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混沌の色の世界に科学を持ち込んだCIE

混色については青と黄を混ぜると緑になることは、子供でも直感的に理解できるし、CIE色度図上でプロットするように計算しても答えが出る。では問題ですが、右目に青だけが入って左目に黄だけが入るとどうみえるでしょうか? この質問を、2007年6月1日(金)のtech seminar「色と見え方の科学」の時にでも、CIEジャパンの矢口博久先生に聞いてみようと思う。なんとなく緑に見えそうだが、装置としての目玉は別々の色を見ているはずであり、どこでどうして混色するのか、よくわからない。

ちょっと似たこととして、赤と青のセロファンを貼った眼鏡で見る立体画像のことがある。最近は動画でもそのようなものがあるが、これも不思議なことに、左右の眼はそれぞれ赤か青のどちらかしか見ていないにも関わらず、それなりにカラー画像として見えてくるものである。これは脳の働きなのか、視神経の働きなのか? このような立体画像に気持ち悪い印象を持つ人がいるのは、色が安定して見えるようになるのにちょっと時間がかかるとか、画像が大きく変わったときにまた色が不安定になることがあるからだろう。

人が色を認識するのは、「3」とか「三」とか「three」という文字を見て一定の概念を想起するのとは違って、かなり揺れ動きながら行っているものなので、人間の目を計測器のように考えて色の管理やシステムを考えると、どこかで不自然なことが起こったりする。逆に上記のような理屈ができていなくてもモノが先に存在する場合もある。それはこの不自然さがオモシロさとなって、子供向けに変わった見え方をするオモチャもいろいろ作られてきたことからもわかる。

油絵画家の高島野十郎展を見たときに、眼をつぶった時に見えた模様を描いた絵があった。この絵の場合は眼球の血管の模様かもしれないが、確かに何も対象物がなくても何かの形や色が見えることはある。また形から色が想起されるとか、白黒画像を見ていても、記憶にあるものならばカラー画像と同じように認識していることがある。夢はカラーなのか白黒なのか、というのも不思議で、夢を想い返す時点で着色しているのかもしれない。色の記憶というのは強烈に残るものなのだろうか、それとも記憶を辿るときに着色しているのか、というのも同じような問題だ。

記憶色といわれるものも、先に形があってこその「色」であって、色だけで情報となるものは以外に少ないかもしれない。自然の緑は人を癒すが、緑色に着色した部屋は人を落ち着かせることができないという。色の計測はできたとしても、眼の働きや記憶とという一定しない要因が加わった上で色の再現があるので、色管理とかカラーマッチングは一筋縄ではいかない。しかしそんな中で色の見えについて確かなところを探って体系化してきたのがCIEではないだろうか。

グラフィックアーツの分野ではどこでも何らかのカラーマネジメントがされるようになった今日、CIEの名前を聞いたことのない人はいないだろうが、CIE規格やその制定までにどのような検討がされたのか、またCIE表色系ができてから今日まで75年の歩みなど、CIEが取り組んできたことのうち、ごく部分的なことしか知られていないのではないか。またCIEは国際照明委員会の略であるように、照明の歴史というのも色の見えに大きく関連している。そこで「色と見え方の科学」では、この2テーマをメインにして、CIEの素朴な疑問を解きほぐし、色と見え方をさらに追求できるように企画した。いまさら聞けないQ&Aを合わせてディスカッションも行う予定である。

2007/05/24 00:00:00


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