黒とはどういう色だろう。理屈からするとブラックホールのようにすべての可視光を吸い込んで、外には反射しないものをいうはずだが、そのようなものは存在しない。印刷物でも墨ベタは角度によっては反射して光って見える。だから計測して墨の濃度は幾つであるといっても、それは特定の計測条件の下で成り立っているだけで、印刷されたものの「見え」は別である。
特に写真撮影時にフラッシュをたくと、見た目とはかなり異なる画像になる。単に裸眼で見る場合に、人間は光を発しないので、目前に置かれたものはあまり表面反射しないから黒は黒だが、フラッシュの光が顔料の手前の油膜などの光沢層で反射すると、顔料の色にかかわらずテカってしまうとか、用紙や布地の蛍光物質を刺激すると白さが滲んでしまうこともある。プロが撮影する場合には、事情は呑み込んでいるからこういったことは起こらない。
また人間の黒髪は黒く見えても、光が当たると子供では「天使の輪」のような反射する部分がある。このような光った様子は、実は右目と左目では少しズレて映っている。しかし通常の写真で撮影すると1枚の画像になる。それでも確かに光っている部分も記録されてはいるが、現物を見たときのような印象にはならない。だいたいキラキラ感のあるものは左右の視差があるものである。
黒い布地のしなやかさなども、真っ黒に写っては表現できない。黒い糸も光線の加減で反射をするから布地の感じがでる。要するに多くの場合で質感は光線の反射が関係している。黒い物体を黒で印刷すれば再現はおわりではなく、いかに質感を出すかが再現上の課題である。実は黒でなくても、光線の当たり具合とか陰のでき方で物体の色はダイナミックに変わって見える。人の眼にはベタで塗りつぶしたようには映っていない。
当然、色も左右の視差で角度が異なると光の具合は微妙に異なり、それがモノの印象につながる。昆虫や鳥の羽のような構造色は、左右の視差での見え方の違いが大きいのが、おそらく顔料などに比べての特徴なのだろう。このように考えると、写真という1枚の画像にそれなりの見え方に納めるには、適切なライティングがいかに重要かも想像がつく。また画家が絵の具で表現するのにどのように腐心しているかも想像できる。
このように人が見ているものの印象を再現するように1枚の絵に納めるには相当のテクニックが必要だが、左右の視差をそのまま情報化して再現しようとする3D画像なら、上記のような質感表現が改善されるだろうと期待できる。音楽がモノラルからすべてステレオになったように、21世紀には画像の3D化が進んで当たり前になることも考えられる。
このほかに光源の多様化が進むのも21世紀である。光源の分光強度が異なればデジタルカメラでも記録される画像の色味は異なってしまう。その補正はRGB3色ではやりきれないところがある。ディスプレイも大型化に伴い異なる方式が増えて多様化している。静止画でもディスプレイ上は動的に色を出していて、混色は複雑なものもある。また4色〜6色のディスプレイも出てきている。新たな技術にはいろいろな可能性があるが、方式の異なるデバイス間でどのように色の見え方を同じようにするのかについては、従来の単純なカラーマネジメントではできない。
新たなデバイスの利用はまだいろいろな困難を乗り越えなければならないが、その先には従来のグラフィックアーツを超えた、よりリアルで自然な表現の世界があるだろう。プリントの分野もその時代にはきっと変わっているだろう。色評価士検定が考える「色の評価」とは静的な色標の見分けとか、インキの特練り、というような色材の世界に留まるものではなく、印刷のCMYKやRGBを超えて現実感に迫る新たな世界の構築のためである。
2008.7
2008/07/19 00:00:00