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デジタルメディアの文化への変節点

PAGE2006オープニングの基調講演は、フリーペーパーの分野を世界的に調査されておられる朝日新聞総合研究本部主任研究員 稲垣太郎氏、出版コンテンツのネットビジネス化に携わっておられる小学館執行役員・ネットメディアセンター室長 岩本敏氏、電子出版の草分け的存在のボイジャー代表取締役 萩野正昭氏の3名で行われた。メディアの世紀と言われた20世紀には紙メディアも放送も皆伸び続けていて、20世紀末には翳りが見え始めていたものの、切迫した危機感を持つまでには至っていなかった。しかし今回のセッションでは今までの枠組みではやっていけないという共通認識があり、今日すでに新聞や本に向かわなくなった人に対してリーチを広げる方法としてのデジタルメディアという位置付けも話された。まだ量的にはデジタルメディアのビジネスはそれほど大きいものではないが、メディアのビジネスをする人の意識の上では主客転倒になってしまった。

朝日新聞の稲垣太郎氏は、今がデジタルメディアの文化になる変節点で、文字メディアの生き残りとしてフリーペーパーが生まれてきていることを、最近の多くのフリーペーパーの動向から説明した。フリーペーパーは広告モデルであるために、ターゲットを明確にしてそこに届ける回路を、職域配布とか、嗜好や行動に合わせて、独自に工夫している。今までの新聞雑誌のように先に流通ありきではないモデルである。単に無料の印刷物なら昔からあったが、今は内容的にも評価されるようなものになったので、広告代理店も無視できないようになった。その典型はR25で、長年広告出版界のテーマであったM1世代にアプローチするのにフリーペーパー化して成功した。世界的にもM1層対象にしたスエーデン発のタブロイド無料新聞メトロは、19カ国59都市で合計700万部発行し、この10年の間に世界的にみても読売・朝日に次ぐ世界3位の大新聞にまでなった。その日本進出もささやかれている。首都圏はM1層が300万人いるといわれ、多額の投資にもなり、誰が手を付けるか注目されている。既存の新聞の購読者でも読みきれていないので、R25の先例からしてもスリムなフリーペーパーの出現は既存の新聞とはある程度競合になると考えられるという。

小学館の岩本敏氏は、小学館は60数誌発行していてWebサイトが80あり、編集部ごとにデジタルコンテンツも扱っていたのを統合一本化するネットメディアセンターの責任者で、9年前から下降傾向の既存の出版ビジネスに対しては改善・改良では乗り切れず、「ゼロベースで新大陸の事業戦略」に挑むお話をされた。メディアの接触時間では10年前は1位TV、2位新聞、3位雑誌であったのが、今では1位2位は携帯とインターネット、3位にTVで雑誌は5位になってしまった。TVの出現もパソコン通信・インターネットの出現も出版界には追い風であったのが、自己完結している携帯は既存の出版ビジネスに反映しなかったという。しかし5年前からインターネットや携帯向けの出版コンテンツは売れ始め、特に2005年から2006年にかけては携帯コミックとか携帯小説が大変な勢いで伸び始め、紙の本では売れないもの、手に入らないものでも携帯やインターネットでは売れ続けるものもあるという。これはデジタルコンテンツの種類が累積されていったことと、在庫がなくならない、コストがかからないというデジタルコンテンツの性質からくるものだろう。

また今のデジタルメディアは読みやすさと言う点では欠けているところが多々あり、出版社の編集力でお金を払ってもらえるものをネットの世界に提供していくべきことを岩本氏は話した。アメリカのPLAYBOYを例に、紙の印刷用PDFからjpg化してビューアでページめくりをするデジタル版PLAYBOYをダウンロード販売しているzinioのサービスを紹介した。紙の雑誌とデジタル版は全く内容が同じで同じ価格、デジタル版はリンクがあり、目次から記事に飛ぶとか、広告から広告サイトに飛ぶなどの加工がされている。しかし出版社側ではPDFを納めるだけなので、加工コストはかからない。zinio社はアメリカで237誌、世界で500誌を扱っている。確かに紙と同じデザインの雑誌は通常のWebと比べるとクオリティを感じるが、デジタルメディアがリッチになるまでの過渡的なものであろう。こういったスタイルも2006年には登場してくるという。これらで紙の雑誌が減るというよりも、本屋に行かない人にアプローチできるメリットが考えられている。

ボイジャーの萩野正昭氏は今までの電子出版を総括して、ハードウェアに誘惑され縛られていたことから解き放たれて、いつまでも残るべき、誰もが読めるべきことをコンセプトに、「本」と「デバイス」の間に水路を作るのがデジタルの出版という主張をされ、確かにデモでゲーム機から各種携帯まで何でも電子小説のビューアにして見せた。また読者への「ラストワンマイル」として、弱視や視野狭窄などの人でもビューアで自由に文字を大きくしたり太くしたり、見える範囲をかえられるという電子本の機能を生かしきっていなかったことを指摘し、ロービジョン対応のビューアを無償でダウンロード開始の発表をした。日本の青空文庫、またGoogleやamazon、その他個人やボランティアで多くのところが過去の本をデジタルのテキストに「溶解」することに取り組んでいる事を紹介し、これら「大いなる実験」がどのような未来を囁いているのかを感じ取ることが大事であるといった。こういう潮流を前提に本の文化の再構築が求められているということだろう。

ディスカッションでも多くのテーマがあり、全部は紹介できないが、セッション全体を通して感じたことは、新聞も雑誌もさらにはデバイス優先の電子本も共通して、今までの流通やプロセスやビジネスモデルをセットにしたところに乗っかってビジネスを考えていたのが、デジタルでそのような枠組みが有効でなくなってしまうので、みな裸にされてしまい、自分の価値は何であるのかを問われる時代になったことである。ライターもまずインターネットで情報を得るというのでは、そこから作った紙媒体がインターネット以上の価値を発揮するのは難しい。印刷メディアの意味が薄れるのではなく、Blogも本になって認められるとか、携帯で読んで気に入った小説は本で購入されるなど、印刷物はブランドを作る上で今後も重要であるという話であった。例え数量的に紙の印刷物が減るとしても、ブランド力で生き残るという戦略があり、それも例えフリーペーパーでもブランド力は維持できるという、この2点の意味は重いと思う。

2006/02/02 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会