本記事は、アーカイブに保存されている過去の記事です。最新の情報は、公益社団法人日本印刷技術協会(JAGAT)サイトをご確認ください。

マスメディアがやり残した「フロンティア」

聞き手 日本印刷技術協会 副会長 
和久井孝太郎

和久井:月刊ニューメディアの吉井勇編集長は、1980年代からニューメディア・マルチメディアと名のつくものをいろいろご覧になられて、例えば放送・通信融合、ネットの変化、クロスメディアなど、現在をどういうふうに見ているのか聞かせていただきたい。

吉井氏: 1セグ放送は、4月1日からスタートして、リンクサービスを1次リンク、2次リンクと、どんどん進化させてビジネスのモデルを作ろうとしているが、まだそこまでおもしろいものはない。この分野は放送と通信が同居しているという点では非常におもしろい。 昔、月刊ニューメディア誌ができた頃、キャプテンという、テレビと電話を結びつけるものがあった。あの当時、テレビのある場所と電話のある場所は離れているというのが問題であった。テレビという楽しんでいるものに電話線をつなげるなどというのは合わないと言われて頓挫していった。
今の地上デジタル放送は、LANをつなげとか、いろいろ言われるが、接続率は1%というレベルである。皆が期待するのは、いろいろなものが1つの中で楽しむことができることである。1セグは携帯電話1台で使えるということで、期待感は強い。 私は帰りの電車の中でニュースを見る。あとはスポーツが気になるので見る。我が家の中では自分の部屋で見るには、1セグはいい。プライベートテレビになる。

和久井: そのことは100%、そのとおりだろう。1セグは日本で進んでいるが、日本人には全くないのが、グーグルとかマイクロソフトなどITの進歩を人類に役立てるためにやるのだと自負している人たちである。技術が進歩すれば世の中が良くなるわけではない。

吉井氏: 日本の一番大きな問題は少子高齢ではないか。それにデジタルは何の役に立つのかという具合に結びつけると、やらなければいけないことがたくさんあると思う。日本で1995年は生産人口がピークであった。内閣府が国民の意識調査をしたところ、1995年までは、これからの時代は良くなるか、悪くなるかというのが毎年入り乱れていた。その前は高度経済成長なので、「いい」というのが多い。1995年以降は、完全に「これからの時代は楽観できない、非常に不安である」というのが圧倒してくる。
1995年時点では生産人口が最高で後は減ることは誰も知らないのに、空気として読んでいる。放送と通信が融合して何に役に立つのか、我々の足元の何を変えてくれるのかというところは、非常に大事なテーマだと思っている。

かつてのアナログ放送は、国民のすべての家庭に送り届けようということと、よりいい画面を目指してきたと思う。そういう中でどうしてもテレビという情報ときちんと向かい合えなかった人たちがいる。例えば視覚障害の人や、耳がよく聞こえないとか、忙しいとか、いろいろなことでテレビから得る情報というものからスポイルされた層がたくさんあったと思う。そういう人たちに対してきちんと伝えていくというのが、私は大きな役割だと思う。
その点では1セグ放送は字幕がアウトスクリーンで見られ、聴覚に障害のある人にだけ役に立つだけでなく、電車に乗っているとき、イヤホンで聴かずにこれで見られるというふうになる。それから延長していくと、例えば仕事場でテレビをつけているところで字幕を出していると、何があるのかが見える。音を聞かなくてもいいという具合になっていく。 この話がどんどん進んでいくと、電車内は音声が使えないが、山手線のトレインチャンネルにリアルタイムのニュースが流せる。今までのテレビが果たしてきたことだけでなく、もっとやるべきことが増えてくるのではないか。

それは放送法を使うのもあるだろうし、ブロードバンドを使うことも十分考えられる。そういう点で言うと、2つの力が相互に主と従となりながらパワーを出していく、非常に大事な時代を迎えていると思う。
今まで、「できなかった」ことの1つ1つは小さいかもしれないが、2030年くらいに生産人口が2,000万人くらいなる、障害を持っていて働きたいと思っている人とか、65歳を過ぎてもまだ働きたい、もっと自分の能力を発揮したい、あるいは、女性で言うと30代、40代の就労から離れていた人たちが社会的に働くというチャンスを得るために、そういう技術が貢献できるのではないか。メディアが社会全体のインフラとして立ち向かうことができるのかというのが、まず一番大きな私の関心である。

