マスター郡司のキーワード解説:コロタイプ

掲載日:2025年12月2日

写真印刷に適した製版技術

東海大学名誉教授の高橋恭介先生が「コロタイプ(英語表記はcollotype)」にご執心で、会えば「コロタイプ」の話ばかりだ。『印刷雑誌』2024年12月号にも寄稿されているので、詳しく知りたい方はそちらを参照してほしい。本連載は若い方に向けて解説しているので、「昔はこんな技術が存在し、現在はこんな新技術で解決しています」云々という解説をしていることをご理解いただきたい。

「コロタイプ」の「コロ」とは膠(ニカワ)、ゼラチン(膠より純度が高い)のことだ。コラーゲンと同じで、ギリシャ語でニカワを表す“kolla”を語源としている。すなわちコロタイプとは、ゼラチン版を使用した版画(印刷)のことを指す。金属凸版やグラビアのように腐食などの大規模設備が必要ないので、学校アルバムのような小ロット写真印刷にはうってつけだったのだ。

似たものに「モノタイプ」がある(これも語源はギリシャ語らしい?)。コロタイプと同様に版画の技術名で、版に直接描画した画像を転写する方法である。なお、フォント関連で話題になる「モノタイプ」は、ライノタイプと並び称される世界的なフォントメーカーの名称なので、注意しなくてはイケない。「コロタイプ」「モノタイプ」共に版画からスタートしたのだが、前者のコロタイプは印刷ビジネスに多用されたため、印刷技術として認識されている。

深掘りするとコロタイプは写真製版技術の一種で、平版印刷に分類される。写真製版技術としては長い歴史があり、絵はがき・複製画・学校の卒業アルバムなどに広く使用されていた。現在でも「何々コロタイプ」という社名の印刷会社は多い。仙台の斎籐コロタイプ印刷はそのものズバリだし、アルバム最大手のダイコロも、もともとは大阪コロタイプ印刷からのスタートだ。学校アルバム関係の印刷会社に「コロタイプ」と付いた社名が多いのはこのためである。

なお、「コロタイプ」の名は付いていないが、学校アルバムの中堅印刷会社である新潟の博進堂は、日本に来港するロシア人の船員向けに新潟の古町芸姑のブロマイドを売る商売もしていたらしい(?)。かつての新潟古町は、東京・京都に次ぐ花柳界の規模を誇っていたようで、新年会で新潟に呼んでいただくと今でもその余韻を感じることができる(古町芸姑衆が勢ぞろい)。

コロタイプ印刷の技法と沿革

では、コロタイプ印刷の製版方法を説明する。まず、版には厚ガラス板(7〜10mm)を使用し、ゼラチンと感光液(重クロム酸塩などを添加したもの)を塗布して加温乾燥、水分を含ませて版面に小じわ(レチキュレーション)を作る。この小じわがミソで、網点ではない連続階調表現を可能にしているのだ。それに連続階調の写真ネガを密着して露光すると、光の当たった部分のゼラチンが硬化して水をはじくようになる。このように親水性と親油性(非親水性と呼んだ方がより正確か?)の部分ができることで(階調)印刷が可能になるわけだ。つまり、硬化した部分にだけインクが付着するわけである。

厳密には、光の量に応じて硬化度が変わり、インク付着量も変わってくることで、写真的な連続階調も表現することができる。このように、オフセット印刷のように網点面積率で階調を表現するのではなく、写真的に階調表現ができるのが「コロタイプ印刷」の特徴だ。
コロタイプ印刷はもともとフランスで生まれ、1876年にドイツのヨーゼフ・アルバートによって実用化された(そのため、コロタイプの別名をアルバートタイプとも呼ぶ)。欠点は「印刷速度が遅い」「耐刷力がない」「複版ができない」「カラー化が難しい(便利堂などでは実現)」などで、そのため現在ではほとんど使われていない。

日本では小川一真氏が1883(明治16)年にコロタイプ技術をボストンで習得し、帰国後の1888(明治21)年に初のコロタイプ工場を開いた。また、便利堂(1905年から「コロタイプ印刷」を行う)の佐藤濱次郎氏は法隆寺金堂壁画の原寸撮影を1935(昭和10)年に行い、それをもとにコロタイプによる複製画を1938(昭和13)年に製作した。1949(昭和24)年に壁画は焼失してしまうも、「コロタイプ複製」をもとに再現された。

高松塚古墳の壁画もコロタイプ保存され、現在では本物の壁画は悲惨な姿になってしまったが、その複製にコロタイプが役立ったといわれている。保存にはテレビ技術も応用されたが、NTSC方式のアナログテレビ画像とコロタイプのどちらが役立ったのか?は定かではない。だが、重要文化財の保存にコロタイプが役立ったことだけは確かだ。しかし、コロタイプが小ロット向きでも、現在はデジタル印刷で全く問題がない。

(専務理事 郡司 秀明)