JAGAT50周年と印刷文化を考える

掲載日:2017年5月1日

5月10日JAGATは設立50年を迎える。現在「50周年記念誌」の編集のために沿革や設立当時の資料を収集しているので、一部紹介したい。【50周年記念】

■大量印刷・大量消費の時代があった

印刷産業は工業統計が1955年に全数調査を開始して以来、1991年までの36年間、一度もマイナス成長を経験することなく伸び続けてきた。

右肩上がりの経済成長が続き、日本のGNP(国民総生産)が西ドイツを抜いて世界第2位となったことを経済企画庁が発表したのは、大阪万博を翌年に控えた1969年6月10日のことだった。

印刷産業出荷額は1960年代に入ってから1970年半ばまで、GNPを上回る前年比20%前後の成長を続けてきた。印刷需要が拡大する中で、1969年には電算写植機が登場し、1970年のCTSの実用化、1973年の国産カラースキャナーの開発と、印刷技術の革新による大きな変化が続いた。

そのような時代背景のもと社団法人日本印刷技術協会(JAGAT)は1967年に設立された。印刷産業の大半が中小零細であることから技術革新を追い風に近代化を進め、生業から企業へと脱皮しようとしていた変革の時代に、印刷および関連産業の発展、貢献を目的として設立された。当時から広く公益性の志向が強かったことがわかる文章がある。

「社団法人は公益法人の一つである。印刷技術を通じて公益性を表現するためには、印刷業界のためだとか中小印刷界のためとかいうことでは話にならない。印刷技術の研究、調査、普及、教育などという事業が関連業界は勿論、社会全体へも門戸を広げるものでなくてはならない」(塚田益男著『JAGATと私』)

大量生産・大量消費の時代に、生産性の向上と、若年労働力不足や熟練者の減少などの問題に対処するために、1971年には印刷業の第1次構造改善計画が始まった。高度経済成長期には印刷需要も爆発的に増加し、その需要に応えるためには、活版からコールドタイプへ、凸版印刷から平版印刷への転換が不可欠となった。文字組版方式の転換を「活字よさようなら、コールドタイプよこんにちは」というキャッチフレーズで推進した。それは新たなパラダイムの予感を象徴する言葉であった。

■変えるべきところと変えてはいけないところ

JAGATは2012年4月1日に公益社団法人へと移行した。公益社団法人として目指すものは「印刷ならびにメディア分野に関する利用技術の向上および人材育成、それにより中小印刷業と関連産業の健全な発展に貢献し、文化向上にも寄与していくこと」である。つまり、団体としての事業活動により、社会に役立つことが「公益」を構成することになる。 

社会に貢献する印刷界のあるべき姿についても、塚田益男著『印刷経営のビジョン』では、文化の定義を「理想実現への人間の行動と、その結果としての総合体」としている。そこにはもちろん印刷人としての誇りをもつことにも触れている。

さらに「印刷文化は天から降ってくるものではないし、何となく昔からあるものでもない」として、「我々の努力によって、印刷物が、日本の道徳、思想、生活環境など、すべてを向上させるのに役立っているのなら、まさに日本の印刷文化は存在する。その結果、印刷および関連業に携わるみんなの生活やモラルが高い水準に維持されるなら、印刷文化は社会的に認知されたことになる」としている。

またJAGAT機関誌『JAGAT info』2012年2月号の特集記事「JAGATが公益法人としてスタートするにあたって」では第七代目にあたる塚田司郎会長(当時副会長)は「印刷物を作るだけでなく、結果として社会にどれだけの貢献をしたのかというような観点に企業活動も変わっていくだろう。そうした企業の活動、社会のニーズの変化に対して、応えられるように当協会も変わっていくべきであろう」と述べている。

時代は変わったが、変えるべきところと変えてはいけないところを見極め、JAGAT第二の出発点として、公益社団法人としての活動方針を見据えていきたい。

※『印刷白書2012』「印刷文化は印刷人の努力によって維持される」より一部抜粋。

(JAGAT 研究調査部 上野寿)