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印刷界の工業化と矛盾



塚田益男 プロフィール

99/09/06

●Fordism(フォーディズム)
 この言葉はフォード主義のことだ。大量生産,大量消費という工業化社会の生産方式の原型を作ったのは自動車メーカーのフォード社だった。製品の規格化とマスプロシステムを作りコストを下げ,大量消費の社会を誕生させた。

 印刷界にもフォーディズムは普及した。大型グラビア設備,オフ輪などが導入され,資本集約的な経営がはじまった。印刷産業は本来,労働集約的な産業だと思われていたが,資本集約型に変わるとなれば経営手法も変えざるを得ない。それが可能なのは一部の大企業だけだから,印刷の工業化は大企業に有利に展開することになった。大衆週刊誌,情報週刊誌,通販カタログなどは大手印刷会社に独占的マーケットを与えることになった。その間に,大手は技術開発を進め,BF,パッケージ,カード,建材,電子部品などについても受注シェアを固めてしまった。

●印刷界におけるFordismの効果
・規格化――大量生産の基本は規格化である。製品,生産システム,従業員能力,品質などのすべてが規格化,標準化されていなくてはならない。そのためにベルトコンベアーシステムとかライン生産が一般化した。最近ではさらに一歩前進して,工程別の生産ラインを連結し,製品の一貫生産を行おうとするループシステムも誕生している。

・パーソナル化の実現――大量生産の中では顧客の顔が見えなくなってしまう。フォードは生産ラインの基本は崩さないが,自動車の色とか,モール,バックミラーなど部材に関するものについては顧客の要望に応えるようにしてきた。印刷界でもデータのデジタル化と電子印刷が出現してきたので,印刷の後工程で顧客別の情報をバリアブル印刷し,印刷物に付加価値をつけようという動きも出てきた。その結果,配送システムとも連結し,個人別に配送先のグループ化も行えるようになってきた。

・短納期システム――印刷物は自動車や印刷機の生産に比べれば全く納期が短い生産システムだ。新聞印刷にいたっては毎日,毎日,時間と勝負だ。だからといって印刷界ではFordismが採用できないというのではない。新聞にしろ,週刊誌にしろ,納期が決まっているからこそ生産計画を立てやすい。印刷界がどんな短納期にも対応できたのは,大手印刷会社を中心にFordismの生産システムを構築できたからだ。

・コスト削減,資材調達コストの削減――製品や生産ラインが規格化し,標準化し,24時間生産体制をとれば,コストは思い切って削減されることになる。そして,そのラインが大型化すればするほどコストが安くなるし,競合する印刷会社を叩くことができる。そうなれば,競争価格は今日のようにコスト採算点を割るということがなくなるので,それなりの利益確保も計算できるだろう。

 生産コストよりもっと大きなコスト削減効果は,用紙購入コストの削減である。大量印刷物の生産コスト全体の中で一番大きなものは用紙代だ。Fordismの中で用紙品目が標準化し,それを大量に買いつけるとなれば,コストは思い切って下がることになる。大手印刷会社の競争力とニッチ分野は正にFordismの中にあるといえるだろう。

●物的生産性と価値的生産性の矛盾
 この話は今に始まったことではない。私は30年も前から,印刷界の合理化貧乏とか,価値の水洩れについて何度も警告を発してきた。ここで,もう一度,取り上げなくてはならないのは,物的生産性と価値的生産性の乖離がデフレ経済に突入すると共に大きくなってきたからだ。この機会に両者の本質について正しい認識をしておいてほしい。その前に老婆心までに言葉の解説をしておこう。

・物的生産性――従業員一人当たりの生産性を物の量や重さで表現したもの。印刷工場なら月間の印刷総通し枚数を工場従業員数で割ったもの。刷版工場なら月間総刷版製版量を従業員数で割ったもの。これは実生産量で表示するから時系列での比較には便利だが,表示内容が部門間で異なるので,部門別の比較をするときは不便である。

