PAGE2007の朝の基調講演「21世紀のメディア環境はこうなる」では、写真のレタッチに代わって、CGと実写合成で見事な質感を描き出す浅岡肇氏、ケイタイやコンシューマエレクトロニクスの急激な進歩や今後人々を取り巻く新たなメディア環境を追いかける清水計宏氏、ネットの未来やその中の出版の姿、CGMやYouTube、MySpaceなどWeb2.0的動向を考察する歌田明弘氏という今日の変化の最先端にかかわる3人が登場し、20世紀のアナログメディアでは考えられなかったような、ボーンデジタルの先に起こりつつある兆しを話し合った。
浅岡肇氏は、元はプロダクトデザインを手がけ、実際にNC工作機械で金属を加工して腕時計を試作されたりしておられたが、10数年前から3DCGを手がけ、広告のビジュアル制作は撮影の立会いから、CG合成、レタッチ、CMYK変換、DDCP色校正までを一貫して行ってきた。最近はデジタルカメラでの撮影も自ら行って、本当に完全に自分一人でイメージどおりのビジュアル制作をしておられる。以前はCGのレンダリングは非常に時間がかかって広告のように締め切りのあるものに高解像の処理は向かないこともあり、カンプのような使い方であったが、その完成度が高く、次第にCGと撮影が同レベルになり、ついにはCGの中のパーツとして実写撮影が用いられるようになったのだろうと思われる。
CG制作はCADのワイヤフレームをこつこつ作っていく作業と、それからレンダリングされる絵に対して構図、アングル、ライティングなどの設定をしながらデザイナの感性を加えていくプロセスに分かれる。CADそのままでもクリアに見えるが、カメラ撮影の時にライティングやいろいろな演出によって、ある雰囲気を出そうとしていることを、CGのシミュレーションで行う。現実の演出では費用や作業的に限界があることをCGなら徹底できるので、手間さえかければイメージどおりの仕上がりになるという。例えばタレントの顔にSF的な小道具をつけるのに、タレントの顔をワイヤフレーム化して一旦CGで作ってしまい、その肌の部分を撮影データから貼り付けることで、写真の質感とCG部分を継ぎ目のないものにしてしまう作例もあった。
かつては多くの人のプロジェクトで時間とコストをかけて作成されていたような、世界の一流ブランドの広告で、世界中の一流の媒体に載るトップクオリティのビジュアルが、1個人のパソコンの中だけでここまで出来てしまう現実に改めて驚きの声が上がった。
清水計宏氏はヤマハ時代に電子楽器の開発から楽器のデジタル化を振り返って、アナログの模倣をしている間はビジネスとしてアナログを越えられないが、模倣から脱却するとアナログの市場を越えた話を例に、YouTubeも「テレビ」という語に縛られないようになったことが、新たな時代を象徴するものであると述べた。2007年頭のCESでは、コンテンツはメディアに拘束されなくなり、メディアに拘泥するほど仕事を失うようになる。これは話題のTVとYouTubeの関係だけでなく、欧米のマスメディアでは、ラジオ放送と同時のインターネットチャットや、TV番組と一体化したSNSなど、視聴者参加の複合した使い方が一般的になりつつあるという。しかし日本のマスメディアはネットでの開かれた視聴者参加には消極的である。
今までのメディアビジネスがマス指向で、市場の大きさを第一義に考え、その結果コンテンツビジネスは「ミズモノ」として扱うのに対し、ネットでは相手が少数でも情報発信できて、それが次第に多くのオーディエンスを獲得するような下から上へのビジネスが成り立つ。イノベーションは最初は「反対」が多くても、次第に容認され、受け入れられ、支持され、信奉されるように推移するもので、ネットのコンテンツビジネスもそういった道を辿っている。人から人への情報の波及は、最初は劇場型であったのが、メディアの成立で次第にパーソナライズ化し個人の内に向かううちに人は閉鎖的・孤立的になり、それが今、外に対して連携・共有を求めたメディアに向かう。SNSの中での親しさをみても、数人/30人/200人規模と、リアルワールドと同じようなソサエティを構成しつつあるという。
今までは企業の枠に自分を合わせる生き方であったのが、自己実現に向かってメディアの中で行動することで高い満足度を得るような行動形態が生まれつつあると、メディアと人の関係を説明した。
歌田明弘氏は、今の民放大手の放送局という意味ではなく、装置としてのテレビのウエイトやステータスは21世紀には上がることが、今のデジタルテレビの大型がよく売れることから感じられると話した。デジタルでテレビの画質が上がり、表示能力が上がっているので、そこにどんなコンテンツを表示するかの問題になっている。一方インターネットは出力装置がいろいろで、コンテンツと出力が切り離されているのが特徴である。今インターネット上には動画を流す試みが続々と出ているが、それらは先にはテレビに流すことを意図している。
従来からキーデバイスはTVかパソコンかという議論があったが、TVのパソコン化とパソコンのTV化の両方が起こっていて、今は読むデバイスよりも見るデバイスにシフトする様相でAV機器重視にみえるが、利用局面を考えるとTVの番組を探して操作するにはリモコンに画面がついたようなものがよいし、文字を読むには読書端末のようなものがよいし、大型ディスプレイも必要で、それらが関連して使い分けられるような時代が来るのではないかと話した。実はインターネットTVも電子書籍端末も過去には失敗しているが、それらが別物として存在するのは無理でも、そのニーズはこのようなデバイスとコンテンツの分離および連携した使い方によれば、究極的には実現するのだというように受け取れた。
昨年11月に日本にも登場した、世界で1億3千万人が登録する一種のSNSであるMySpaceについては、日本のネット書き込みが匿名性が強いのと対照的に、個人がMySpaceで派手なサイトつくりをしてコンテンツや名前の自己宣伝をしているものなので、最初は違和感があるかもしれないが、日本でも出版社が本の宣伝をしてくれる時代ではなくなるので、著者自身がインパクトのある自己宣伝をして、友達の輪から徐々に広げていく方法が有効なのではないかと話した。
3スピーカーの話を通じて、もっとも印象付けられたのは、デジタルメディアの多様性はいつもその裏に個人の自立を前提にしていることである。別の言い方では、デジタルメディアの流れに逆らう力とは、既存の枠組みを守ろうとする価値観だといえるだろう。
2007/02/08 00:00:00