絵本作家エリック・カールの生涯と作品

掲載日:2026年9月14日

世界的に知られるアメリカの絵本作家エリック・カール(1929〜2021年)の功績を振り返る「エリック・カール展 はじまりは、はらぺこあおむし」が、東京都現代美術館で4月25日〜7月26日まで開催された(現在は閉幕)。展示内容と各種資料をもとに、その生涯と作品の魅力を紹介する。

本展は、代表作『はらぺこあおむし』の日本語版出版50周年を記念し、エリック・カール(以下、カール)の絵本の魅力を芸術とグラフィックデザインの両面から紹介するものであった。会場では27冊の絵本の原画、グラフィックデザイナー時代の作品、最初の構想段階で作られたダミーブック、制作に用いた素材や道具など約180点を展示するとともに、各作品について着想の背景や制作手法などを解説するパネルも随所に添えていた。

展示会場のエントランス
展示風景

絵本芸術の普及に貢献

カールは、グラフィックデザイナーから絵本作家に転身し、多数の子ども向け絵本を創作しながら、自ら設立した「エリック・カール絵本美術館」を通じて絵本の芸術的価値への理解を広めることにも努めた。

カールの絵本の主な特色としては、鮮やかな色彩、対象の特徴を捉えたシンプルでユーモラスな描写、大胆で動きのあるレイアウトが挙げられる。また、制作面ではコラージュ1 の技法を用いているのがユニークな点である。具体的には彩色した薄紙を台紙に貼り付け、最後に細部を手書きして完成させていた。さらに、作品を構想する際には、子どもたちが楽しみながら自然科学や暮らしへの関心を持てるように「読めるおもちゃ」「遊べる本」となることをを心掛けていたという。

これらの作風や創作姿勢にはカールの生い立ちが反映されている。以下ではその生涯をたどっていきたい。

20世紀の激動の時代を生きる

アメリカでの幼少期

カールは1929年にニューヨーク州中央部の都市シラキュースで、ドイツからの移民の子として生まれた。当時のシラキュースは商工業都市であるとともに、交通の要衝であり、また1870年創立のシラキュース大学を擁する学園都市として栄えていた。1929年に世界恐慌が始まったが、カールの家庭の収入は比較的安定していたという。
週末には家族と共に近郊の森や湖で遊び、そのなかで昆虫をはじめとする生き物への好奇心を育んでいった。また、絵を描くことを好み、通っていた幼稚園の先生はその才能を伸ばすよう母親に助言したという。

ナチ政権下のドイツで

1935年に一家はドイツに戻って南西部の都市シュトゥットガルトに居を構え、翌1936年にカールは小学校に入学した。ドイツでは1933年にアドルフ・ヒトラーが首相に任命されてナチ党の一党独裁が始まり、学校教育にもその思想が反映されていった。カールの回想によれば、小学校では規律が厳しく体罰も受けたことから、両親に「いつアメリカに戻るのか」と毎日尋ねていたそうだ。

1939年にはギムナジウム(中等教育機関)に進学したが、同年ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が始まった。当時の美術教育では、ゲルマン民族の優秀性を誇示するための古典的で写実的な絵画が奨励されていたが、カールの画風は荒削りで、写実からかけ離れたものだった。しかし、美術担任のフリードリヒ・クラウス先生はこれを評価していた。ある日、カールは先生の自宅に招かれ、ナチ政権下で退廃芸術として禁じられていた、ピカソやクレーなどの前衛芸術家の複製画をこっそりと見せてもらったという。このときに受けた感銘が創作活動に影響を与えたと、カールはのちに語っている。

やがて戦局はドイツに不利となり、国内への空襲が激しくなったため、カールも疎開を経験した。1945年5月にドイツが降伏、同年8月には日本も降伏し、第2次世界大戦は終結した。

戦後にデザインを学び、故郷アメリカに戻る

戦後に再開した学校でクラウス先生による美術の授業を楽しんでいたカールは、先生の勧めで1946年にシュトゥットガルト州立芸術アカデミーに進学した。在学中は、グラフィックデザイナーのエルンスト・シュナイドラー教授からダイナミックでメッセージ性の強いビジュアル表現を学んだ。後年の絵本制作に用いたコラージュも、この時期に習得した技法である。最終学年の1950年には、シュトゥットガルトにあったアメリカ政府の文化施設「アメリカ・ハウス」2 のイベント告知ポスターのデザイナーに抜擢された。

