え抜き社員にしてみれば煙たいだけの社長の娘婿だと思われている気がしたからだ。
実際にはそんなことを思っていた社員はいなかったと今では思うのだが,当時は「ただ社長の娘と結婚したというだけで,能力もないのに自分たちの上に立つヤツ」なんて,思われたら情けない…と,本気で心配していたものである。
そんな時に,たまたま業界紙の紙面でこの資格の存在を知ることになった私は,「おお!これだ!取り合えずのところ,自分を仕事のパートナーとして認めてもらうためには,第三者の冷静な審査を経た資格が一番だ!」と思ったのだ。
全く,単純かつ打算的な志望理由だ。

「受験勉強」
当時,栄進堂に入社したばかりの私には,勉強する時間がたっぷりあった。何せ,担当地域・顧客ももたずに,会社の全体像をつかむことと,広く全体のお客様を把握するという漠然とした指示を受けていたので,時間は比較的自由になっていたからだ。そこで,当時ようやく山陰でも普及し始めたDTP設備の提案やシステム構築を見よう見まねで学びながら,印刷工程全般も実地で見て覚え,さらに手に入る業界紙や技術書などを読みあさる毎日が続いた。
当時,私にいろいろと仕事を教えてくれた先輩や上司は,経験に基づいた知識を頼りに細かい理屈抜きに「職人」のように仕事をこなす人たちが多かった。一方,私はそれを裏打ちするさまざまな「理論」を,この受験勉強のお陰で身に着けることができたのだと思う。
先輩社員や上司に対して勉強で身に着けた「理論」を教えてあげることもしばしばで,合格を待たずして少しずつ周りの見る目が変わってきたことを感じられるようになった。

そうしているうちに,十分勉強し切ったという自信をもてないままに,試験日を向かえてしまった。さすがに仕上がりに不安があった小心者の私は,当時の社長(義理の父)にお願いして,集中講義付き試験を受けさせてもらうことにした。今思うと,あの集中講義のお陰でかなり助かった部分があったように思う。
受験で東京を訪れた時も,緊張感を保つために実家へは帰らず,都内のホテルに宿を取るという周到さで,気合十分に試験に臨んだ。
いざ試験が始まってしまえば,そこはお受験世代の走りの私のことである。中学・高校・大学と度ごとに入試というものを体験していたので,試験自体に緊張することはなく,もてる力を120%出せたという感触をもって試験会場を後にした。

課題制作
試験が終わると,課題制作が待っていた。基本的に自分自身が作成しなくとも,指示書の設計をしっかりやって,制作自体は外注でもよいとのことだった(私自身がそう勝手に理解していた?)ので,私は潔く山陰プロセスのオペレータへ外注することにした。使えるものは使わないと!(笑)
が,いざ指示書を書こうと思うと,結局ほとんどの部分を自分で作らないとうまく指示書も書けないことに気づいた。結局,外注丸投げというわけにいかず,毎晩遅くまで諸先輩に付き合ってもらって,何とか課題を提出することができた。

合格!
ほどなくして,というよりも日常の仕事に自分の居場所を見つけ,日々忙しく過ごしているうちにすっかり試験のことを忘れかけたころ,ようやく結果が届いた。
結果は見事合格! ひとまず,これから自分に任せてもらう社員たちの手前,面目が保たれたという安堵感がジワ〜っとわいてきたのは,今でも良く覚えている。採点者の方のコメントは少し面映いほどの褒め言葉とともに,それ以降の活動に対する激励を込めた暖かいものだった。

エキスパートとして
それからは,島根県初(山陰初?)のDTPエキスパートとして,恥ずかしくないようにあらねばと,資格を取る前よりもかえって緊張感をもつようになり,もともと小心者であることも手伝って,知らない,分からないことを放っておけないようになった。こうした意識の変化が,それから後の自分の向上心や好奇心を維持する上で役に立っているのではないかと思う。
仕事をしていく上で,商品の上っ面だけをなぞったような知識ではなく,業界の流れやそれぞれのお客さんの現状・実情などを総合的にふかんして,一番ふさわしい提案をお奨めするというのが,理想的な営業のあるべき姿だと常々考えている。DTPエキスパートの試験を通じて得た知識の数々や,それを通じて知り合うことになったたくさんのエキスパートの諸先輩や仲間とのつながりが,日常の業務遂行能力を高めるのに非常に重要な役割を果たしてくれたように思う。

