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常に自信をもってデザインの仕事と関わりたい

◆小緑 淳子

20年前、グラフィックデザインはかじる程度だった私。当時一人で、食品会社の中で大看板を含むPOPを手描きで作っていたのですが、要求される販促物の量は年々増え続け、深夜まで作業を続けても到底処理し切れなくなっていました。
POP専門会社の外注も請け負っていた私は「手描きが仕事として成り立たなくなるのも時間の問題だ」と身に染みて感じており、同時に印刷の世界の急激な変化を驚きと焦りをもって見ていました。
電卓さえろくに使えなかった私がDTPに初めて触れたのは12年前。やる気があるなら教えてあげるという好意に甘えて、知り合いのデザイン事務所にリースしたMacを置かせてもらい、夜ごとベジェ曲線の練習に悪戦苦闘しながら何とか使えるようになったのがIllustrator3.0。
ほどなく簡単なチラシぐらいは作成できるようになりましたが、当時、昼間の職場はすべてWinを使用しており、Win版のIllustratorはまだ発売されていませんでした。やむなく描画機能の備わったカレンダー制作ソフトでたどたどしいイラストを描き、文字を打ち始めましたが、効率が悪く思え、かなりイラつきました。私にとって筆をマウスに持ち替えることは「もう絶対に手では描かない」と固く決心しなければとても無理でした。今思えばかなり大げさですが、私なりにアナログからデジタルへの移行は頭の大改革が必要だったのです。

長年、奥の書耕室(百貨店などでは手描き専門の人がいる部屋をこう呼び慣らしているようです)で黙々とポスターを描いていたおばさんが、突然パソコンの前に座って怒ったりうなったりし始めたのを見て、上司は苦々しく思っていたようですが、幸い止められることはありませんでした。そんな状態で3年ほど過ごし、ようやくWin版が発売された時は、まさに長い長い夜が明けたように感じられたものです。これを読んでくださっている方の中でも、自分のやっていることがDTPだとはっきり認識して作業をしてきた方は、恐らく比較的年齢の若い人ではないでしょうか。私は現在42歳ですが、自分の作業の一部はDTPと呼ばれるものであると自覚したのはつい何年か前です。POPを製作するという目的自体は変わっていないのですが、手作業で行っていたチラシの版下、ラベルやパンフレットのデザインなどももちろん今はマシン頼りです。視覚に訴える物であれば何でも作る社内のデザイン便利屋と言うところでしょう。そしてそのことを私は決して喜んではいないのです。DTPエキスパート認証試験を受けてみようと思い立ったのもそれがきっかけでした。「駄目なデータだな!作った奴の顔が見たい」と印刷屋のおやじに笑われるのが嫌でした。「ほら直ったよ、考えたって無駄、コンピュータだからトラブルも仕方ないよ」とシステムの人間に手間を取らせるのも嫌でした。何よりも、自分が今何をしているのか皆目分からないまま、でき上がっていく結果だけで良しとしていたのでは自信をもって仕事を続けていくことはできないと思いました。視界を開く糸口を探していた時に、偶然本屋で試験対策本を手に取ったのです。そこには、まさに私の知りたかったことばかりが膨大な量で詰め込まれていました。まさかあんなに大変だとは思ってもみませんでしたが、試験当日までの半年間のがむしゃらな勉強(あれはまさにお勉強でした!)を振り返ってやはり受けて良かったと思います。更新試験が怖い!

現在では何人かにDTP関連ソフトの使い方をマスターしてもらい、随分時間的には楽になりました。万能なソフトを使うほど、アナログで作るオリジナルの大切さを再認識させられます。写真、イラスト、カリグラフィとまた初心に返って手で作っています。データ化して人に提供することも多く、思わぬ使われ方に感嘆することもしばしばです。やはり私は便利屋が身の丈に合っているのかもしれません。その姿を日々変えていくDTP環境の中にあって、この先またどんな名前で呼ばれても、デザインに関わる仕事にずっと携わっていけることが私にとって最上の喜びです。

 

月刊プリンターズサークル連載 「DTPエキスパート仕事の現場」2006年4月号


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2006/04/04 00:00:00


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