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稚心を去れ

塚田益男 プロフィール
2003/11/8

私が若かった時代,多分今日でも同じだと思うのだが,旧制高等学校,いまの大学の入学試験に親が付添って学校へ来る。勿論,入学式にも親がついてくる。私の時代には上級生が,試験を受けるのは本人ですから親御さんはお帰り下さいと追払っていた。大学は本来,学生に専門分野の教育を授け,研究活動を指導するところである。そういう機能が大学側にないとしたら,産業界で最近問題になっている産学協同の研究活動など絵に描いた餅になってしまう。その大学の入学試験に親が付添うというのは,どう考えても学歴偏重の名残であるし,馬鹿げた風景だ。

稚心とは言うまでもなく幼い心,子供心を意味する。私は今から約60年前に旧制松本高校へ入学し,倫理学の最初の講義の時に「稚心を去れ」という言葉を教わった。ギリシャのパルテノン神殿にその額が掲げられていたという。この言葉は若い学生の私の心に深く刻みこまれていたので,数年前にパルテノン神殿を訪ねた時に何とかして見つけたいと思った。しかし,私は古代ギリシャ語を勉強していないのだから見つけられないのは当然だった。

人間だけでなく,多くの哺乳動物は,子供の時は親,特に母親に頼って生存する。だから子供の行為は親の責任ということになるし,子供は何か悪事を働けば親の陰に隠れようとする。それは法律の上でも許されているのだが,その依存心が大人になっても残ってしまう。すぐ他人の所為(せい)にする。

大人になれば何時までも親の「せい」ばかりを口にできないから,学校の「せい」,先生の「せい」,社会の「せい」,会社の「せい」,上司や社長の「せい」などを口にして,自分の責任から逃れようとする。これはどうやら今日的社会風潮のようだ。人の悪口をいうことにより自分の行為を正当化しようとする。政治家でも他党の悪口を言うことに終始して,自党の実現可能な政策を発表しない。最近やっと民主党がマニフェストなるものを出したが,他の党は相変わらず悪口の言い合いである。こういう状態を「子供ぽい」というのであるし,「稚心」を去れない状態をいうのだろう。

21世紀で一番大切なことは「自我の確立」である。自分のアイデンティティを育てようとする心,それは他人を敬う心であるし,国際化の原則である。自分の独自性を追及すればする程,仲間との共進化が必要になるし,自分が自然の中の一員であるという認識も必要になる。それは一面では物の哀れ,四季の移ろいを理解する心にもつながっていく。自己のない人,すぐに他人の「せい」にする人,そんな人は今後の社会に不要な人物である。そのためにも「稚心を去れ」という言葉を大事にしたいと思うのである。

2003/11/08 00:00:00


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