1900年から2000年にわたる100年間は,人類史にとってさまざまな科学技術の発達と,その及ぼした影響によって特徴づけられる。これを陰に日なたに支えたのが印刷を含む情報技術の発達である。当然ながら印刷を含む情報技術も科学技術の発達の恩恵をこうむっており,この相互作用が技術変化の加速の主な要因であると考えられる。このことを,100年間にわたる印刷物制作に関する技術の流れを振り返りながら考えてみよう。
前世紀の産業革命によって,動力とともにいろいろな機械仕掛けが出てきた。例えばオルゴールもそうだし,それを発展させた紙ロール式の自動ピアノ演奏があり,織物ではジャガード編機があった。
これを活字組版に応用したのが自動鋳植機であり,キーボードを叩くと1行分の活字が出てくるライノタイプができた。これによって今世紀はマスメディアの時代を迎えることになる。新聞が数多く発行され情報が飛び交うようになる。しかし情報を解釈する人間の側がすぐに賢くなるわけでもないので,科学技術がもっぱら戦争に使われるようなことも起こった。
活字自動鋳造植字の技術は1980年代くらいまでヨーロッパにはあった。日本ではもうちょっとあったと思う。鋳植機というのは歯車やカムが動くメカ仕掛けであり,だいたい80年くらいこういう技術は有効であった。
次の大きな印刷関連技術は,第2次世界大戦の中頃に登場したカラースキャナで,タイムライフのグラフ誌で活躍した。日本では中小企業が共同でスキャナを使った日電製版がきっかけになり,1960年代初めくらいから各社に入りだして,60年代半ばくらいから急速に普及していった。
スキャナはカラーフィルムの画像をフォトマルによって電気信号にして取り込み加工するアナログの電子装置であった。TVのカラー化とともに印刷物も多くのものがカラー化した。カラースキャナはおそらく30年くらいにわたってカラー印刷の主役の座にいた。
1970年代になって中小企業にもポツポツ入りだして,80年代から大量に普及したのが電算写植である。電算写植は文字をコード化してコンピュータ処理をするもので,出力は最初はアナログであったが,途中から出力もデジタルになった。この頃はコンピュータといっても,その装置専用のコンピュータの色合いが強く,何年かごとにかなり高額の投資をして,3世代使ったとしても主役としての寿命は20年くらいである。
この後日本では1990年くらいから実質的にはどんどんDTP化した。DTPはパソコン上のシステムであり,パソコンという汎用機で個人がゲームをすることもあれば,経理にも,Eメールだけ使う人もいるような多目的なマシンで印刷物制作が行われるようになった。DTPもパソコンやソフトの寿命は2〜3年であり,システム的に考えても10年くらいしか使えない。
このように,鋳植,アナログ,デジタル,パソコンと支えている技術を取り換えながら印刷物制作を行ってきたわけだが,これらの技術の日持ちした年数は,80年,30年,20年,10年と,技術コンセプトの変化は加速し,次第にひとつの技術の寿命は短くなってきた。そのため設備投資が難しくなるだけではなく,社内で先輩が後輩をOJTで指導できないという断絶も起こる。
こういう変化期は,技術的な内容が変化するだけでなく,技術との付き合い方も変わり,今までと異なる対応能力が求められるので,新たな会社や別分野の会社が業界に参入するチャンスでもある。
デジタル化とコンピュータの普及は変化の速度をさらに加速させたので,印刷物制作と電子媒体が今まで「ワンソース・マルチユース」という二人三脚的関係を構築できると考えられていたことを覆し,電子媒体の効率化を優先して情報システムを構築する方向にある。この結果,印刷媒体の予算が削られ,イントラネットに予算が振り向けられる傾向にある。このことは,情報の電子化が進むとどのように収束するのか見えてきたのだとも解釈できる。
デジタルによる土台の変化
つまり,文字も画像もレイアウトも全部デジタルのデータである。従来スキャナとか電算写植とかで行っていた仕事は,要するにデータをあちこちに動かして切り貼りしていたわけで,以前はFDやMOなどの媒体でデータを持ち歩いていたのが,今では企業の中でもLANを利用するようになり,企業の外側ともインターネットなどで結ばれつつある。