左:抽象コラージュ(制作年不詳) 右:演劇ポスター「ガラスの動物園」(1952年/複製)(いずれもエリック・カール絵本美術館蔵)。
左は20歳代に制作したものと思われる。右のポスターはアメリカ・ハウスの依頼で制作した。「ガラスの動物園」はアメリカの劇作家テネシー・ウィリアムズによる戯曲。

卒業後はファッション誌の販売促進部のアートディレクターとして働いたのち、1952年にアメリカに渡った。カールは後年のインタビュー 3で、渡米の理由について「心の中ではいつも『アメリカへ帰りたい』と思っていた」「戦争で破壊されたドイツでの暮らしはあまりいいものではない」ことなどを挙げている。戦時中に本土が戦禍を免れたアメリカでは、ヨーロッパ諸国に比べて経済活動が進んでおり、それに伴いグラフィックデザインも発展していたことから、生まれ故郷で新たな活躍の場を求めたものと考えられる。
ニューヨークに住まいを見つけたカールは、ビジネス雑誌『フォーチュン』のアートディレクターを務めていたレオ・レオーニ4 と知り合い、その紹介で『ニューヨーク・タイムズ』の宣伝部に就職した。その後、医薬品専門の広告代理店に転職してアートディレクターとして働き、やがてフリーランスとなった。

絵本制作を中心に生涯にわたって活動

20世紀中頃に大量消費時代を迎えていたアメリカでは、児童書にも広告デザインの手法を取り入れる傾向が強まり、カールも書籍の表紙デザインや児童向け教育図書の挿絵を手掛けるようになった。前述のレオ・レオーニは1959年に自身の初めての絵本『あおくんときいろちゃん』を出版しており、カールにも絵本の制作を勧めたという。

カールは1967年に教育者のビル・マーティン・Jrとの共著として絵本『くまさん くまさん なに みてるの?』を出版した。そして1968年には初めて自ら文と絵を手掛けた絵本『1, 2, 3 どうぶつえんへ』を、続けて1969年には『はらぺこあおむし』を出版し、その後は子ども向け絵本の制作を活動の中心とした。

1985年、日本での展覧会開催に併せて初来日した際に「いわさきちひろ絵本美術館(現:ちひろ美術館・東京)」「安野光雅美術館」などの絵本専門美術館の存在を知って刺激を受けた。そこで2002年に妻バーバラと共同で「エリック・カール絵本美術館」をマサチューセッツ州アマーストに開館し、自身の作品をはじめさまざまな絵本作家の作品を収集、展覧会・講演会などの教育プログラムも実施した。このように精力的な活動を続けたのち、2021年に91歳で死去した。なお、エリック・カール絵本美術館は現在も存続しており、これまでに100万人以上の来館者を迎えているという。

展示の概要

以上のようなカールの人生を踏まえ、展示の概要を紹介する。会場は以下の4部構成となっていた。

1 はらぺこあおむしの誕生

『はらぺこあおむし』は、卵からかえった青虫が、月曜日にリンゴを1個、火曜日にナシを2個と、毎日いろいろなものを食べ、やがてサナギからチョウになるという物語。ページの一部を丸く型抜きすることで、かじり跡を表現したり、食べる量に応じてページの横幅を変えるなど製本に工夫が凝らされており、楽しく読み進めるうちに曜日・数字の概念やチョウの生態などについて触れることができる内容となっている。

1976年に偕成社から出版された日本語版をはじめ、70言語以上の翻訳版がある。会場では絵本の原画、原案のダミーブックをはじめ各国語版の絵本が展示されていた。そのほか、『くもさん おへんじ どうしたの』(1984年)など生き物をテーマにした絵本も紹介された。

さまざまな言語に翻訳された『はらぺこあおむし』(偕成社蔵)

