A判とB判の由来を教えてください。

掲載日:2014年8月17日

※本記事の内容は掲載当時のものです。

ナンデモQ&A:その他

Q:A判とB判の由来を教えてください。

A:ドイツの紙の寸法は、W.Ostwald氏の研究に基づいて規格されました。これによると紙の寸法の基本をA列0番とし、その面積を1㎡とし、短辺と長辺の比を1:√2とし、長辺を半裁するごとに、1番から10番まで定めました。1:√2とすることにより半裁したときに完全な相似形が得られ、美学上の配慮がなされているといわれています。またA列で間に合わないものをB列またはC列として定めました。このように、ドイツでは他国に比べて非常に整理されて規格されていました。
 日本の規格は、A判もB判も昭和4年12月4日に工業品規格統一調査会で決められ、JES92号P1「紙の仕上寸法」として公表されました。これは、当時の大蔵省印刷局技監の矢野道也氏の発案によるものであり、A列系は菊判系に相当するものとして上記のドイツの規格をそのまま取り入れ、B列系は従来の四六判に相当するものとして独自に制定したものです。
  四六判と菊判の面積比が1.438:1であり、JES制定時にA0対B0の面積比を1:1.5としました。そして、長辺対短辺の比は1:√2と定め、長辺を半裁するごとに1番から12番まで定めました。したがって、B判の各辺はA判の各辺の√1.5倍ということになります。
  戦後、すべてのJESが再検討され、JISに切り換えられました。その結果、JES92号P1「紙の仕上寸法」は、昭和35年にJIS P0138「紙加工仕上寸法」とされました。そして、A列B列とも12番まで制定されていましたが、新しいJISになってから11番12番のような小さい寸法は国家規格として規定する必要がないとして削除され現在に至っています。 資料提供:紙の博物館

 

(2002年1月28日)

(印刷情報サイトPrint-betterより転載)