かつては番組と呼んでいて、今はコンテンツという言い方をするが、コンテンツと言ったとき、テレビからもう少し離れて、内容というか番組が売り買いできる。今まではテレビ局間の売り買いはあったが、もう少し、通信とか、他のメディアの中で活躍する場面が増えてくるだろう。それが新しい産業として、今までではない新しいものを生み出すのではないかというような期待感がある。
昔のNHKの番組は、認知症のお年寄りが元気になる1つの大きなきっかけになったりすると、よく言われる。それは自分が昔見たようなものだからである。テレビは放送の文化として非常に価値を持ってきているので、もっと利用するシーンを増やしていこうというところに放送と通信の融合もあると思っている。

和久井: 技術的には通信と放送は同じで、そこはできるだけ両方が流通できるようになる。これは融合だろう。しかし、一般人にとってみれば、放送は今放送されているテレビのことだし、通信と言えば電話やFAXだし携帯電話であり、文化としては融合していない。 メディアは文化なので、文化はお互いに持ちつ持たれつ、さらに発展、進化をしていくというのが文化そのものの性質である。そこら辺を見極めずに、「放送・通信、一大ビジネスチャンス到来」のようなことを言うといけない。 技術的にどういう問題があって、どういうサービスあるいはどういう社会貢献ができるかを飛ばして、ビジネスチャンスの話になるからおかしくなる。

吉井氏: ネットの特徴として「参加型」というのがあり、美しい言葉であるが、実態は荒れてしまい、参加型というのは幻想のようなところがあるのではないか。参加型というのは、参加しているメンバーのモラルをどう維持するかで、発言を一生懸命やる人がいると、非常にモラルのいい議論ができる。
私の持論だが、参加型をきちんとやっていけるのは人口1万人に1人ではないか。東京は、1,000万人以上いるので、2,000人くらいがリードしていると考えてもいい。あるいは企業が関わってきているので、非常にバリューがあると思う。
個々人のかかわわりは持続はしない。一番先頭を切ってやりたい人たちがソーシャルネットワークとか、Web2.0だとか、技術の話を入れながら、1つのブームを作っていくのだろう。そのことで言えば、参加型ネットというのはメディアの1つのテーマではあると思うが、最終形が絶対ない世界だと思う。

和久井: そこは少し違う見方をしている。進化論のような話からすると、本当のマスが発信する情報は玉石混淆で、吉井氏が言うように、1万に1つが玉で、あとはネガティブなものもあれば、反社会的なものもあるし、どうでもいいものがほとんどである。しかし、その玉を拾い出そうとしないと、本当の玉というのは埋もれてしまう。本当の玉は在来の社会では拾えていない。
それが技術として一番強烈に現れているのはグーグルだろう。彼らは哲学として、ある種、人類の進歩に温かい目を送っている。なぜ日本の技術者は哲学がないのか。技術というのは、両刃の刃である。

人間が先に希望を持つためには、1万に1つのものを選び出して普及していかなければいけない。やはりオープンなコミュニケーションというのは、もっと進歩して然るべきだし、逆に言うと、それとは全く別にもっと1人1人が自らの倫理観とか直感力を磨くべきだろう。 経済というのは人間の欲望みたいな形のもので、今の自由経済というのは科学技術の進歩と結びついているから進歩している。ところが、自由経済でない経済、奉仕の経済ということも考えられる。

吉井氏: 月刊ニューメディア誌で字幕放送の問題を採り上げた。今までの番組作りにプラスして1時間30〜40万円の制作コストがかかるので、総務省はそれを推進するために、1/2〜1/6の補助金を付けた。そうするとその補助金がある範囲で字幕放送をしようということになる。 放送局は電波を免許として与えられた独占事業なので、そのメリットを社会にどう返すかということを考えなければいけない。それを公共性という意味で考えると、自由経済原則だけでは成り立たないものがある。
事業収入の0.5%でもいいからファンドとし、国も税金を少し出し、自治体も出し、あるいは民間企業でも志のあるところが出して字幕を作ろう、あるいは、字幕を作るためのシステム開発をして、それよって社会が大きく変わって、また上がってきたものを皆がファンドに戻していく。こういうことが、先生の話だと、私は理解している。

