フィルターを頭脳に内臓していたレタッチマン

掲載日:2014年8月12日

※本記事の内容は掲載当時のものです。

現在は、スキャナオペレーターが画像保証の役割をし、色分解されたセパポジ(ネガ)などをいちいちレタッチマンに見てもらって判断することは少ない。スキャナオペレーターの中で優秀なチーフがプリンティングディレクターの役割をし、カラー再現の責任を持っている。

湿板時代は、セパポジあるいは人工着色の4版のポジ撮影の良・否は、レタッチマンの判断にまかされていた。そのために、レタッチマンは、1枚のモノトーンの写真をどのように着色(4色でカラー化した印刷再現をする)するかを、カメラでポジを撮るときから設計していなければならないのである。

プリンティングディレクターの責任は、すべてレタッチマンにあり、人工着色の製版の良否は、そのレタッチマンの色演出設計能力に託されていた。人工着色のレタッチのベテランは、第一にこの色演出設計能力(印刷物再現のイメージ)がすぐれていた。色分解のフィルターの役割を頭脳に内臓し、モノクロの1色写真を、最も効果的なC、M、Y、Bk版に感覚的に頭脳プレーで色分解していたといえよう。

湿板末期には、フィルムマスキングの方法なども応用され、「つめマスク」「あけマスク」など作ってカメラで露光調整されたが(この方法はカメラダイレクト法にひきつがれる)、それまでは、ほとんどトーンリプロダクション(調子再現)は、人工的ハンドワークでレタッチマンが作りあげたのである。

すなわち人工着色においては、1枚のモノクロ写真原稿からカメラで撮り分けるC、M、Y、Bkの4版は、単なる人工着色設計の「アタリ版」程度の役割しかしなかった(もしその4版をNO修製で網撮りし、校正刷を刷れば、やや茶黒い1色写真しか再現されないからである)。

人工着色のレタッチマンは、そのすぐれた色演出設計力によって、第一にできる限り「写真の調子をこわさず,生かして」カラー印刷物を再現する必要があった。そのため、カメラで撮る4版のポジは、できる限り、自己の色再現イメージに都合のよい(レタッチしやすく、写真の調子をこわさず生かしてあまり手を入れなくてすむような)ものにしてもらうことが大切であった。 名人上手といわれた当時のレタッチマンは、このポジの撮り方がうまく、カメラへの指示・設計伝達能力にすぐれていた。

もちろん人工着色の湿板ポジのあげかたにも、ひとつのパターンとか、標準化された方法はあったが、それは、現在のスキャナ時代のカメラワークとはほど遠い原始的なものであった。そのために、カメラワークより、レタッチワークが、調子再現、色演出のイニシアチブを握ることになるのである。このことは、製版において、色演出、調子再現のイメージの決定権がレタッチに集中していることを意味している。

スキャナ時代の現在でも、校正刷に対する関心、色演出や訂正(修整)効果への反応にレタッチマンが敏感なのは、湿板時代から「仕上がりの品質」は、レタッチの責任というウエートが高かったからである(責了で下版の最終責任が絵rタッチにあるということもある)。

さて、私がレタッチ見習いの頃、このような人工着色の技術は驚異的であり、神秘的にさえ見えた。その頃、レタッチ技術の修得は(終戦後も)、先生・弟子という徒弟関係でマスターしてゆくのが通常のシステムであった。

レタッチの先輩(先生)にカメラでポジが撮れるとついてゆくのだが、たとえば人物のモノクロ写真を人工着色でカラー化して仕上げる場合、どのようにY版、M版のポジを撮り、どのようなC版、Bk版を撮ってよいものか、かいもくわからなかった。先輩のうしろについて、先輩がカメラマンに指示したり、撮り直したりしているのを見ながら覚えてゆくしか方法はなかった。

レタッチのテキストなどはもちろんなく、カメラワークも現在のように計数化、コンピュータ化されたものではなかった。多少のデータはあっても、今日のようなものではなかった。レタッチマンとカメラマンの呼吸が合うというか、判断力が良いというか、そうした感覚のすぐれた技術者が、名人上手といわれたスペシャリストであったのである。

『続・レタッチ技術手帖』(社団法人日本印刷技術協会、坂本恵一)より
(2003/03/28)(印刷情報サイトPrint-betterより転載)