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均衡と安定の相克−印刷経営のパラダイム崩壊とその後(1)



塚田益男 プロフィール

99/12/13

 いろいろとパラダイムについて書いてきた。いよいよ印刷経営のパラダイムについて書こうと思ったが,これは困ったことになったと気がついた。私はパラダイムとは仕切りの多い重箱のようなものだと書いた。その重箱は経済社会の中には無数にあるし,相互に関連がある。印刷経営だけのパラダイムは存在しない。

 およそ経済社会の中で,一定のルールに基づいて経済機能を果たし,その機能が一定の歴史的な時間の中で,社会的な価値を持つようになった,そうした会社組織や団体組織,技術,管理,営業行為など,すべての経済的概念にパラダイムがある。例えば,日本型経営には企業中心社会というパラダイムがあったし,金融界には土地本位制という間接金融パラダイムがあった。労務についても労務に関する三種の神器を中心にした日本型労務管理のパラダイムがあったし,営業については系列ネットを中心にしたパラダイムがあった。

 こうした沢山のパラダイムと印刷経営のパラダイムとの相関について記述しなくては,印刷経営パラダイムの崩壊プロセスが浮かび上がらないということになる。そこで,今回は少し遠回りをするようになるし,従来,私があちらこちらに書いてきたものと重複するようになるが,あえて印刷経営周辺のパラダイムについて記述を進めようと思う。その後で,印刷経営を構成する技術,労務,管理,営業行為などのパラダイムシフトについて論述し,印刷経営そのもののパラダイムについて崩壊プロセスとその後のスキームについて言及したいと思っている。

まえがき−−私の社会思想について
 私がこれから書こうと思う各種社会概念のパラダイムは,私がいくら客観的に分析しようと思っても,私の社会思想の視点から外れことはできない。従って,いろいろ書く前に,最近の社会思想について,私なりのブリーフィングを行い,あらかじめ各位のご理解を得ておきたいと思う。

●2つの世界,均衡と安定
 今秋,ベルリンで「壁の崩壊」10年周年を記念して各種の行事が行われた。第二次世界大戦終了後,約45年にわたって世界をおおっていた冷戦時代が終了したのだから,ベルリンの壁崩壊はまことに意義深いものだった。

 この地球上に2つの世界があった。東の世界と西の世界だ。実際にはもう2つの世界がある。南と北の世界である。この世界は発展途上国(developing countries)と富裕国(developed countries)であり,貧富の差を意味するものだから,南北問題については別の機会にゆずることにしよう。

 東西問題は私の学生時代(終戦直後の大学時代)にも深刻なものがあった。1917年のロシア革命以来,マルクス,レーニンの社会主義,共産主義の思想は,多くの人々の社会思想に強い影響を与え,たくさんの若者の人生を狂わせてしまった。社会主義を論じない者は学生ではないし,進歩的な社会人ではない,日和見主義と非難されたものだ。特に戦後の学生運動は共産主義一色であり,私のように近代経済学を志していた者には仲間も少なく,勉学の環境は決して良くはなかった。

 私は社会人になってから,70年から80年代にかけての約20年の間にソ連邦を15回も訪れた。共産主義なるものを,じっくりと見せてもらった。東の世界の代表はソ連邦であり,西の世界の代表はアメリカだから,両者の国民の社会生活を知らなくては東西問題を語れないと思ったからだ。幸いにプラウダ新聞出版印刷所や労働評議会の幹部に多くの知人ができたので,ソ連国内を自由に旅行することができ,共産主義なるものを知ることができた。

 確かにモスクワやレニングラードには驚くほど立派な地下鉄もあるし,大きな建物もアパートも,道路も学校も,きれいではないが完備している。人々の食生活は満足されているし,音楽会,サーカス,レストラン・シアターなど人々の文化水準も高い。音楽コンサートに行けば人々はブラックタイとロングスカート,白い長い婦人用手袋と,まるで100年前のヨーロッパのコンサートに行っているような錯覚にとらわれる。20年も私の通訳をしてくれた友人はプラウダの極東担当記者をしていたが,セカンドハウスを郊外に持っていて,夏には自家用車で行き,短い夏の生活をエンジョイしていた。

 このように書くとソ連の生活もそんなに悪くないということになる。もちろん,共産主義という全体主義国家だから,国民には自由も自発性も社会性もない,西側の人たちから見たら息の詰まるような国だが,何も考えない庶民にとっては,病院も,学校教育も無料だし,それなりの生活を保証してくれる国であった。

 私たちアメリカを中心とする西側の資本主義社会,自由主義社会とは,表面的には似た生活環境だが,基本の部分では全く異なるものだ。西側の社会は自由と競争の中で,均衡ある発展を志す社会であるのに反し,東側の社会は独裁と社会計画の中で,安定した進歩を目指す社会である。西側の均衡,東側の安定,両者の理念の違いは徹底的な差である。

 均衡とは外部要因を積極的に導入しようという,本質的には不安定な概念だが,その中ですべてを吸収しながら,なお安定を求めようとする努力が常に働いていなければ均衡状態は成立しない。一方,安定した社会とは,逆に安定を阻害する外部要因を排除する中で成立する,外部からのエネルギーを排除した閉鎖型社会である。社会の内部ではホモジニアスな(同質の)社会のことを意味する。安定は同調者,同質者を求めるから社会主義インターも成立する。見方を変えるなら,弱い者には安定を,強いものには均衡をということになるのかもしれない。

 いずれにしろ,ベルリンの壁が崩壊したということは,20世紀後半の急激な技術変化の中で,均衡を求める西側社会が,社会の富を蓄積する競争に勝ったということだ。


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1999/12/13 00:00:00


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