これは2つの面で印刷に影響を与えている。まずパソコンで制作のほとんどの作業が出来るようになったがために,些細な印刷物,例えば名刺のようなものであってもカラーのグラフィックを取り込んで,いろいろなフォントを使うようになった。デジタル化が隅々までいきわたり,印刷物の部品が印刷だけでなく汎用の部品になり,印刷のデータ管理や作業管理が「独自の世界」ではなくなった。
つまり印刷業務の管理技術は,印刷という独自の世界で培われたもの以外に,世間並の管理技術が必要になり,「過去」の経験だけでは業務の効率化ができないことを意味している。業務の効率化には従来の「現場」の問題ではなく,発注者も,データのオリジナル作成者も含めたトータルな管理技術がなければならず,従来の「現場」だけでは制作ネットワークのリーダーシップがとれない。力関係が変わってしまったのである。
第2の影響は,パソコンを対象にネットワークを経由してデータを動かす仕事のスタイルになってくると,ネットワークそのものがメディアとしての地位を高め,紙媒体から仕事が逃げる分野が出はじめていることである。
パソコンの普及を加速させたもののひとつにWWWのホームページがある。YAHOOのようなポータルサイトが世界的なメディアになったように,紙に情報を出さなくてもデジタルデータを瞬時に世界中に簡単に配信できる。JAGATのホームページでも毎日何万ヒットあり,会員数を上回る人々が利用している。これを紙媒体に換算すると経費は何倍にも膨れ上がってしまう。つまり部数や予算に束縛された紙媒体と違って,WWWは欲しい人すべてが見ることができる媒体である。
今日本で1500万人くらいのインターネット人口があると言われている。ほんの2年くらい前までインターネットを見ている人のほとんどは男で,技術系中心であったのが,今では3分の1が女性であるというくらい増えている。アメリカではインターネット利用の半分は女性というところまできており,WWWは紙の雑誌と同じように世の中で普遍的なものになった。
WWWも含めて情報技術は加速し,技術はどんどん普遍化しつつ寿命の短いものになったことが,結局今日プリプレスの値段が下がったことにつながっている。スキャナや電算写植のような設備指向で,設備の希少価値的意味合いのビジネスは終焉を迎えつつある。当然コンピュータもハードウェアであるから設備指向的な面はあるが,過去のプリプレスのような希少価値的なものではなく,設備の意味合いが高い管理技術を必要とするものへと質的に変化してしまった。
例えば,スキャナと電算写植の台数よりも遥かにイメージセッタの台数の方が多くなり,作業現場の風景は事務所と変わらないものとなり,かつてのようにこの業界の技術革新を独自のスローガンで表現できなくなった。
今日までのプリプレスの革新の過程においては,フルデジタル化が目標であり,目前の利益だけでなく将来のための勉強の意味でも真剣にデジタルに取り組んできた。しかし今学校を出て入社した人が10年後の働き盛りで第一線で活躍するような時代には,もうプリプレスやデジタルは目標にはならない。企業としては若い有能な人に将来の目標を与えることができなくては,人を伸ばすことはできない。
つまりデジタル化がどの分野でも当たり前になった今日では,あらゆるビジネスはネットワーク上でいかに仕事をしていくかという目標を掲げるしかなくなっているのである。技術的には印刷物制作も電子媒体もデジタル/ネットワークに収束していく。こういったことは自社が努力しようとしまいと当たり前になる時代がくるのである。だから,これさえすれば将来が保証されるというものではなく,むしろ足元をすくわれないためのサバイバルの条件であると考えるべきである。
デジタルは収束していくがビジネスの競争は変わらない。競争の質が「設備」から,「データの活用の仕方」へと変わって行くのである。その時に自社の強みが発揮されるように,デジタル化,ネットワーク化に合わせて将来のビジョンを考えておかなければならない。
