20世紀 ― 印刷の世紀
情報を伝達するコミュニケーション手段としての印刷
20世紀最後の年,白川英樹氏が日本人で9人目のノーベル賞を受賞した。輝かしい科学技術の発展の時代を予期するかのようにノーベル賞が創設されたのは,1901年(明治34年),20世紀の始まった年である。
20世紀はさまざまな技術が急激に発展し,社会的にも経済的にも,大きな影響を与えた時代だといえる。
印刷技術も,他産業同様に飛躍的な進歩を遂げた。日本の印刷業界を振り返ってみても,社会の発展に歩調を合わせるように発展し,文化や人々の生活に大きな影響を与えることになった。
20世紀の始まった明治末期は,日本に近代的出版社が次々と登場した時代でもある。「東洋経済新報」「ダイヤモンド」「新潮」「文藝春秋」「婦人画報」「婦人公論」「主婦之友」「週刊朝日」「サンデー毎日」など,現在まで続く雑誌も創刊され,人気雑誌は50万部,100万部という単位で売れた。
雑誌や書籍,そして新聞は情報伝達の中心となり,活字メディアという形で確立される。そして娯楽としての役割のほか,一般大衆への文化の浸透,教養の担い手となったのである。
消費文化の発達
こうした新聞や雑誌などのもうひとつの役割が,広告媒体としての存在である。明治から大正にかけて,広告代理業は近代的経営を確立して,取り扱い量も飛躍的に伸張した。
20世紀当初は,新聞,雑誌が広告媒体の中心となっていた。この時代に広告は「文字中心」から,視覚効果を期待した「洗練されたデザイン中心」へと変わっていった。
ポスター,チラシやパッケージなどは,美しい仕上がりが追求され,印刷物それ自体が価値をもつようになった。日本に消費文化が到来するとともに,このような広告が隆盛となる。
特に,新聞とともに配布される折り込み広告は,購買動機に強い影響を及ぼすツールとして,消費者の重要な情報源となっている。
1870年(明治3年)には,日本初の日刊紙として「横浜毎日新聞」が発行されたが,1872年には既に「東京日日新聞」で,チラシ広告の配布が確認されており,折り込み広告は,ほぼ新聞の歴史と重なることがわかる。
99年のSP(セールスプロモーション)費広告のなかで,折り込み広告費は4241億円(「平成11年日本の広告」電通より)となっており,現在でも,最もウエートが高い。表現も,豊富で多彩なものとなっている。
折り込み広告がSPでの主要な媒体となっている理由のひとつとして,印刷技術発達の影響が挙げられる。
70年代以前には,輪転印刷機は出版印刷が主流だったが,それ以降,オフセットカラー輪転印刷機が多く設置されたことで,早く安く大量に印刷することが可能になった。
この結果として,チラシの需要が大きく伸びた。また,直接,各家庭に持ち込まれるDM(ダイレクトメール)など,商業印刷物の数は膨大なものになっている。
これらは,消費文化へのイマジネーション高揚の役割を果たしたといえる。
生活の華やかさとゴミの発生
戦前戦後を通じて日本の印刷は,出版印刷が主流だったが,戦後の高度成長とともに,商業印刷が大きく伸張することになった。
60年代以降,日本では本格的な消費文化が花開くわけであるが,これを後押ししたのがカラー化したチラシであり,DM,POPなどの印刷物である。
印刷物のカラー化が主流となる時期は,カラーテレビの登場と相前後するが,その転機となったのが東京オリンピックの開催である。
カラーテレビの普及やカラー化した印刷物は,高度成長を背景に,次々と発売される商品に対して,国民の消費意欲をいっそう刺激した。
また,産業用資材や生活用品としても,印刷物は日常生活の中に浸透した。例えば,安価な壁紙や木目調の合板などを使用することによって,われわれの生活や暮らしの場に,大きな彩りを与えることになった。
このほか,パッケージ印刷の分野に関しても大きく伸張した。日本のパッケージのグラフィックは,諸外国に比較して非常にデザイン性が高いものであり,宣伝媒体としての効果も大きいといえる。また,POPとしての役割も大きく,消費行動を刺激することになった。
さらに,紙を包装材料にするさまざな工夫がなされ,形態も多様化し,流通においても利便性が向上して,需要を伸ばした。
一方で,大量の宣伝印刷物やチラシの配布といった選挙手法や,これらの印刷物のゴミ化が問題となった。90年代に入り環境問題が大きく注目を集め,社会的にも環境意識の高まりがみられるようになった。それとともに,バブル経済が崩壊し,大量消費に対する疑問が起こった。
このような状況の中で,大量のチラシやDMはゴミ問題や資源問題とも絡み,批判の対象となっている。そのため印刷業界側にも,リサイクルや環境問題を考慮した対応が求められつつある。
ビジュアル雑誌の隆盛
印刷がカラー化するなか,70年「anan」,71年「non-no」が創刊され,若い女性に旅行や食べ歩きのブームを作り出した。以降,75年「JJ」「MORE」「POPEYE」,79年「Hot-dog PRESS」,80年の「CanCam」など,ビジュアル重視の内容を主体とする雑誌の創刊ラッシュが続く。
流行を生み出す主役はテレビに移っていたが,若者の流行は,これらビジュアルファッション系の女性誌が生み出し,そのライフスタイルにも大きな影響を与えた。
79年に書籍と雑誌の売り上げが逆転し,それ以降,「雑高書低」の時代となり,現在まで雑誌の創・廃刊ラッシュという状況は続いている。
書籍でも70年の第3次文庫ブーム以降は,角川文庫に代表されるようにメディアミックスの手法がとられるようになる。第1次,2次とは異なり,電波,映画などと連動した,エンターテインメント系の作品が中心になった。
しかし,70年代以降のこれらのブームは,大量生産に拍車をかけることになり,無駄をも生み出す結果につながった。これは,現在の出版不況の遠因となったとも思われる。
このように印刷は,20世紀日本の大量消費文化を後押しするとともに,生活の「みかけ」の華やかさを演出するのに大きな役割を果たした。
(出典:月刊プリンターズサークル2000年12月号特集「20世紀の印刷を振り返る」より)
2000/12/28 00:00:00