一般の人がワープロやパソコンで日本語を扱うようになって20年ほど経ったことの影響が出始めている。もともと漢字の利用は歴史と共に整理され簡素化されてきたものである。JISの漢字も1978年から1983年への改訂の経緯では、当用漢字/常用漢字に基づいた漢字制限論的な考え方が支配的であったが、その後漢字を扱う機器が普及するに従って、かえって漢字に関する関心が高まっていった。
これは本質的にはJIS漢字が足りないから起こったことではなく、国民的な意識の変化であると考えられる。なぜならそれまでの新聞も義務教育の教科書も、和文タイプのビジネス文書も基本的には2〜3000字種でなんとかしていたのであって、足りない分は例外処理をすることは常識だから、それらのシステムは漢字が足りないから問題だといわれることはなかった。
なぜJIS漢字は足りないことが問題にされたのか、未だに釈然としない部分があるが、足りないことは事実である。そこで以降JISの改定にたびに漢字は増えつづけてきた。JISは改訂の毎に委員会を新たに設置するので、方針が変わってしまうことと、その時々の状況によっても要求の質が変わるという変遷があった。そのため過去のJISに一貫性がないように見えるかもしれないが、善く解釈(そのような論評は滅多にないが)すると柔軟であるともいえる。
新たに決まったJISの第3第4水準は、そこで追加された文字種の議論とは別に、いくつかの今日的な様相がうかがえる。まずこの種の委員会の活動期間は2年ほどで無予算で調査をしろというのだから、そこで合理的な説明のつくような結果を出すことは至難の技である。しかし今回は優先度の高いものとして電話帳や検定教科書など官庁系の不足文字を相当調べ上げている。これは、昨今のパソコンの普及で、短期間に相当の調査が可能になったためでもある。
また調査にあたった委員はボランティアのようなものであり、仕事柄パソコンの利用者でもあるという点でも、JIS漢字を使う側と規格立案側の隔たりがぐっと減った感がある。これは今日使われている外字の採取を吟味する場合に、一貫したスタンスを維持できたことに結びついているだろう。どうしても長い文化を引きずっている漢字は、さまざまな観点からの議論が尽きない傾向になるが、漢字政策や字体などの議論のための議論をうまく整理したと思う。
この種の委員会の作業に関わった人達は「整理」がどのような根拠で行われたかわかり、学習効果をあげるのだが、しかし「外野」は相変わらずのままで、従来と同じようなヤジが飛んでいる。足りないといわれてきた工業規格の字種も、もはや通常の写植や活版の字数を越えていて、ただ不平を言う時代は終わったように思う。
JIS第3第4水準が姿を現すのを機に、またこの間の漢字への意識の高まりを背景に、従来の漢字制限/無制限の水掛け論ではなく、「外野」が賢くなる方向に議論が進んでもらいたいものである。
(テキスト&グラフィックス研究会会報 通巻129号より)
2000/03/10 00:00:00