和久井: 何も日本の研究者だけに補助金を付けるのではない。中国だってインドだっていい。どこだっていいから、オープンでやった方がいい。ところが、「日本の産業育成」と限定していたら、ろくなものはできない。それがニューメディアの失敗と今日のインターネットの対照ではないか。

吉井氏: 技術は、そのことのためだけに使えるのではなく、もっといろいろなものに使える。 音声認識などの技術が進歩すれば、例えばからだが動かなくなっても何かができる。動いている人たちだって、もっと効率の良いやり方ができる。技術というのは他への影響力がたくさんある。
「これがすごいだろう」と言って持ってくる技術者は、先生の言う哲学がないということだろう。ここまで行く技術をどう使うかというところが一番大事だと思う。しかし実態はニーズを「知らなかった」ということがある。博士の言う哲学論は、なかなか難しいところはあるが、私が博士の言葉を聞くと、そういうふうに結びつけてしまう。

和久井: 哲学と言うと、少しまずいのかもしれない。歴史の正しい認識と言えばいいのかもしれない。それも文化の歴史である。人間の文化がどう進化してきたのかを考えると、次の50年は見えてくる。別に不思議なことは何も起きていない。やれることをやっているだけの話である。ただ、ビジネスとしては誤解に継ぐ誤解をやって、その中から生き残ってきているものは残っている。それがまた文化になっている。それは淘汰をしていけばいいだけの話である。
そうすると、メディアは人間のコミュニケーションの本質がわからないと、わからない。メディアの問題を議論するために、コミュニケーションの歴史がどうなってきて、現在のコミュニケーションはどのレベルで、次なるコミュニケーションがどこに行くのかという仮説が必要である。

もう1つは、経済原則というか、さしあたりは自由経済という枠組みの中で、オープンな経済、自己犠牲の経済というのはこれからの話である。経済というのは人間の欲望なので、ライブドアのようなことになりかねないが、そういう経済が科学技術を欲している。 科学の方は、本来から言えば価値とは無関係である。進化というのも価値とは無関係である。価値は人間が思い込むだけの話で、変化というのは本質である。そうすると、科学の過去、現在、未来、それの仮説、それから技術の過去、現在、未来、それを全部総合すればどうかと考えねばならない。

吉井氏: 大島渚監督の名言がある。NHK技研に大島氏が招かれて、「ハイビジョンをどう使うか」という質問を受けた。そのとき、「アナログは目的があって、それに対して、ここを曲げればいいとか、何かレンズを付ければいいじゃないかという発想をするが、電子技術、デジタル技術は、人間の思惑とは関係なく、技術が次の技術を生んでいく。目的性がなくなる。そこがデジタル技術の本質なのだというふうに、技研で思った」と言っていた。

和久井: それは直感として正しい。人間は自分がいるとか自由意思があると思っているが、それは思い込みである。自分は利口な人間だなどと思わない方がいい。いったん引いて見て、冷静になって、できるだけ総合的にものを見るべきですね。

月刊『ニューメディア』:
1983年創刊。デジタル放送、大型映像、インターネット、新エネルギー、ナノテクノロジーなど幅広い新技術、新事業を対象。他メディアと一線を画す徹底した調査、取材を行い、オピニオン形成と市場の発掘・発展促進を目指すメディア情報誌。 主な読者層は、関係企業、自治体の情報政策担当、教育機関、機関投資家など。

吉井勇氏:
月刊ニューメディア創刊時から係わり、1988年より2回目の編集長として、デジタル放送、チャレンジド(障害者の就労支援活動)、日本画質学会創設など、多方面で活躍。

関連記事

デジタルワールドの5年間の変化をふりかえる (1)
デジタルワールドの5年間の変化 (2)
デジタルワールドの5年間の変化 (3)
デジタルワールドの5年間の変化 (4)
デジタルワールドの5年間の変化 (5)
デジタルワールドの5年間の変化 (6)

2006/06/21 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会