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漢字セットの両輪は、字種と強制力

漢字がエレメントの組み合わせで成立っていることの特徴として、誰かが作字しても読め、また使えるため、うろ覚えで書いたものが日本国内で定着したり、特に江戸の文人などが洒落っ気で創作して自分の文章に使うとか、また看板字では洒落でエレメントを歪曲するようなことが行われてきた。漢字の数を問題にするときには、漢字は閉じた集合ではなく、開かれた集合であることを認識しておかないと、非現実的な議論になってしまう。

外字に関する調査で台湾の印刷技術協会に相当するところへ行った折に、台湾の漢字コードであるBig5以外の外字が非常に少ないことに驚いた。中国の歴史的な古い文献は殆ど電子化は完了しており、それらの外字よりもむしろ例えば台湾を代表するコンピュータ関連メーカーであるACERの中国名称にある「碁」みたいな字がBig5にはない、と聞いた。

かつて台湾は子供が生まれると、その子の名前に新しい漢字を創作してつけるというようなことをしていたと聞いていたが、今は外字問題に頭を抱えている風ではなかった。これは国家体制とも関連があり、民間では自分たちを表現するのに日本と同じ略字の「台」を使うとか、日本の当用漢字・常用漢字的な使い方が一部にはみられるのだが、政府の規制は実は非常に強く、基本的には北京政府の「簡体字」を使うことは御法度であるし、フォントのデザインも日本よりは漢字の書き順を意識したものとなっている。

ところがメインランドの方もそれはそれで政府の規制が強いのだが、逆に路地裏では簡体字を使わずに正字の表記が残っていたりする。つまりBig5もGBも、それ自体の収録文字の妥当性云々よりも、それを運用する時の規格のもつ規制力の強さの方が「規格の効用」に関係しているのが現在の中国であるようだ。

香港にも調査に行ったことがあるが、そこは長らく英語が公用語であったために漢字政策が何もなく、漢字に関する規格もなかった。つまり規格の規制がない野放し状態で外字がどうなるかであるが、Big5に対して数百字もなかったと思う。この中身の殆どは地名の異体字であり、それらは「香港外字」として一応決められていて、フォントパッケージにはBig5に追加されて販売されていた。

あの狭い香港周辺で何百字あるのだとすると、中国全体で地名の異体を集めたら一体いくらになるのだろうかと思う。これは将来の中国の漢字問題が抱える爆弾もまるかもしれない気がする。ただ現実には、香港が中国メインランドに戻ったので、これからは規制を受ける側になって、地名外字の爆発が起こるとは考え難い。

今香港では、従来覚える必要がなかった簡体字への取り組みの方が問題であるが、タイミングよくWindowsのUnicodeのCJKに主要な字種は含まれているというソリューションがあって、地名外字を除くと環境は整ってしまった。つまり今日的にはWindowsが中国語圏においては「規格の強制力」の片棒を担いでいて、政府もフォントメーカーもユーザーもそれに寄りかかるということで、従来の専用機で漢字を扱っていた時代からの「継承と発展」をしつつあるように見える。

今まで扱っていない地名の異体が爆弾か、といったが、実はよくわからない。日本でもそうだが字典の世界では手書きで残された異体字はあまり問題にされなかった。それは正しい字がどれであるかが既に分かっていたからである。地名も同じことで、地名辞書の整備をするならば、ある地域の表記に関して正しい字が漏れていれば追加することはあっても、誤字表現をとめどなく追加することはないだろう。

香港外字が日本と似た状況であるのだが、これは漢字政策が野放しにされた香港特有の現象で、なにしろ漢字問題を考える組織が当時はなかったのだから、その中身の多くは地名辞書の整備のような管理指向が不在のまま起ったことと考えられる。しかし翻って考えると日本がその香港に似たことをしているのは、やはりヘンなのではないかと思う。漢字政策は文部省だけがすることとなったら困るが、ほっておくと開かれた集合になってしまう漢字は、ある方法で管理することで擬似的に閉じたシステムにしなければ、利用者が使い難いのが現実だ。つまりよい漢字コードを考えると、字種のレパートリーとともに、整理や管理方法を重視した議論をしなければならないだろう。

関連情報 文字集合の拡張問題をどう考えるか

2000/07/30 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会