RIPというのも死語になりつつある。使われないからではなく、逆に当たり前になりすぎたからである。いまやどのパソコンもRIPであるといえる。MacOS X になったら標準でPDFを扱うようになってしまう。そのためにRIPに特定の意味を持たせることは似つかわしくなくなってきたように思える。だからといって早急に切りかえるべき言葉もみあたらない。暫らくは慎重に扱わなければならない言葉なのだろうか。
PostScriptが登場する前は、版下制作や製版においてベクトルのオブジェクトを操作して、そのデータを保存して、出力の際にラスター変換するというモデルは確立していなかった。実際にはたいていのグラフィックスのシステムはラスター化をどこかでするわけだが、RIPという言葉はなかった。
RIPはPostScriptという言語記述を処理するところと言う意味で使われ出したもので、字句どおりのラスター生成という範囲を越えて、PostScriptインタプリタからディスプレイリスト、バンドの処理とレンダリングから、プロッタへの送信までの全工程を指していた。
PostScriptのモデルが示したことは、データとして扱う分野はすべてベクトルのオブジェクトにして、ラスター化は出力機の中だけという「切り分け」である。つまりビットマップをデータにして扱うことを極力避けていたのである。それはデバイスに依存しない自由なデータで仕事をするようになれば、あとはプログラムの発達に沿って仕事の改善はどんどん進んでいくだろうという考えである。
これはPostScriptを作ったAdobeはベンチャー企業であり、創立者はCADを開発していたサイエンスのエンジニアであったことに由来する。つまり将来に向けて取るべき態度として考えであり、そのベクトルオブジェクトが支配するというゴールに向けての信念というか信仰というか、絶対譲れないことであった。
この考えは製版分野など目下の作業のために最適な機械を作ろうという人々となかなか折り合いがつかなかった。DTPでPostScriptがハイエンドに食いこむ際に、AdobeはCPSIという、内部構成やインタフェースがベンダごとにカスタマイズできるソフトRIPをリリースし、ハイエンド出力機や製版ツールでの採用を獲得した。しかしこれは同時に、同じCPSIをいう名を冠していても、さまざまなバリエーションのPostScript「RIP」が登場することにもなり、RIPの定義は製品を作る各社に委ねられた結果、RIPのニュアンスが異なったように思える。
これに対してAdobeは再び出力の段階まで処理可能なオブジェクトを持ちこんで、出力段階でJobTicketに沿って自動処理するExtremeアーキテクチャを提示し、出力ワークフローが各社各様になることに歯止めをかけようとしていると考えられる。これもRIPと呼ばれるのか、新たな名前がつくのかは、Extremeの普及のしかたによるだろう。
(テキスト&グラフィックス研究会会報 通巻127号より)
2000/03/08 00:00:00