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ハイブラウ,ローブラウと新しい労務思想



塚田益男 プロフィール

2000/3/21

 印刷界の労務思想は長い間,終身雇用,年功序列賃金であった。印刷経営者は常に求人活動に努力してきたし,中卒や高卒という新人の採用は金の玉子を探すように大変なことだった。その子供たちに裏切られることが当たり前なのに,社長はひたすら若い子供たちの生活の面倒までみて,一人でも二人でも引き止めるのに夢中になった。春,秋の社員旅行には大盤振舞いをし,会社と社員の一体感を育てようと努力をし,朝礼では社長が作った社是,社訓を斉唱させ,社長の訓辞も行い,社員の動機づけに夢中になったものだ。終身雇用など法律にもなっていないのだから,裏切られるのが当然なのに,社長はそれが慣行であり,経営の価値観なのだと信じていた。私はいつも中小企業の経営者は釈迦かキリストかといって野次ったものだが,それが悲しい現実であった。

 こうした中小印刷業の経営者の社会的価値観と,義務感の時代はいま終えようとしている。社長がいくら自分の倫理観や会社の社会的任務について説いてみても,若い社員にとっては馬の耳に念仏である。会社の旅行に参加することは,社員間の友情を温め,仕事の進行をスムースにするための社員の義務である,従って,社員旅行費用は会社が全額負担し,会社と社員の一体感を作ろうと努力する。しかし喜んで参加する社員は半分もいないだろう。社長はその度にがっくりと肩を落とす。

 社員にとってみれば,上司のご機嫌をとる旅行に参加するよりは,自分が自由に使える時間の方が貴重なのだ。若い社員にとっては,会社の仕事は一生懸命やるけれど,社長の独善的で普遍性のない倫理観まで押し付けられてはかなわないということになる。

 その上,社員の身分はどんどん多様化する。20年前は会社の中の社員は正社員ばかりだった。今日ではいろいろな身分の人が社員として働いている。正社員,派遣社員,パートタイマー,アルバイト,嘱託社員,定年後嘱託社員,年契約社員,SOHO社員,外国人労働者などである。社員の多い会社だと,社長が工場に入っても,だれがどんな身分で働いているのか分からない社員が大勢いるだろう。工場だけではない,オフィスの中だって,沢山の身分の人が働いている。これらの身分の人たちを管理している,現業の管理者,本社の総務担当者諸氏もよほど,勉強していないと混乱してしまう。

 今日のように不況が一般的になり,会社の経営そのものが売上減,利益減で苦しむようになると,リストラの一環で社員数を減らすことになる。その場合,会社として一番留意することは経験豊かな人材を残すということである。昔のように職業教育ということで,学卒の新人を採用して,2年も3年も教育している余裕など会社には全くない。まして,学生時代にスポーツも勉強もしなかった人たちを甘やかす社会ではなくなった。大学卒の初任給というのはなくした方がいい。大学を出たら一定の高い評価を得られるほど大学生は勉強していない。過日,東京大学のある学部長と話をした時,彼は次のように言っていた。――大学は本来,研究活動をする所で,学生に基礎教育をする所ではない。従って,うちの学部ではすでに3分の2が大学院生で,学生は3分の1になっている。――私にも同じような経験がある。旧制の松本高校を卒業する時,物理の教授が最終講義で次のように言った。――君等には基礎的なことはすべて教えた。もう教えるものはない,君たちは大学へ行ったら胸をはって,それぞれの専門分野の研究活動に入ってほしい。――そして大学へ入って最初の講義の時,英文の原書を買わされて,いきなり教授のその本に関する意見を逐一聞かされるのだった。こうして学問に対してこよなく自由なキャンパスを愛し,卒業する最後の日には,通いなれた図書館の出口で,涙を流しながら去った思い出が,50年経った今でも懐かしい。

 昔でも社会のために働こうと思ったら,また今日のように科学技術が高水準になったら,大学の水準はもっともっと高くなければならない。現実の社会の厳しさと,若い人たちとの認識の差は,失業率に端的に表れる。
○失業率 1999年11月
男子全体4.7%15〜24歳9.7%
       55〜64歳6.6%


