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字種・字体・字形・フォント

コンピュータで扱える漢字を増やそうという動きが、文字鏡/超漢字/GT書体(GT明朝)など民間で近年盛んに興ってきたが、UCS(およびUnicode)の拡張やJIS第3第4水準といった規格側でも盛んになった。Macの次期OSである OS X でも今までにない多くの漢字を扱えるようにしている。これにつれて必要な漢字数の議論もあちらこちらで起きている。

これらは、ワープロやパソコンが浸透するにつれて、あの漢字がない、この漢字がない、という声が増えた結果であるが、利用者の希望を聞いて追加するだけでは問題解決にはならない。もっともいろいろな考え方があって、希望があれば全部盛りこめばよいという主旨の文字セットもあるのだが、そういう方法論は管理不在になって、長期的には利用度が下がってしまうだろう。

かつてホストコンピュータにしか漢字処理がなく、そこで生命保険や住民登録のシステムを運営していた時代でも、外字制作のユーティリティはあって、システム内に希望の字がになければ追加をしていった。しかし、過去に作った記憶があるような字が出現しても、どこにあるのか探すよりも、新たに作った方がてっとり早いので、同じ字を何度も作ってしまったという。こういうことをしていると漢字は増えつづける。

印刷会社の活字や写植における「外字」も同様なことをしていた。一度制作した外字を再利用できるようにする仕組みが問題であって、文字を増やすことは対価がもらえる範囲では日常的に行われていて、それは大した作業ではない。このように印刷会社という限られた世界での文字セットが、今日では冒頭のような民間の文字セットという場に移っただけで、漢字の管理方法が進化したわけではない。

漢字を制作することよりも、あの字とこの字は同じかどうかの判定を迫られる方がよっぽど大変なことである。これをやらないで文字さえ増やせば良いというのは、管理からの逃げである。漢字を管理しようと考えると、あの字とこの字は同じか、という異体字の判断を積み重ねていくので、扱い字数は減っていく。それは、康熙字典には渡辺のナベは2文字しかないことからも分かる。

字典で主に管理しているのは字種で、字種は概念の数で限られる。季節が春夏秋冬と分けられるなら4種の文字になるようなものだ。性別なら男と女があり、また人生のいろいろな局面において性別差を表す文字ができる。人間の触れる森羅万象は有限であり、語数が限られるのと同じである。

今漢字がないという話しの多くは字種ではなく異体字問題である。この話しが混乱するのは、字体・字形・フォントの区別がつきにくいからであろう。
元来印刷ではさまざまなタイプフェースが開発されたが、どんな形の字であれ、それがどういうものか紐解くことができれば、再表現とか代替が可能で、年賀状に草書の崩れた字形の毛筆書体を使っても何の混乱も起こらない。これはフォントのレベルの話しである。

フォントとは、表示/印刷などの具体的な表現に利用できるように、書体をグラフィクデータ化して媒体に記録した情報であり、字幅、ウエイト、傾きなどがデザインされた具体的な字形がある。
フォントが自由なのは、そのベースとして字体が管理されているからである。字体は文字の骨格ともいわれ、一般に漢和字典では字体について旧字体/新字体とか、字典体、俗字/古字/別体…誤字、などの区別をして管理している。このバリエーションが異体である。 印刷においては字形の表現を制限するいわれはないので、異体字も管理されているならばいくら増えても良いと思う。

今日の漢字要求はこういった枠の外にある、手書き文字、ロゴなどにも及んでいる。地名などは地名辞書などをしっかり作れば整理がつかないことはないだろうが、そのような整理方法がないプライベート文字は、単に追加するだけではなく、どう整理/管理するかを並行して検討しなければならない。

しかし今日出版される文字は毎年何百億あるだろうから、そこに何字か含まれるかもしれない稀な文字の調査を公平にするのは不可能に近い。本来なら文部省や法務省などが過去に文字に対してどのような調査研究をしてきたのかを情報公開してもらい、それをベースに議論するのが早道なのであろう。

関連情報 文字集合の拡張問題をどう考えるか

 

2000/07/25 00:00:00


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