2 思い出を絵本に

幼少期の思い出をもとに構想した『いちばんのなかよしさん』、わが子との会話から生まれた『パパ、お月さまとって!』などの絵本の原画のほか、20歳代のスケッチやデザイナー時代の作品も展示されていた。

『パパ、お月さまとって!』原画(1986年/エリック・カール絵本美術館蔵)
月と遊びたいと願う少女モニカのために、月を取ってくる父親の物語。

3 遊べる本、読めるおもちゃ

グラフィックデザインの経験を生かしたユニークな絵本を紹介していた。珍しい方法で子育てをする魚類を紹介した『とうさんはタツノオトシゴ』の原画、読みながら遊べる仕掛け絵本『キャッチボールしよう!』『すきな たべもの なーに?』などが展示された。

左:『キャッチボールしよう!』 右:『すきな たべもの なーに?』(いずれも1983年/偕成社刊 *原語版は1982年)
ボールや動物の形に型抜きされた厚紙にひもが通してあり、動かして遊ぶことができる。

4 エリック・カールのアトリエ

日本との交流を示す作品、2005年以降に制作された抽象的なアートワークのほか、制作道具・手彩色を施したコラージュ用の薄紙などが展示されていた。さらに、カールが『はらぺこあおむし』を朗読する様子を記録した映像などを上映するコーナーも設けられた。

左から「がんばって」「ありがとう」「だいすき」(2011年/複製/エリック・カール絵本美術館蔵)
2011年の東日本大震災で被災した子どもたちのためのチャリティオークションに出品されたアートワーク。
エリック・カールの制作道具および手彩色の薄紙(エリック・カール絵本美術館蔵)

*

カールの絵本は子ども向けに制作されたものではあるが、展示された作品に見られる愛らしくもダイナミックな表現は、大人をも魅了するであろう。また、少年期から青年期にかけて戦中・戦後を経験したカールが生涯抱き続けた、子どもたちの健やかな成長への願いを感じ取ることもできる企画展であったといえよう。

(JAGAT 石島 暁子)

エリック・カール展 はじまりは、はらぺこあおむし

東京展(会期終了)
会期:2026年4月25日(土)〜 7月26日(日)
会場:東京都現代美術館 企画展示室1F/3F
主催:東京都現代美術館、エリック・カール絵本美術館、読売新聞社
協力:日本航空、偕成社、コスモマーチャンダイズィング
Eric Carle: Art, Books, and the Caterpillar is organized by The Eric Carle Museum of Picture Book Art, Amherst, Massachusetts, United States.

巡回展
2026年10月23日(金)〜 12月20日(日) 福岡県立美術館
2027年3月20日(土)〜 5月9日(日) あべのハルカス美術館

掲載写真はすべてエリック・カール作
「エリック・カール展」展示風景、東京都現代美術館、2026年

※会員誌『JAGAT info』 2026年7月号より一部改稿

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印刷・メディアとデザイン


  1. 紙、布、写真、雑誌や新聞の切り抜きなどさまざまな素材を台紙に貼り付けることで画面を構成する手法。 ↩︎
  2. 第2次大戦後しばらくの間、ドイツはポツタム協定により、米・英・仏・ソの4カ国によって分割占領され、シュトゥットガルトはアメリカの管理下に置かれるようになった。アメリカ政府は、ナチ党員の処罰や関連図書の廃棄などの非ナチ化を推進すると同時に、ドイツ国民の民主化と親米のための施策も講じた。その一環で設立されたのが「アメリカ・ハウス」である。図書の貸し出しをはじめ講演会、映画上映、展覧会などさまざまなサービスを通じてアメリカ文化を紹介した。 ↩︎
  3. 『エリック・カール:絵本の秘密をさぐる(別冊太陽スペシャル)』(2022年/平凡社刊)より ↩︎
  4. 1910年オランダでユダヤ系の家庭に生まれる。1930年代半ばよりイタリアでグラフィックデザインの仕事を始めたが、第2次世界大戦開始後の1939年にアメリカへ亡命。アートディレクターとして活躍したのち、絵本の創作に軸足を移す。後半生はイタリアとアメリカを往来し、1999年にイタリアで死去。カールとの親交は生涯続いたという。 ↩︎