 20年ぐらい前までは若い人の失業率はゼロで,年配者の方が失業していた。今日では年配者は働き盛りを過ぎていても,経験が豊かだから,若い人より失業率がずっと低いのだ。

・ハイブラウ,ローブラウ(high brow,low brow)
 ハイブラウとは「額の広い人」,すなわち教養のある知識人を言う。ローブラウとは「額の狭い人」,すなわち社会経験が少なく,単純労働にしか向かない人を言う。数十年前からアメリカでよく耳にするようになった。最近ではcansとcan notsという言い方もある。コンピュータを使いこなす人と使えない人という意味だ。社会の技術レベルが高くなると,ハイブラウな人たちの社会的価値が高くなる。経営者はこうした人たちを採用し,身の廻りにおかなくてはならない。コンピュータの時代,ネットワークの時代になったら,会社経営に多忙な重役陣では,3ヵ月ごとに変わるようなソフトとハードを追いかけて勉強する時間などあるはずがない。経営者の任務はハイブラウな人たちを理解し,採用し,話を聞く度量と理解力,教養を持つことだ。ハイブラウな人だからといってJack of all trades(何でも屋)というわけではない。社会は多様化する一方だから,むしろ一部分しか理解できない専門家かもしれない。それだからこそ経営者というハイブラウな人が必要になる。

 社会全体から見ればローブラウという人たちは30%ぐらいかも知れない。実際には,ハイブラウ20%,ミドルブラウ50%,ローブラウ30%という所だろうか。ローブラウの人たちは単純作業の人たちだからといって,すべてをロボットに置きかえられるものではない。アメリカ式のマニュアル作業であっても,最終的にはヒューマンインタフェースが必要になる。近代社会ではローブラウの人たちであってもマニュアル教育は最低限必要だということだ。しかし,ローブラウの人たちに,ハイブラウの人たちに求めるようなコラボレーション(協調)を期待するのは無理というものだ。この層の人たちは雇用の多様化の中で,正社員以外の身分の人たちも多いだろう。

 私は前の記述の中で,「結果の平等,機会の平等」の話や,社会思想に関する安定と均衡の話もした。ハイブラウの人たちは「機会の平等」すなわちハイリスク,ハイリターンの機会を常に会社の内でも外でも求めるべきである。そして社会の均衡ある発展に貢献をすべきである。一方,ローブラウの人たちは,レベルアップに努力をするのではあるが,社会的には福祉と安定という社会の楔(くさび)に守られているべきである。

・印刷界の現在の就職構成を見てみよう。

「全印工連,経営動向調査」より

 20年前の印刷会社では,現業で働く人が53%,デスクワークの社員が47%であった。いつの時代でも生産性を上げることは経営の第一の課題であるが,製造部門では相ついで新鋭機械が開発されてきたので,お金さえ調達できれば,生産性を上げることも,人減らしも可能であった。しかし,この時代の社会はまだ右肩上がりの成長期で,経営者の関心事は従業員の確保と生産設備の新設,更新であった。従って印刷物生産にすべての焦点が合わされており,サービス活動やCS(顧客満足)などという概念はない時代であった。

 印刷経営の20年前のパラダイムは今日では全く別のパラダイムにシフトしてしまった。サービス活動が生産活動より上位の概念になったし,ソフトがハードより上位になった。働く社員の職種も,デスクワーク社員が70%を超えるようになり,ソフト志向になってきた。ところがデスクワーク社員の生産性を上げることは難しい。当然コンピュータリゼーションしか方法がない。そこで会社全体のネットワーク化,すなわちイントラネットとかエキストラネットを導入することになるが,会社全体の全業務を有機的に結びつけるソフト開発やサーバの開発が必要になる。

 ところがそうしたネットワーク開発や管理という仕事は専門の人材を必要とするので,社内では求められないものだ。そこでアメリカでもネットワークのアセットマネジメントとか,ファシリティマネジメントを行う専門のアウトソーシング業者も誕生した。その場合であっても,アウトソーシングの窓口になる専門技術者は社内にいなくてはならないし,作業実施のコンピュータオペレータは社員でなくてはならない。

 いずれにしろ,デスクワーク社員が70%を超えてどんどん増えていく印刷経営体にあっては,経営のパラダイム,労務管理のパラダイムは全く変化しなくてはならない。


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2000/03/21 00:00:00


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