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平成フォント誕生物語(3)─フォント千夜一夜物語(14)

  試行錯誤で始まった「平成明朝体W3」の開発であったが、JIS X0208およびJIS X0212(補助漢字)の合計約13,000字の開発期間が、1年契約どころか結果的にはアウトラインフォント・データの納入まで約2年半を費やしたことになった。

しかし考えてみれば、13,000字のアナログ原字とアウトラインフォントが、よく2年半で完成できたものである。いまとなれば、このような経緯で「平成明朝体W3」が生まれたことは、知る人ぞ知る今日である。

「情報交換用漢字符号系」は1978年の制定以来、5年毎に見直しされることになっていたので、したがって1983年に改正がなされ「JIS X0208-83」となった。

次回は5年後の1988年に見直されることになっていたが、遅れて1990年の「平成明朝体W3」の完成をまって、JIS X0208が改正され「JIS X0208-90」が「情報交換用漢字符号」の基本文字セットとなった。

また「JIS X0212-90」が「情報交換用漢字符号−補助漢字」として例示され、(財)日本規格協会から両規格の規格票が発行された。この例字体に「平成明朝体W3」が用いられたわけである。

●平成フォントの普及状況
平成明朝体W3/平成ゴシック体W5の、アナログ原字およびマスター・アウトラインフォントは、1991年〜1992年にかけて開発会員に配布された。

「文字フォント開発・普及センター」のフォント開発の意義は、「フォントの健全な流通と普及」という意図に沿う開発事業である。この裏面の解釈は、当時の状況が「フォントの不健全な流通と普及」であることを意味している。

当時フォントに枯渇(こかつ)していた、開発会員の情報機器メーカーやコンピュータ・メーカーなどは、早速自社システムに平成フォントを搭載するようになった。 一番手はNECのワープロ「文豪」で、次にシャープのワープロ「書院」、アップルのMac OS「漢字Talk7.1」のTrueTypeなどが続いた。

写植業界では、いち早くリョービが写植機用文字盤を発売し、印刷物に使われ始めた。またパッケージ・フォントとして、リョービイマジクス、ニイス、キヤノン、富士通、リコー、ダイナラブなどからWindows3.0の「WIFEフォント」として市場に投入された。

その他にもパソコン・ワープロ分野では、カシオ計算機、三洋電機、東芝、日本ビクター、松下電器、松下電送などが平成フォントを採用した。

このように当時は、あたかも平成フォントがOA機器用の標準フォントのごとく扱われていたが、印刷業界では冷やかな目で見ていた。なにも平成フォントがなくても不便はないからだ。

このようにコンピュータ関連業界では、平成フォントが歓迎された時期があった。ところが1992年以降になりフォント環境は一変した。つまり市場にWindowsのWIFE対応のフォント登場である。

いままで閉鎖的なフォント所有者である写植メーカーや元活字・母型メーカーなどが、競って自社フォントをビジネスの種にするようになったからだ。

いま思えば隔世の感があり、平成フォントの開発騒ぎは一体何だったのだろうか。「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」のような気がするのは、単なる当事者のノスタルジアであろうか(つづく)。

澤田善彦シリーズ>

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印刷100年の変革

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2002/11/09 00:00:00


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