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過去の私から現在の私へ……そしてさらなるステップアップ

◆鶴田 知里

1989年に短大を卒業後、家具の卸売会社へ入社。事務職に就き、商品の伝票処理・在庫確認、そして電話応対やお茶くみなどで1日が過ぎていく毎日を送っていました。
小さいころから絵を描いたり、物を作ることが好きだった私は当時の仕事に違和感があり、退職して某印刷会社へ転職しました。最初の配属先は「製版グループ」という部署で、写真や版下をフィルム撮影し、何回もフィルムを焼いて分版して最終的には「CMYK」という4枚のフィルムに仕上げる一連の仕事を任されました。ネガフィルムは白黒が逆になるので最初はてこずり、覚えることに必死でしたが、一人でできるようになると仕事が楽しく、次第にやりがいを感じるようになりました。半年間製版の仕事をした後、「版下グループ」の部署に異動、そこで初めてDTPに出合いました。

当時の私はDTPという言葉を全く知りませんでした。その部署では「電算写植機」を使い、文字や表などを組版して印画紙に光転写した後、現像して版下ができ上がるという工程でした。電算写植機とは、今で言うMacのような存在ですが現在のパソコンと違い、文字を入力して変換するのではなく漢字は数千文字もある「文字キー」から探して打ち込みます。探している漢字を見つける時間は経験を積むことによって縮まっていきましたが、悪戦苦闘の毎日でした。また、入力した文字は記憶されず、印画紙に光転写すればその1回で消えてしまいます。文字を間違えて入力してしまえば、訂正が利かないので別に入力して切り貼りをします。ですから、一つの版下を作成するのに恐ろしく時間が掛かってしまうこともありました。このような以前の工程を思い出す度に、Macは何て便利なんだろうとありがたく思ってしまいます。

それから3年後、私は現在勤めている株式会社リョーインにお世話になることになりました。当時リョーインでは写植機を扱える人材を探していたため、知人を介しての入社でした。今回も、今まで扱っていた電算写植機を使っての仕事だとばかり思っていたのですが、実際は前職で使用していたものより旧式だったのでまた一からの勉強の日々でした。それから1〜2年がたち、写植機の時代からついにMacの時代がやってきました。
初めて使用したアプリケーションは「QuarkXPress」で、何もかもこのソフトで作成していました。後に自由自在に版下の作成ができる「Illustrator」での作成になり、以前写植機で膨大な時間を費やしていたことが嘘のように感じるほどでした。

それから10年、社内で「DTPエキスパート認証試験」の合格を手にする社員に続き、私も今後の仕事に生かすべく資格取得に挑戦。今までの業務で得た知識より知らない用語の多さに驚き、時々受験することを後悔したこともありました。この試験は範囲が広い上に慣れない用語が出てくるせいか、勉強してもなかなか頭に入らず、苦手分野は何度も読み書きして覚えました。筆記試験が終わると同時に今度は2週間以内で作成して提出しなければならない課題制作もあり、気が抜けない日々を送りました。そんな課題制作も作成して提出した後祈るように待ち望んだ結果発表……、2カ月後私はついに合格を手にすることができました。資格取得後は、今まで知り得なかった用語や作業過程が身に着いたので、社内や顧客の方々の求めていることにこたえることができ、作業効率が上がったように感じます。このことは、私の自信にも大きくつながりました。

印刷に携わってから16年、過去のアナログ手法の基礎を学び、現在のデジタル手法へと変化する中で、いろんなことを学んできました。また、資格を取ることによって広い視野でこの業界を見ることもできるようになりました。でも、まだまだ知らないことがたくさんあるので、日々の作業の中でいろんな作品に出会い、いろんなことを吸収しながら深く長く皆さんから愛される作品をこれからも作り続けていきたいと思います。

 

月刊プリンターズサークル連載 「DTPエキスパート仕事の現場」2006年6月号


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2006/05/31 00:00:00


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