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アメリカが主導できないデジタル時代の放送

実質的にTVの技術開発をし、TV局の装置を作り、TV受像機も作り、TV番組というスタイルを作り、TVコマーシャルのビジネススタイルも作って、大衆的TV文化を作り出すまで、アメリカは一貫して行っていたので、TVはアメリカの象徴でもあった。TVを通じて垣間見るアメリカの市民生活は日本人の憧れでもあった。アメリカのようになりたいと思って一生懸命働いた人も多くいたし、スイッチを入れると未来の生活が見えるTVは好まれた。

今日ではTVやビデオ関係の製品開発は日本、製造は東南アジアや発展途上国が中心となり、アメリカで作られる製品はごく僅かになった。また一時は強大な権力となったアメリカの3大ネットワークも、CATVや衛星による多チャンネル化、ゲームやインターネットなどのマルチメディア化の中で、プライムタイムの視聴率が最盛期の半分くらいにまで下がり、強大な発言力というのは弱まっていった。

アメリカならではの、技術開発とビジネスと大衆文化の絡み合った中でお互いが揉まれて成長したというTVを取り巻いていた環境は、上記のようなことが重なって瓦解し、新たなTV技術の芽がアメリカの社会で育まれることもない。アメリカはHDTVをはじめデジタル放送など「次世代」TVの震源地にはならなかったし、世界に対してのTVに関する規格開発力も弱まった。

アメリカでは、ビデオテックスも、ビデオオンデマンドも、また衛星携帯電話のイリジウム計画など大損したプロジェクトはいっぱいあったし、その失地挽回がインターネット技術への力の入れようになって現れたようにも思える。昨年のNBAで将来の放送はインターネットになると力説していた人がいて、日本人でそこまで主張する人はいないなと、非常に対照的に感じたことがある。

アメリカは基本的に行政が民間のビジネスの方向付けをすることはなく、市場原理と自然淘汰にまかせるスタイルだが、これが通用するのはかつてのTVのように技術も生産もマーケットもすべてが国内にあってバランスしている場合に限られる。今のコンピュータやネットワークはそれに近いものがあり、アメリカの市場原理で邁進できるが、放送分野はもうどこの国も自国ですべてはまかなえない状態である。

デジタル時代は効率的なビジネスのためには、政治的判断があまり入り込まないグローバルな規格化が必要になるだろう。

(出典:通信&メディア研究会 会報「VEHICLE」141号 より)

2001/03/20 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会