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当面は穏やかで10年後大変化がくる紙媒体?

シンポジウム「2050年に紙はどうなる?」における、午前の部の環境・社会・文化的な視点でのセッションについては、「紙の将来 プラマイゼロか、若干マイナス?」で概略を示した。このシンポジウムは各論の細かいことを議論するのではなく、なるべく全体的に捉えることを狙ったもので、午前の部からは将来とも紙の供給の道はあることや、それと関連して紙を造る側はそれほど将来を心配していないし、危機感も感じていないような雰囲気があった。

午後の部は「業界・ビジネスの視点から」4人のパネラーが登場したが、紙をもっと使おうという話は誰からも出なかった。ビジネスの話なので、本当はそういいたいところだが、現在その確約はないという点では紙需要は「行け行けドンドン」から弱含みに転換したともいえる。すでに先進国の国民1人あたりの年間の紙・板紙の消費量は、アメリカの350kgを筆頭に、7位の日本でも250kgほどあり、また東京都の可燃ゴミの半分強が紙類であるなどの面からも、量的拡大にブレーキがかかり始めていることが感じられる。2050年という将来では、パネラーの意見はかなり分かれ、今のママのビジネスを続けるところもあり、全く紙から離れたビジネスになることもあり得るような話であった。

最初に、大日本印刷(株)研究開発・事業化推進本部次長の北山拓夫氏から、イギリスのPIRAによる印刷関連の2010年予測の紹介があった。 日本の話ではないがグローバルな印刷マーケットの予測とも思えるもので、各印刷物の用途ごとの変化予測と、2010年に近づくとデジタル印刷が高速化しシェアも伸びること。また当面は印刷物と電子メディアは相乗効果で両方伸びるが、2008年をピークに印刷が下り坂に転じる予測であった。その後についてはレイ・カーツワイルの予測を引用して、コンピュータが人間の脳に匹敵するようになり、人間とコンピュータが直接やりとりできるようになり、2099年には人間とコンピュータの違いがはっきりしなくなる、という大胆なシナリオが紹介された。

次の(株)新潮社パーソナル事業部次長の村瀬拓男氏のプレゼンは、媒体がレコードでもCDでも関係ない音楽ビジネスと違って、出版は紙の本の様式と不可分であって、従来の出版が横滑り的に電子メディアになることはないこと。出版の原価における紙の比重は高くなく、意外に紙の供給の影響は受け難いこと。もし電子出版が可能ならとっくの昔に出てきてしかるべきで、電子出版は今の出版モデルとは全く違う構造であろうこと、などの話があり2050年も今と同じように、制作に何年もかけても商品が何十年も耐えられるような本作りが行なわれていることを想定した。

(社)共同通信社メディア局編集部インターネットチーム次長の北嶋孝氏は、新聞界は売上微増ではきているものの今日膠着状態であることと、新聞も放送も業界トータルの規模は同等で、それらは今日のグローバル企業から比べると大きなモノではないことから、再販問題や従来のメディア系列化再編などに揺さぶられ、またブロードバンド化、読者の変化などの波を受けると変わらざるを得ない状況であることの説明がされた。また遠い将来については、SFの中では印刷物がほとんど描かれていないことを指摘し、我々は紙と文字を一体に考えすぎているのではないだろうか、また文字の生活における構成要素は案外小さいのかもしれないという感想があった。

王子製紙(株)研究開発本部新技術研究所上級研究員の林滋雄氏は、コンピュータの入出力などに使われる情報用紙がペーパーレス化するのではなく、OAとともに伸びてきたことと、さらにコンピュータの用途開発と共に多様化してきたことを総括し、またこれからのネット/コンピュータの使われ方に触れ、法律からみでもデジタルが正本になることが増えていて、保存分野に電子メディアが多くなることを示唆した。それらを読む時の選択肢が紙orディスプレイであり、紙の良さをもったディスプレイの開発に拍車がかかっているが、2005年くらいでは競合にはならないであろうこと、紙の分野でも読み捨て用のリライト紙のニーズがあるのではないかという指摘があった。さらに情報の受信者側に立って考えて、紙媒体の上に蓄積された表現文化の重みの話しがあった。

必ずしも皆が意識している訳ではないが、機械知能、ロボット、ナノテク、遺伝子などの技術は21世紀の前半にドラスチックに進み、我々の想像を超える事態が起こる。午前の部で原氏が指摘したように、当初は紙と電子媒体は相乗効果で進化するだろう。当然従来からの紙文化を残そうという意思が働き、一方で電子メディアの可能性に賭けるチャレンジが絶え間無く続く2重構造の時代があるだろう。しかし我々は「切手」が欲しいのではなく「思い」とか「情報」を届けたかったように、これからも「教科書」が欲しいのではなく「教えてほしい」のであれば、紙媒体からeラーニングに移行する時があるかもしれない。何もかもが今のままではいかないだろうというのがシンポジウム全体を通しての印象であった。

以降、各セッションやディスカッションについても順次紹介する予定です。
報告記事

2001/07/31 00:00:00


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