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2050年の印刷を考える 第1章 総論〜はじめに

社団法人日本印刷技術協会 副会長 和久井孝太郎

 長い歴史と文化を持つ「世界の印刷産業」がデジタル革命(広義のIT革命;デジタルIT産業革命とメディアの自由革命)の奔流の中で困惑している。なかでも前世紀後半,日本の高度経済成長の波に乗り業績を飛躍的に伸ばした「わが国印刷産業」の困惑の度合いは大きい。

 印刷企業に限らず日本の多くの企業は,伝統的な『横並び方式』や政府の行政指導による護送船団方式などでそれなりの成果を上げることができた。かつての国民的キャッチフレーズや業界における近代化計画などがそのことを象徴している。日本の文化や社会は,個人が自律的・創造的に活動することよりも,集団で1つの目標に向かい皆で一生懸命に努力することに向いていたようだ。

 例えば,1956年の経済白書はタイトルで「もはや戦後ではない」と国民に訴え,技術革新による近代化を強調した。1959年の岩戸景気では「三種の神器( テレビ,洗濯機,冷蔵庫) 」という流行語が登場し,1960末第2次池田内閣における「所得倍増計画」へとつながった。

 翌年には空前の証券ブームが巻き起こり,国民的努力目標「オリンピック東京大会」の成功を経て,1966年のいざなぎ景気「新三種の神器(カラーテレビ,クーラー,カー )」へと進展。さらに1972年には「列島改造論」の第1次田中内閣が発足,ますますの大量生産・大量消費へ。日本は米国に次ぐ世界第2の経済大国へと突き進んだ。

 だが,わが国のバブル崩壊と時を同じくして勃発した「デジタル革命」は,18世紀終盤イギリスで起こった「産業革命」が世界に波及して2世紀余り,「工業化社会」と呼ばれてきた現代文明の流れを根底から揺るがし始めた。JAGAT最高顧問の塚田益男は,わが国の中小印刷界について自著『印刷界のパラダイムシフト(2000)』の中で次のように回顧している。

 「私は1963年から中小印刷界の近代化指導に関与し,電子化という第5次計画を発足させるまで,30年に及ぶ長い業界運動に没頭した。その間の計画内容は『活字よ,さよなら!ライトテーブルさよなら! カメラレンズさよなら!そして電子化こんにちは!』まで,すべて技術に関するものでHowの世界であった。

 その結果は私が途中で何度も警告したとおり,価格競争,シェア争い,そして合理化貧乏であった。

 たしかに現在の印刷業界はコンピュータを駆使し,高級な自動多色の印刷機を使用し,他産業から見ても先端技術を使う近代的産業と思われるようになった。しかし,それは表面的なことで,内情は低利益率,長期間の不規則勤務,品質不安定,短納期,受注競争などに悩む子羊の業界である。

 どう考えてもHowの追求の中からは21世紀は見えてこない。Howの成功は価値の下落を意味する。もちろん,Howの追求は経済のグローバル化の中で,経営の必要条件であるが,顧客満足や社員のインセンティブを満足させるような十分条件にはならない。十分条件はWhatの追求の中にある」

 企業のみならず個人を含む自己実現の活動は,一般論として「What( 何を) 」と「How(どういうふうに:方法・手段・手順) 」「Do(実行する )」は本来一体のものである。さらに言えば,「Plan(成功の仮説に基づいて計画を立てる)」と「Do(実行する)」と 「See(検証する)」が一体なのである。

 これに対し,戦後わが国の印刷界では塚田回顧録からもわかるように,印刷文化の伝統的なしきたりと,工業化文明の高度経済成長の中でWhatは自明であり,それぞれが顧客満足の仮説を構想し,独創的に挑戦するまでもなくHowの計画から出発できた。

 しかし,今や印刷界の生存環境は,20世紀のそれとは異なる方向にむけて急速に動き始めている。デジタル革命の進展で,土の上の「リアルワールド(旧世界)」の他に,全く新たに「デジタルワールド(電脳空間=新世界)」が出現し,人類は文化と文明の大転換期に突入した。

 デジタルワールドは,玉石混交の膨大な情報が24時間休むことなく飛びかう「自己責任」の新世界である。新時代にふさわしい十分な『メディアリテラシー』を身につけた企業や個人にとっては,より良い自己実現を達成するために有利な世界であるが,メディアリテラシーが十分でなければいたるところに落とし穴のあるジャングルだ。

 このような時代に企業が従来通り,横並びの年度計画立案とその帳尻合わせにすべてのエネルギーをつぎ込んで良しとする姿勢では,生き残ることが難しい。  大多数の日本人は,今日でも自ら独創的なスケールの大きい『仮説』を持つ必要を理解していない。よしんば仮説を設定しても,日々の実行から得られるデータを科学的に,かつスピーディーに検証する努力を怠っている。