DTPエキスパートクラブ
DTPエキスパート合格者の中の有志が集まって組織しているDTPエキスパートクラブという組織があるのを,皆さんはご存じだろうか?
このクラブの趣意書から引用すると,
「JAGAT主催によるDTPエキスパート認証試験の合格者が中心となり,会員相互の研鑽,交流,情報交換などを目的とし,任意に集う組織。また,事務局等,運営に関してはボランティアを原則とする」という組織である(詳しくはhttp://www.dtp-exclub.org/を参照のこと)。
今では東日本・西日本と組織が別れているが,最初のころは東京での活動のみで,月に1度の情報交換会や勉強会などを行っていた。私は,地方に引っ込んでしまい,最新の情報から取り残されることに対する危ぐを強く感じていたので,声掛けをしていただいた時に二つ返事で入会することにした。当時の会長は,現名誉会長のグラパックジャパンの湯本社長(当時専務)だった。また,そのほかにも当時のDTP業界をリードする(もちろん今もだが)諸先輩方が在籍し,雲の上の会話を繰り広げておられたのを思い出す。私は業界歴も浅く,ましてや当時まだ若干27歳という年齢もあって,いつもは先輩方と少し距離を置いて席を取っていたのだが,ある日の例会の時に湯本会長に声を掛けていただき,その後の酒席までずうずうしく付いていったことから,濃いキャラクターぞろいの初代エキスパートの方々とのお付き合いもさせていただくようになったのだ。
こちらで得る情報や,ものの考え方などは地元松江に持ち帰れば最先端の価値あるものとして,非常に仕事の上で自分を助けてくれた。

営業こそエキスパート認証を!
最初のころは,「DTPエキスパート」というと何となくオペレータや現場サイドの人向けの認証資格制度のように思われることも多かったようだが,私は自分が合格したころからそれは誤解であるということを自信をもって言っていた。以前に郡司さんもこのコーナーでおっしゃっていたように,この資格は「広く深い」知識を必要とする試験であることを考えると,ご理解いただけるのではないか?
印刷会社や製版会社などの営業は,クライアントに対してより良い印刷物をより効率的に提案するために,また栄進堂のような印刷機材ディーラーの営業は,より良い設備や製造の効率化のご提案をする上で,どちらも「広く深い」知識をもっているかいないかは,お客様に与える安心感という部分で大きく影響すると考える。
だから,弊社のお客様である印刷会社の経営者の方々から,DTPエキスパートを社内のだれに受験させるべきか?と問われたら,いつも迷わず「営業さんでしょう!」と答えていたし,実際弊社のエキスパート有資格者も営業職の者ばかりである。

弊社では入社した営業職の者には,必ず試験を受けることを薦める。私は営業として大切なことの一つとして,「向上心・好奇心」を挙げることが多く,社員にも常々「向上心・好奇心」を失った段階で,人は成長を止めてしまうのだと言っている。そして,それを伸ばすのにエキスパート試験はとても好都合なものと考えている。もちろん,個々によって能力差があるのは仕方のないことで,試験に失敗する者もいるわけだが,まずは勉強する努力をしてもらいたいというのが一番の目的であるので,合否はさして問題だとは思っていない。
そして,もし駄目でも再度リベンジのチャンスを与えてなるべく目標を達成させてやれるようにしている。これにより社員のレベルの底上げができればと思うからだ。

これからのエキスパートとは?
私はこれまでに更新試験を5回ほど受験してきた。
2年ごとにやってくる更新試験は,ハッキリ言って「苦痛」以外の何ものでもない! 5回以上更新したエキスパートは巨人軍の長島終身名誉監督のように終身名誉エキスパートとかにならないものだろうか?!というのは冗談だが…(笑)。
2年ごとの更新試験の度に思うことは,やはりこの世界は常に先へ進んでいて,止まることはないということだ。「向上心・好奇心」を常に刺激してくれる制度であると言えるだろう。
ただ,最近少し思うようになったのは,昨今の更新試験の内容などを見ると「DTPエキスパート」という名称でくくるには少々適用範囲が広くなりすぎたのかな?ということだ。
更新試験に関しては主に差分に関する部分の試験であるし,自宅受験ができることもあって特に問題にはならないと思うのだが,これから初めて受験する人たちにとってはどうなのだろう?
どこかのタイミングで職務内容や職責によって,何通りかに試験を分けるべき日が来るのかもしれないなぁ…,などと漠然と思う今日このごろ。
いずれにしても,DTPエキスパートという資格,今後とも取得価値のある認証制度であり続けてほしいと思うし,また弊社の社員教育の一翼を担っていってほしいと思う。

 

 
JAGAT info 2006年1月号

 
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2006/02/05 00:00:00


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