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企業中心社会のパラダイム崩壊

塚田益男 プロフィール

2000/1/11

 私の著書「印刷経営のビッグバン」の中でも,企業中心社会の崩壊プロセスについて,何度も,何度も説明したので,大方の諸子は私の思想については理解しているものと思う。

 しかし,この崩壊プロセスを正しく把握していただかないと,印刷経営の新しいパラダイムが語れないので,あえて企業中心社会の崩壊についてブリーフィングをしておこう。

T企業中心社会のパラダイム
 企業中心社会は世界中からいろいろな意味で話題になった日本型経営の中心思想であり,中心的社会パターンである。この社会を構成する支柱が,労務の三種の神器,工業化,土地本位制,官僚の保護政策,企業系列化などであった。この支柱一つひとつがサブパラダイムであるので,このサブパラダイムの崩壊プロセスを書かなければ,全体としての企業中心社会の崩壊について理解が深まらない。従って,いくつかのサブパラダイムについて私見を述べるのであるが,その前に企業中心社会の本質について簡単に解説しておこう。

1 企業中心社会とは……
 どんな時代にあっても,その社会の人びとの心をコントロールする社会思想がある。武士社会では封建思想だった。明治時代以降は天皇家を中心とする家族中心思想(ファミリーコミュニティ family community)であり,その表現は忠孝を社会のモラルとするものだった。この社会思想の下では,法律も長男家督相続,遺産相続,家父長制の戸籍制度になるのは当然のことだった。この社会の末期には,天皇家を巧みに利用した軍閥社会が発生して,極右思想がまん延した。

 第2次世界大戦と日本の敗戦以後は,本来,欧米型の個人中心の自由主義思想になるべきところ,敗戦による無一文の荒廃の中から立ち上がったために,個人中心自由主義も左翼の社会主義も,社会の富の形成に役立たないので,社会全体の思想にならなかった。現実的な思想として,個人が属する経済的な社会組織を中心にして,自分の生活や社会秩序を作ろうという企業中心思想(プラントコミュニティ,plant community)が芽生えた。

 もちろん,この思想は宗教ではないから,教祖や教義があるわけではない。むしろ,こうした考え方を育てなければ,社会秩序が保てないという消極的な思いの中で育って行った。もっと正確に言うなら,企業中心自由主義というものである。当初は社会秩序と戦後の富の形成が第一義的に重要な社会課題であったから,この思想の下で,重化学工業育成という大企業中心の傾斜生産も行われた。

 その後,国富形成のプロセスは,大企業だけでは国全体のものにならないので,大企業と中小企業の生産性ギャップを埋めることが必要になり,有沢広巳教授の日本経済二重構造論を中心に,一連の中小企業政策も開始された。しかし,ここまで来るのに戦後18年も経ってしまった。

 このように企業中心自由主義社会は官僚型計画経済の色濃いものになった。そして,社会の富を形成して行く中で,企業中心社会を強固に支える支柱が次々に誕生し,育って行った。企業中心社会というパラダイムは,そうした沢山のサブパラダイムに支えられて成長した。このサブパラダイムにはどんなものがあったのかについて,復習しておこう。

2 企業中心社会を支えるサブパラダイム
2−1 労働問題の三種の神器
 終身雇用制,年功序列型賃金体系,企業内労働組合。
 この3つは法律でもなければ,制度でもない。労働組合も含め,多くの働く人たちと,経営者側とで,自然発生的に合意され,育て上げられた慣習である。従って,一定の型や,強制力も,何もない。終身雇用と言っても会社を止めるのは働く者の自由であるし,就職の場を選択する自由も働く者に与えられている。にもかかわらず,一度就職したら,できるだけその会社や社会組織の中で働き続け,その中で職業訓練や経験を積み,その一方,自分が属する会社の成長を期待し,自分も昇進の中で成長したいと願う。

 また会社組織の方も,優秀な社員を育てられるので,社員教育に熱心になるし,長期雇用を望むことになる。その結果,会社は技術革新にも対応できたし,安定した労務関係も築くことができた。

 こうした流れの中で,年功序列の賃金体系も,企業内労働組合の慣習も生まれるようになった。この慣習のお陰で,企業中心社会の富の形成がスムースに行われた。正にこの三種の神器という労務慣習は企業中心社会を支えた大黒柱であった。

 その反面,このような慣習が社会全体に一般的なれば,とかく批判の多い愛社精神,働き虫,寄らば大樹の陰,サラリーマン根性,マイホーム型社員などが生まれることになる。働く者の生活を守ることから始まった慣行であるが,いつの間にか個人が組織の中に埋没してしまい,自主性を失ってしまった。個人が組織を支え,組織を育て,その中で自我の発見,個性の成長に努力するという,本来の目的から逸脱してしまった。

2−2 技術革新(innovation)というパラダイム
 企業中心社会のパラダイムに花を咲かせたのは,技術というサブパラダイムだった。右肩上がりという経済成長に火をつけたのも,それを長続きさせたのも,技術革新があったからだった。このイノベーションは,機械工学の精密化,ロボット化,マイクロエレクトロニクス化などを中心として,自動車,家電,電子工業,化学工業など全産業におよぶ大きなパラダイムに成長した。この場ではイノベーションの全体像を描くことは不可能なので,私たちの印刷業だけについて考察してみよう。