 私たちに『志』と『遠方視力』を与えるのがスケールの大きい仮説であり,データを科学的に検証し仮説を修正する作業が『近傍視力』と『環境適応力』を向上させる。

 デジタル革命によって時代の変化は,どんどんと速度を増してきている。あたかも,一般道路から高速道路へ進入した自動車に似ている。自動車の速度を上げれば,運転者は前後左右に気を配ると共に,できるだけ遠くまでを見通さなければ安全運転できない。私たちは,目先の課題を追いかけるだけでは不十分であり,半世紀先の未来に目を向ける必要がある。なぜならば,それを力一杯『生きる』人々にとっては,先賢の教えにもあるとおり,光陰矢の如くあっという間の50年になるからである。

 20世紀初頭15億人であった世界人口は,世紀半ばに25億人,前世紀末には60億人を突破して地球は急速に狭くなりつつある。2050年に,この『宇宙船地球号』に乗り組んでいるであろう人間の数は,国連の中位推計で90億人と20世紀初頭の6倍になる。

 そして,エネルギー効率が非常に良くなったとしても,現在より3倍のエネルギー消費が予測されている。私たちは科学とテクノロジーの適切な活用と,「予期せぬできごと」への俊敏な対応が必要であり,互いに協調して『宇宙船地球号』の安全運行に当たらなければならない。  宇宙船地球号の中で「デジタルワールド(新世界)」を創りだすために,中心的な役割を果たした米国について,かつて加藤英俊が『アメリカ人〜その文化と人間形成(1967)』の中で次のように書いていた。

 「…三世紀のアメリカ史は,「進歩」の歴史なのであった。その進歩はこれからも続く,とアメリカ人は考える。アメリカ人は未来主義者・理想主義者であり,さらに,進歩を信ずる人間たちなのだ,と考えた方が良い。その限りで多様なアメリカ人は,やはり1つのアメリカ人なのだ,と考えた方が良い。どんなところにすんでいるどんなアメリカ人でも,これから先のアメリカがより良くなってゆくだろう,という理想に向かっての姿勢を分かち合う。…

 例えば日本−−では,文化の原点は過去にある。その原点からの連続としての現在があり,その現在から未来が開かれてゆく。未来の方が現在より,いいものであるか,悪いものであるか,それはわからない。だがいずれにせよ,現在は過去の重みの上に作られているし,未来は現在の重みによって作られてゆく」

 人類の未来は,文化の多様性尊重の上に築かれるべきだ。同時に,文明進歩の原理は,「より良い未来は過去(歴史)の反省と想像(創造)の上に築かれる」である。従って自らの責任においてスケールの大きい仮説を構想し,Doの結果の科学的な検証を次のDoに反映させることで,仮説を「わが成功の法則」に育てるべきだ。

 世界の変化を加速しているのは,科学とテクノロジーの進歩と限りのない人間の欲望である。例えば,バイオやナノテク,ロボットなどの科学とテクノロジーは,デジタル革命の進展とあいまって,前世紀ではSF(科学空想物語)の領域にあった相当なものを2050年までに実現するだろう。

 多様な生物種の中で,チンパンジーと遺伝子(DNA)が98.77 %は同じと言われる人類のみが短時間で地球を改造し,宇宙進出を果たそうとしているのはなぜか?

 人類最大の特徴は高度な『文化』を持つことである。このような文化をDNAに対比させ,人類第2の遺伝子と見なす新しい学説(仮説)がデジタルワールドでも活発に議論されていていて,その気になればだれでもアクセスすることができる。新しい仮説は,科学者たちのものだけではない。自律的・創造的に活動する人々の中には,企業活動を有利に導くためのビジネス的仮説の構想にこのような情報を役立てる者も少なくない。

 21世紀は,「文化」・「文明」とは何か? といった,極めて根源的な問題に関しても,従来の人文系的な理解とは違う理数系的で科学的な理解が急速に進むだろう。これからの勝者は,20世紀の半ばにイギリスのサー・チャールズ・P・スノーが憂慮した人文系文化と理数系文化の伝統的な深い亀裂を自らの努力で埋め,新時代にふさわしいスケールの大きい仮説を構想して,Do・Seeできる者になるだろう。

 この報告書が,21世紀にふさわしい『仮説』を構想するために役立つことを念願している。(つづく)

■出典:JAGAT技術フォーラム2001年報告書「はじめに」

■参考:2050年シリーズシンポジウム

2002/04/25 00:00:00


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