・価値的生産性――物的生産性を価格表示にしたものである。売上高生産性とか付加価値(加工高)生産性といわれる。印刷界では私は加工高生産性を用いて近代化計画書を作ってきた。時系列でも部門間でも比較をするのに便利だし,何よりも経営は価値的表現が必要だから,価値的生産性は経営の大切な指標になる。しかし,料金が上下に振れると,物的にいくら努力しても,努力を正しく表現してくれないという欠点がある。

○「物的生産性が上がれば,価値的生産性も上がる」ケースの条件
@需要増加のスピードが早く,物的生産性の上昇を上回っている場合
A印刷需要の増加スピードが遅いのに,その印刷品目の技術開発がもっと遅く,従って物的生産性が需要増加に追いつかない場合
B物的生産性の上昇が印刷需要を上回っているから,印刷料金は下向きだが,印刷界の需給ギャップがそれ程大きくないので料金下落の圧力は小さく,物的生産性の上昇ほどではないが,それなりに価値的生産性も上昇できる場合

 @Aの2つのケースのように需要が印刷生産能力を相対的に上回っている場合には,物的生産性が上がっても,印刷料金も需要の強さに応じて上げることができる。従って価値的生産性も上がることになる。

 Bのケースは物的生産性の上昇も,印刷需要の増加も,両方とも力強い場合で,その場合には生産能力のほうが需要増より大きくなって価格下落があっても,両者のギャップが小さければ印刷業の売上減にならない。従って,物的と価値的生産性とは大きさは異なっても共存することができる。

○「物的生産性が上がっても価値的生産性は下がる」ケース
 印刷生産力が印刷需要を上回ってしまうと,当然の話だが,競争が激しくなるから印刷料金は下がる。生産性の高い機械を買って,いくら生産努力をしても,努力をするだけ需給ギャップが大きくなり,その分だけ料金が下がるから合理化貧乏になる。

 この悪循環は印刷界には昔からあった。ところが最近では技術開発が印刷界の全部門で進み,高性能の機械が相次いで発表になる。資金投下さえすればこれらの設備を購入できるから,自分だけは設備導入をしてコスト競争に勝ち,悪循環から脱出したいと考える。しかし印刷需要は全体としてマイナス成長だから,需給ギャップはますます大きくなり,競争による料金下落も大きくなる一方だ。

 生産過剰,オーバキャパシティは印刷界の常態になった。その上,金融パニックという環境だから投下資金回収も急がなくてはならない。24時間操業で自社だけは仕事を集め,加工高を上げたいと考える。ますますギャップは大きくなり,悪循環(vicious circle)は英語がいう通り悪徳の循環になる。

 私は印刷経営における合理化の矛盾について語ってきたが,社会経済の立場からは別の角度で考えるべきだ。物的生産性が上がって料金が下がれば,私たちの生活水準は上がることになる。大いに望ましいことだから物的生産性を上げる努力をすべきである。ただし,企業人としては経営組織,業界組織を破壊しないという限界と理論を理解した上での努力であってほしい。

●Fordismの限界
 Fordismは右肩上がり経済の時は有効だった。需要圧力が弱い時はマスプロ,マス消費の論理は働かない。印刷産業は既に成熟産業である。成熟したマーケットの中でシェアー拡大を狙う設備投資を続ければ,競争を激しくし,料金下落をさそい,利益を落とすことになる。

 収穫逓減という法則がある。生産システムの中に,ある種の生産要素を投入し続けると,追加一単位の投入により算出する生産量は,ある時点から減少をはじめるという法則である。減少した生産量が採算点を切ったら,直ちにその生産要素の投入を止めなくてはならない。

 印刷界でオフ輪のマーケットを見てみよう。既にマーケットは成熟化し成長を期待できない。その上,オフ輪の投入量が大きく,需給バランスは完全に崩れている。ただでさえ収穫逓減則が効いている上に,価格下落が追い討ちをかけているから,採算点は高くなる。従って逓減則は早くからマイナスに効いてしまう。

 その上,大きいことは良いことだという工業化思想,Fordism思想の下では,環境破壊が早くなり,そのための環境コストも算入することになる。採算点はますます高くなるのだが,印刷界の経営者はFordismの限界点を知らないようだ。


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1999/09/06 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会