後戻りしないパラダイムシフト
ネットワークが今日の最大のパラダイムシフトである。パラダイムシフトとは,何か新しいものが出た,という程度のものではない。つまり,100年前で言えば馬車から自動車に変わっていった時代があり,馬車から自動車に変わると,もう後戻りはしない。50年前にコンピュータが登場したのも技術のパラダイムシフトを起こした。この結果は近年のアメリカの情報化による活性化につながった。アメリカはその余勢をかってネットワーク化に邁進している。
印刷物制作に関してみても,この間のパラダイム変化に沿っていくつかの変化を経てきた。このことを振り返って,ネットワーク時代への対応を考えてみたい。最初に1980年頃は電子化という合言葉で,それまでの技能的な仕事である文字組版,カラス口による版下とか色分解などに,電子的機械を使って脱技能化をしていくことが行われた。手作業の場合は一人でいろいろな範囲のことができたのに,機械になると融通がきかない。版下作図機は他のことができない。だから作業工程を細かく分けていって,技術を細分化させていった時代であった。
その次がデジタル化の時代で,結局DTPとして1990年代中ぐらいに完成する。電子化で技術を細分化していろいろな機械を作ったのはいいが,最後は手で切り貼りしていた。せっかく全部デジタルデータにするなら,コンピュータの中で再び統合していこうとした。そして,全部デジタルになってパソコンで扱えるなら,ネットワークを通して,例えばお客から仕事が入ってくるとか,最近ではPDFにしてメールに添付してお客に校正してもらうなど,現場の外側にもネットワークを使って作業の効率化をするようになった。
それぞれの時代で,最初のうちは機械が高額で導入し難いことはあっても,上記の流れは印刷業だけの話ではなくて,どの産業においても当てはまるパラダイムシフトの一局面であるので,印刷業の努力がなくてもコンピュータの価格が下がって,世界中がこういうようなステップで進んできた。
今ネットワーク化といっても広帯域の回線は高額で仕事にフィットしないという人も多いが,パラダイムシフトで世界中にニーズがあるものはどんどん値段は下がっていく。それは時間が解決する問題で,そうなった時に,今までお客のところに行って打ち合わせをしたり,お客のところから紙袋に入れて持ち帰っていたり,それをまた外注先に持っていったり,またお客に校正を出したり,というビジネスプロセスがほとんどネットワークの中に吸収されることになる。
そこへの移行は古いパラダイムの考えではできない。過去に電算写植やスキャナなど高額の設備が必要な時代では,都心のいい場所に会社があって,資金調達ができるところが有利であった。しかし,今や昔のトータルスキャナは子供のお年玉でも買えるものとなった。だから資金よりは,必要な仕事をうまくするための業務の分析/設計能力の方が重要になる。
以前は設備を先に入れたほうが有利であったが,今は新しいソフトを追っかけるよりは今あるものでも上手に運用していく。仕事をうまく転がしていくことのほうが重要になる。昔は設備は何年間も看板になったが,今のパソコンは看板にはならず,陳腐化しないようにタイミングを見て2年くらいでうまく更新をしていくほうが重要である。
印刷会社などで会社案内にMacが100台並んだ写真を載せている例があるが,今ネットワークで仕事をするのに100人が1カ所に集まっている必要はない。ネットワークを使ってうまく仕事をする企画や管理ができるほうが重要である。
自動車も蒸気機関車も出てきたときは馬車と競争すると負けた。しかしそこでどっちが勝ったかが問題ではなく,自動車の出現はどういう意味があったのかを考えてみる必要がある。馬車がその後能力が何倍になる可能性はないが,自動車のエンジンは改良されていく。古いパラダイムに将来のビジョンは描けないのである。
1999年9月JAGAT刊「グラフィックアーツ機材インデックス」テクノプロフィールより。
1999/09/13 00:00:00