 1990年以前の印刷技術のパラダイムは平版化を中心にした技術革新だった。1970年前後に中小印刷業の第一次構造改革が始まった。私は計画立案の責任者として,「活字よ,さようなら,コールドタイプ今日は!」というキャッチフレーズを普及させた。従来の活字組版,紙型鉛版,活字鋳造,活版印刷という活版中心の技術体系は,オフセット印刷中心の技術システムに変わった。この変化は世界的な規模で行われたが,一面では近代文明を支えたグーテンベルグの印刷技術に別れを告げる前触れともなる大変革だった。

 1960年代後期から1990年代前期までの約25年間の技術パラダイムを支えた重箱の仕切りは次のようなものだった。印刷機の高速化,多色化,サイズの多様化,長巻化,ロボット化という印刷部門。写植という文字組版部門では,自動化,第二世代のCRT写植,第三世代の電算写植,そして第四世代のコンピュータ組版へと変化を続けた。カラー製版部門では,マスキング,デジタルスキャナ,CPES(color electronic prepress system)へと変化し,今日ではコンピュータ統合編集,デザインシステムへと進化した。製本・加工部門では高速無線綴じ,アジロ綴じ,中綴じラインなどにシンボライズされる合理化が進行した。

 このように各部門が連続して合理化を続けて行く中で,各部門を形成する仕切りの強度がどんどん強くなり,印刷技術全体の重箱(パラダイム)がイノベーションと呼ばれるのに相応しいほど見事に成長した。

 この仕切り別に特化した専門業者群が集まり,強固な業者団体に成長した。それを統合した組織が,現在の日本印刷産業連合会である。こうして印刷産業全体が栄え,一種の黄金時代を作った。それは1990年までのことである。

2−3 工業化社会
 企業中心社会を支えたサブパラダイムは沢山あるが,その一つは社会の工業化というパラダイムだった。社会の富を形成する上で,フォーディズム(Fordism)すなわちFordという米国の自動車会社の生産方式から始まった,大量生産,大量消費という工業化パラダイムは大いに社会の形を変えるものだった。

●設備投資と生産性運動
 大量生産は高水準の設備と同質で有能な労働力がなくては達成できない。旺盛な設備投資が経済成長の原動力になった。この投資活動がなければ右肩上がりの成長はありえなかった。その一方で,この高い設備水準を効率よく稼働させるものは,高い資質と,訓練された労働力であった。

 資本の生産性,労働の生産性,この二つを正しく管理することは,産業社会の不可欠の任務になった。国も生産性運動を積極的に推進し,工業化社会の基盤作りに努力した。

●輸出産業の育成
 日本の企業中心社会というパラダイムを支えてきたものの一つは貿易であった。日本は昔から資源に乏しいので輸入に頼らざるを得なかった。それを可能にするものは輸出だから,輸出力も強くしなくてはならない。日本は幸いにして両者の歯車がうまくかみ合って成長を続けることができた。

輸入(1995年)
 原料・燃料25.7% 食糧15.2% 軽工業品18.5% 重化学工業品38.4% その他2.2%
輸出(1995年)
重化学工業88.0% 軽工業品8.4% その他3.6%

 1970年には食糧,燃料,原料などの資源関係の輸入が70%近くあったが,最近では製品輸入が60%近くになっている。それだけ貿易量が大きくなったということと,日本の海外生産が盛んになり,逆輸入が始まっているということだ。一方,輸出はほとんどが製品輸出ということになる。

 GDP(国民総生産)に対する比率(貿易依存度)は輸出が8%強,輸入が6%強であり,2%のギャップが貿易不均衡として世界中から非難されるものだ。一面では,この外貨準備が蓄積されているからこそ,今回の世界経済の混乱にも耐えることができたし,海外支援も可能なのだ。

 もちろん,輸出産業が国の政策として育成されてきたので,後の工業化社会が健全に育った。そして輸出産業の生産性が非常に高いので,輸出物価格が相対的に安く,円の為替レートも購買力平価より円高に推移し,日本の国力も常に高めに評価されてきた。これが日本の企業中心社会や工業化社会を長続きさせた原動力の一つだった。

●環境問題
 工業化社会のはじめのうちは問題にならなかった環境問題だが,この社会が発展するのに伴い,資源多消費の社会に変わってくる。大量生産,大量消費の当然の帰結ということだ。その上,世界的に見れば,中国やインドに見られるように人口爆発が起こっているのだから,エネルギーも自然資源も多消費になる。日本は人口的には少子化だが,生活が豊かだから多消費が目に余る。

 環境問題への対応は世界中の合意事項になってきた。一年一年,税制が厳しくなるだろう。大気,河川,海洋の汚染,グリーンハウス・エフェクト(温暖化),砂漠化,森林保全,オゾン層破壊防止など,地球規模で議論されるべき問題だ。

 最近,世界中で国の食糧自給率を最低線でも確保しようという動きが,国の生存権の問題として持ち上がっている。これは米国やWTOが唱える貿易の自由化が,これ以上無制限に行われれば,国の食糧安保が維持できないからだが,この動きは貿易の自由化に逆行する反面,環境問題には貢献することだ。これからも矛盾する概念の調整が必要になるのだろう。

 印刷産業も環境問題を避けては通れない。印刷関連産業も含めて,全産業で取り組まなくてはならない。


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2000/01/11 00:00:00


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